Black Cat
白ひげ海賊団

カツン、と地下牢の床が靴音を響かせる。

「…エースと行動を共にしていると聞いて、いずれこうなるかもしれんとは思っておったが…」

鉄格子の向こうから、そんな声が聞こえた。
海楼石の手錠を繋がれたコウは、俯けていた顔を上げる。

「久しぶりじゃの…コウ」
「…ガープじいちゃん…」
「おぉ、コウにそう呼ばれるのも何年ぶりじゃ」

まるで喜んでいる風に笑う彼だが、その表情は笑みを作れていない。
血の繋がりはなくとも、孫のように可愛がった子のこんな姿を見たくはなかった。
何が悲しくて、鉄格子越しの会話をしなければならないのか。
ガープの目が悲しみの色を浮かべる。

「今からでも遅くはない。海軍に入るんじゃ、コウ」
「エースを助けてくれるなら」
「…それは無理じゃ。コウが一番わかっておるじゃろう?」
「じゃあ、私だけ助けようとしても無駄よ。エースが死んだら私…後を追うから」

そう言って、コウがすべてを覚悟した表情で笑うから。
ガープは悔しさに表情を歪めた。
何故、自分の大切な孫たちは揃いも揃って海賊になってしまったのか。
海軍に入っていれば、こんな風に牢に閉じ込めることもなかったと言うのに。

「エースに会わせて」
「…出来ん」
「助けられないなら、私も殺して」
「…出来んっ!!」
「じゃあどうして来るの!!何も出来ない現実を突きつけるため!?」

ガシャン、と手錠に繋がった鎖が鈍い音を立てる。
声を荒らげたコウの目から涙が零れた。
今の状況を、彼女は正しく理解している。
海賊王の血を引く子、エース。
ロジャーの血を絶つために、エースの処刑は大きな意味を持つ。
一度捕えた彼をみすみす逃がすような真似はしない。
彼の処刑に政府のすべてを投じるだろう。

「お願いだから…エースを助けて…殺さないで…」

自らの無力を悔やみ、涙を零すその姿。
ガープはぐっと奥歯を噛み締め、彼女に背を向ける。
この場に留まれば、鉄格子の鍵を外してしまいそうだった。












エースに会わせて。

それ以外の言葉を口にしないコウは、用意される食事に一切手を付けなかった。
元々小柄な身体が更に一回り小さくなる。
一日中部屋の隅で目を伏せる彼女は、時折頬に涙を零した。
これが、政府が追い求めた賞金首の姿なのか―――その姿は、見張りの海兵を戸惑わせるほど。
それほどに、彼女は無力で、そして小さな存在だった。
確かに、捕えられている彼女自身に命の危険はない。
しかし、彼女は自らの状況よりも、囚われているはずのエースに心をすり減らしていた。

「―――止むを得んな」

センゴクは深々と溜め息を吐き出す。
彼女は生かしておかなければならない。
医療で命を繋ぐことは出来るが、目に見えて弱る身体はもたないだろう。
苦渋の選択を迫られたセンゴクは、やがて一つの結論を出す。















血迷うなよ、と何度も釘を刺され、ガープはその鉄格子の鍵を開けた。
ガチャン、と無機質な音が響き、目を閉じていたコウが反応を見せる。

「…じいちゃん…?」

鉄格子を通さずその姿を確認したコウは、ほんの少しだけ驚いたように目を見開いた。
彼は無言でコウを繋ぐ鎖の元を外す。
海楼石の手錠は外されていないけれど、それでも彼女はある程度の自由を得た。
意味が分からず、不思議そうな表情のコウ。

