Black Cat
バギー編
ゆらゆらと船に揺られる三人と一匹。
檻に入ったルフィを連れてバギー一味から逃れてからも紆余曲折があった。
コウが手に入れられなかった鍵はナミが持っていたが、それは事故でとある犬の腹の中。
ライオンのお蔭で檻から出られたルフィが吹き飛んで、戻ってきた彼がライオン共々猛獣使いを殴り飛ばし。
村長が村を破壊されることにいきり立ってバギーに挑み、曲芸師がゾロに負けて。
相変わらずコウを捜していたバギーはルフィの傍に居る黒猫が彼女だとは気付かず。
腹立たしいことにシャンクスの麦わら帽子に穴を開けたバギーを、ナミの協力を得つつ、ルフィが吹っ飛ばした。
そして、そのナミが利害の一致から仲間になる。
色々な事があった。
その間、コウはどうしていたのかと言うと。
―――怪我すると危ないからな。大人しく見てろよ。アイツをぶっ飛ばしてくるから。
そう言って、ルフィに撫でられたので、彼の邪魔にならないところでその一部始終を見ていた。
暑苦しいほどに血眼で“コウ”を捜すバギーの前に出たくなかった、と言うのもまた本音である。
「それにしても…その子が本当に?」
航路を落ち着かせた所で、ナミが空から視線を外し、黒猫を見下ろす。
船の先端部分にちょこんと座っていた黒猫が振り向いた。
ふわり、と赤いリボンが風に揺れる。
確かに、あのコウがつけていたものと同じだ。
「嘘じゃないよ。私がコウなの」
猫が喋った。
俄かには信じがたい光景が目の前にある。
脳内整理に忙しいナミが沈黙している間に、彼女の興味はゾロへと向かったようだ。
船の縁を移動した彼女は、そのままゾロの隣に並ぶ。
「傷は痛む?」
「ん?あぁ…こんなのは慣れてる。気にすんな」
「そっか。…痛むなら言ってね。鎮痛剤がまだ残ってるから」
「…お前、医学でも学んだのか?」
薬や手当ての一式を持っている彼女に、ゾロがそう問いかけた。
すると、彼女はルフィと視線を合わせてから首を振る。
「持ってない持ってない。ルフィが怪我ばっかりするから、手当てを覚えただけ。ね、ルフィ?」
「昔は怪我する度に泣いてたもんな、コウは。泣きながら手当てしてくれんだ」
懐かしいな~と本当に昔のことのように話す。
しかし、彼らからすると、数ヶ月前までの日常なのだ。
それなのに懐かしいと感じるのは、この数ヶ月の間に二人を取り巻く環境が劇的に変化したからだろう。
「そう言えば、コウって何か武術をやってたの?あのバギーを相手にいい感じだったじゃない」
漸く頭の整理が出来たのだろう。
この黒猫を人間のコウだと理解したナミが、疑問だったことを尋ねる。
コウは彼女の質問に、少しだけ間を置いてから答えた。
「…空手…?が基本って言ってたような…」
「知らないの?」
「うん。教えてくれていた人が、特に何の武術とは言ってなかったから。ただ、メインは空手って聞いたかな」
思い出すようにそう言った彼女に、なるほど、と思うゾロとナミ。
確かに空手を学んだ事は明らかなのだが、要所に別のものを感じる動きだったのだ。
彼女の答えにより、謎が一つ、解決した。
「それにしても…よく遭難しなかったわね。この二人と一緒で」
航海術とは無縁の二人だ。
コウがどうなのかはわからないけれど、少なくとも常識人と思しき彼女は苦労したのではないだろうか。
ふと、コウが鼻をヒクリと動かし、船の先端に戻った。
空を仰いでいた彼女が、ナミを振り向く。
「…ナミ。雨のにおいがする」
「そっか。動物の感覚ね」
人間よりも優れている感覚器官を持つ動物は、見知らぬ場所でもその方向感覚を失わないことが多い。
特に、猫などは自分のテリトリーが明確で、家に戻ってくる程度に感覚が優れているのだ。
人間の感覚では雨雲を感じ取ることは出来ない。
しかし、航海術に長けているナミは、コウの感覚と空の動きから、この後の天気を予測した。
「………そうね。南に抜けると、嵐に巻き込まれるかもしれない。それまでに近くの島に辿り着けるといいけど」
そう言って地図を取り出した彼女は、次の島までの距離を測る。
この距離ならば、恐らく3時間程度はかかるだろう。
「コウ、雨は遠い?」
「…うん。空気が湿ってないから、まだ少し先」
「…それなら、間に合うかもしれないわね」
このまま風に乗って突っ切りましょう。
そう結論を出した彼女。
コウは、久しぶりに航海士の存在の強さを思い出した。
陸ではなく、船は足場を確保されていない。
自由すぎる海原に浮かんだそれは天気の影響を受けやすい。
だからこそ、正確な知識と腕を持つ航海士の存在が、安全な航海を左右するのだ。
村に駐留していたシャンクスの船の航海士は、そう言って自身の仕事に誇りを持っていた。
実際に船を出してもらったことはなかったけれど、船に乗せてもらったことはある。
陸から感じるものとは違う空気の流れ、空の匂い。
―――ルフィはそう言う感覚が鈍そうだからなー。コウ、しっかり覚えとけよ?
赤髪海賊団の航海士は、そう言って黒猫のコウに天気の読み方を教えた。
もちろん、知識のないコウはそれを覚えられない。
説明してもらっても理解が難しく、申し訳なさそうに耳を垂れた彼女に、航海士は感覚で覚えることを教えた。
コウが雨のにおいを感じる時は、どういう天気の状況なのか。
この匂いならば、どうなるのか。
雲の位置も形も、風の強さも関係ない。
言ってしまえば、感覚と言う頼れるようで確実性のないものに頼る方法を教えた。
その代わり、何時間後にどんな天気、と細かい予想は出来ない。
けれど、少なくとも危険を回避できる程度の知識は、彼から受け取ったものだ。
「なるほどねー…。確かにコウがいれば、転覆だけはさけられたかもしれないわね」
しかし、小船で対応できることなど高が知れている。
現状として、一番必要となってくるのは設備の整った船だ。
仲間を集めるにしても、器であり帰る場所となる船の存在は何よりも重要。
「バギーの船、盗めばよかったね」
「あんな趣味の悪い船は嫌!!」
「外せばいいのに」
「あんな奴のお下がりでもいいの?これからずっと付き合っていくのよ?」
「いい船が見つかるまでの間だけ。見つかったら、船を売ってその船に乗り換えるの」
猫なのに、ニコリと笑ったように感じた。
可愛い顔をして、言っている事は一端の海賊だ。
ただし、彼女の場合は口にしているのは冗談ばかりで、本気で実行に移したりはしないだろう。
もし彼女がそう言う種の人間ならば、ルフィのような男とは一緒に居ないはずだ。
ナミは、自分の知る海賊とは似ても似つかない彼らを見つめる。
眠くなったらしいコウを膝の上に招いたルフィは、麦わら帽子で彼女の顔に日陰を作っていた。
バギーに怒鳴り、吹っ飛ばした張本人とは思えないほどに優しい横顔。
ポンポンとのんびりしたペースで黒い毛皮を撫でる仕草すらも穏やかだ。
「ふぅん…そう言う顔も出来るんだ」
夢に憧れた少年のような一面と、大切なものを理解し守ろうとする大人の一面。
新しい“仲間”の存在に、ナミは自分でも気付かないほどに穏やかな笑みを浮かべていた。
09.05.16