Black Cat
出会い  ゾロ編

「コウ、行くぞ!」

名前を呼ばれたけれど、コウはその場から動かない。
代わりに、首だけを振り向かせて、にゃあ、と声を上げた。

「…わかった。後で来いよ!」

本当に理解してくれたのかは怪しいところだが、ルフィはそう言った。
けれど、彼はいつでもコウの言葉を正しく理解してくれている。
きっと、今回も彼には伝わったはずだ。
返事の代わりに尾を振って彼らを見送る。

「…どうした、黒猫。あいつらと一緒に行かないのか?」

貼り付けにされた男が、コウにそう声をかけた。
動物と言うだけで見下す人間も多いけれど、彼はそう言う人ではないらしい。
男の名は、ゾロ。
海賊狩りの異名を持ち、この辺りの賞金首がことごとく彼の手に落ちているそうだ。
コウはトンと地面を蹴って彼の肩に乗る。

「…ここに残ってると、あの馬鹿にやられるぞ。さっさと行け」

突き放すような言葉だけれど、その声はどことなく優しい。

「ルフィはあなたのことを諦めたりしないよ。無理強いもしないけど」

気がついたら、そう口にしていた。
男の横顔が面白いほどにぴたりと制止する。
状況の整理に忙しいであろう脳内を想像すると、少し笑えた。

「私、あの男の言うことは信じられない」
「お、お前…」
「驚かせてごめんね。私、こういう体質だから」
「…喋れるのか?」

状況を整理する能力は悪くないらしい。
いや、この場合は、常識外のことを受け入れられる度量の広さと言うべきか。
猫が喋る、と言う非常識な状況を、彼はいともあっさりと受け入れた。

「ねぇ、生き延びられたら、一緒に来てくれる?」
「…海賊に興味はねぇよ」
「……そっか。無理にとは言わないよ。でも、あなたのことは気に入ったから」

一緒に旅が出来たら嬉しいな。
猫なのに、笑ったと感じた。
彼女は、普段は隠れている爪を少しだけ見せるようにしてから、彼を縛るロープを引っかく。
これが自分の武器だからと手入れを怠らないそれは、下ろしたての包丁のように良く切れる。
完全に千切ってしまわないように、半分ほどの溝をつけたところで、その爪を引っ込めた。
一部始終を見ていたゾロは無言で彼女と目を合わせる。

「あなたに逃げる意思がないことはわかってる。でも、私はあの男を信じられない。
だから…何かあった時にはあなたの力で逃げられるようにしておくね」

どうか、決断の時を見誤らないで欲しい。
祈りにも似た思いをこめて、コウはそこから飛び降りた。
足音もなく地面へと着地し、そこからゾロを見上げる。

「また、ね」

再会への約束をこめた言葉を紡いでから、彼女はその場を去った。








色々なことがあった。
あの男の言葉はやはり嘘で、ルフィが男を殴って。
そのままの勢いで囚われているゾロの所に行って、刀を取り返してくると基地に飛んで行って。
置いていかれたコウは、ゾロの傍でルフィが戻ってくるのを待った。

「また来たんだな、お前ら」

どこか呆れた風にそう言われ、コウは尾を揺らす。

「ルフィが決心したからね。もう逃げられないよ」

楽しげな声に、ゾロがガクリと頭を垂れる。
先ほどのやり取りからもわかるように、ルフィと言う男は強情だ。
逃げ…切れるだろうか。
猫の言葉に、不安が頭を過ぎる。




ルフィを追ってきたコビーがゾロを助けようとして銃で肩を打ち抜かれた。
そこで、彼の口から語られた言葉に、ゾロは漸く己が処刑される身であると理解する。
ぞろぞろと降りてきた海軍が、彼らに銃口を向けた。

「――――…」

どうしようか、と悩むコウ。
この人数から彼らを守ることは…できなくもない。
ルフィと共に海に出るのは、コウにとっては子供が大人になるくらい当たり前のことだった。
強くなろうとする彼と一緒になって、身体を鍛えたものだ。
この程度に負けないように、能力を使いこなせている。
躊躇った理由は、別の所にあった。
本当の姿を見せてしまったら、また―――
一瞬の迷いがコウの行動を遅れさせる。
海軍の兵たちの指が、引き金を引いた。
同時に、ガラスをぶち破る音と共に向かってくるルフィの姿を視界の端に捉える。
人間に戻ろうとしたコウは、その姿に安堵の笑みを浮かべた。
そして、猫の姿のまま大きく跳躍する。


















ゆらゆらと波間を漂う船の上。
新しい仲間を得たルフィは、機嫌よく笑う。
そんな彼の膝の上であくびをする黒猫のコウ。
彼女を見下ろし、ゾロがふと口を開いた。

「そいつ。変わった猫だな」
「ん?コウ、まだ話してないのか?」

少しばかり驚いたように自分を見下ろすルフィの眼に、コウはにゃあ、と小さく鳴いた。
ゾロと言う人を信じていなかったわけではない。
けれど、コウは少し…いや、かなり、人間に対して不信感がある。
この能力により、愛情を注いでくれるべき母親に捨てられたことが関係しているのは、明らかだ。
コウの考えなどお見通しなのか、ルフィはその黒い毛並みを手の平で撫でた。

「ゾロは仲間だぞ」
「…ん」

わかってる、とばかりに頷く。
それから、コウはルフィの膝からおりてその隣に腰を下ろした。
そこから動かずに人間の姿を取ると、ルフィに迷惑がかかる。
腰を落ち着けてから、コウは少しだけ意識を集中する。
ざわりと全身の細胞が動くのを感じた。

「…人間…悪魔の実の能力か」

黒猫をそのまま人間にした―――とまではいかない。
けれど、特徴的な眼や艶やかな黒髪、首もとの赤いリボン。
黒猫のコウと、人間の彼女を一致させるには十分な要素があった。
ルフィよりも小柄な身体は、ゾロからすればまだ少女から抜け切っていないように見える。
見た目だけでは、戦えるように見えないのは、ルフィと同じ。

「初めまして」

少し緊張した様子で微笑む彼女に、あぁ、この笑顔か、と思う。
猫の時ですら、そこに見えるような気がしていた、ゆるく花開くような穏やかな笑顔。

「コウ…だったな」
「うん」
「………縄…切っといてくれたお蔭で、助かった。サンキュ」

突然のお礼に、コウはきょとんと目を見開く。
それから、ふわりと微笑んだ。

「どういたしまして」

嬉しそうな笑顔を見て、隣のルフィもニコニコと笑う。

「良かったな」
「うん」

頭を撫でられて目を細める姿に、猫の時の姿を重ねてしまった。
ルフィと顔を見合わせる様子は、年相応に見える。


船のバランスが悪いからと猫の姿に戻ったコウ。
ふぁ、と大きな欠伸をする黒猫を見下ろしていたゾロは、ゆっくりとその背中を撫でてみた。
予想以上に手触りの良い毛並みが手の平に伝わる。

「…よろしくな」

呟いた声に、にゃあ、と言う返事が聞こえた。

08.09.14