「いいか、コウ。無謀はせんと約束するんじゃ」
「……………」

これから何が起こるかわからないのに、そんな約束が出来るはずもなく。
コウは彼の言葉に無言を返した。
そんな彼女に、ガープは深く溜め息を吐き出す。
そして、手錠へと繋がる鎖を持ち、来るんじゃ、と告げた。
訳が分からないままに立ち上がった彼女だが、そのまま膝から座り込んでしまう。
ひと月を超える絶食が彼女の身体から活動機能を奪っていた。
それに気付いたガープは、やはり言葉なく彼女を抱き上げる。
子供のように片腕に抱いた彼女の身体は、ゾッとするほど軽い。
思わずこみ上げる涙を抑え、彼は鉄格子を越えた。
見張りの海兵が敬礼と共に見送る中、二人はゆっくりと廊下を進んでいく。

廊下を進み、船に乗せられ、船から降ろされ。
その頃になると、コウは自らの足で立つことが出来るようになった。
そして同時に、彼女は自分がどこに連れて行かれるのかを理解する。
見張りにガープを選んだのは、身内の彼ならば殺して逃げることは出来ないだろうと思われたのかもしれない。
少なくとも、中将の仕事ではない。
コウはエレベーターに乗せられ、鎖を握る彼を見上げた。
視線に気付いているはずのガープは、頑なに前を見つめている。

「…ごめんね、じいちゃん」

それ以外、言える言葉が見つからなかった。








エレベーターの音が響く。
醜い罵声や野次、そんな雑音としか受け取ることのできない音だけの世界。
誰が下りてこようと、関係はない。
エースはただ黙して、瞼を伏せていた。
しかし、自らが捕えられている鉄格子から鍵の音が響けば、嫌でも意識が引っ張られる。
ゆっくりと顔をあげた彼の目に、あるはずのないものが映った。

「エース…!」

いるはずのない姿、聞こえるはずのない声。

「………コウ…」

掠れた声でその名を紡げば、彼女はエースに走り寄ろうとした。
しかし、それはガープが握る鎖によって阻まれる。
ぐんっと引っ張られた彼女は、悲しげに彼を振り向いた。
ガープを見つめるコウの眼差し。
数秒の沈黙の後、彼の手が緩んだ。
重力に従った鎖がジャランと鈍く床にとぐろを巻く。
コウはもう、ガープを振り向かなかった。

「エース!!」

壁に繋がれるエースの元へと駆けた。
血に汚れることも構わず彼の首筋に頬を寄せる。
手錠が邪魔をして抱きつくことは出来ないけれど、これで十分だった。

「コウ、お前なんで…」

自分が囚われている以上、コウも同じように海軍の手に落ちていることはわかっていた。
海軍は彼女の力を求めていたから、悪いようにはされないと言う事も。
それだけは安心していたと言うのに、何故。





その時、コウがフッと糸が切れたようにエースの膝の上に崩れ落ちた。

「お、おい!コウ!?どうした!?」

目の前に彼女がいるのに、拘束する鎖の所為で指一本触れることも叶わない。
倒れた彼女を抱きとめることも出来るはずがなかった。

「緊張が解けただけじゃ。ひと月以上も飲まず食わず―――碌に眠ってもおらんわい」

いつの間にか近くに来ていたガープが彼女に代わってそう答え、彼女の鎖を壁の金具に固定する。
渾身の力で引っ張り、それが外れないことを確認した彼は、エースの膝に倒れこんだままのコウを見た。

「儂が出来るのはここまでじゃ」

そう言うと、彼は牢から出て振り返らず去っていく。

「エースさん…この子も海軍に…」
「あぁ、捕まった。いつも一緒だったからな。…俺とは比べもんにならねぇ破格の待遇だったはずなのに」

それを全て拒み、このまま弱って死にそうな彼女を見た海軍が、これを決断したのだろう。
エースが最後に見た時よりも、一回りは小さくなった彼女。
痩せた頬に触れることも、頭を撫でてやることも出来ない。
それでも―――彼女が視界の中にいる。
これほどに安心することがあるだろうか。

「…ごめんな」

自分のいない幸せを願ってやれない。
ルフィは自分がいなくても大丈夫だが、コウには自分が必要だ。
自惚れではなくそれが事実だと知っているから、幸せになれと言えない。
許されるなら、共に―――コウの顔を見つめるエースの心は、穏やかだった。

10.08.16