Black Cat
白ひげ海賊団
「お前らの狙いはこの女だろう!!」
商船の船長がそう声を上げた。
その顔には恐怖の色が見えるけれど、口元は勝ち誇った笑みを浮かべている。
男が銃を片手に拘束しているのは、エースが海に出てからずっと探し求めてきた彼女。
自分の不利を悟った船長が、彼女を人質にこの場を逃れようとしているのだ。
腕の力が強くなり、後ろから首を絞めるように拘束されている彼女が小さく呻く。
猿轡を噛まされた口からはくぐもった声しか出てこない。
「コウを放せ。そうしたら船を沈めるのは勘弁してやる」
「この際、他の奴隷なんざどうでもいい!こいつさえいれば一生遊んで暮らせる金が入るんだからな!!」
広い甲板の上に緊張感が走る。
どちらもにらみ合ったまま動かない状況の中、船長がコウのこめかみに銃を向けた。
「お前らスペード海賊団がこの女を探してる事は噂で聞いてるぜ。
…この女を殺して欲しくなければ船から出て行け!!」
ごりっと銃口を肌に押し当てながらそう怒鳴る船長。
コウは首を絞められる苦しさに表情を歪めながら、対峙しているエースを見た。
最後に見た時よりも、随分成長している。
後ろにいるのはきっと、彼の仲間なのだろう。
本当に海賊になったんだ、と喜ぶ余裕はない。
その時、今までその場から動かなかったエースが一歩、こちらに近付いた。
「ち、近付くな!!それ以上近付けばこの女を殺す!!」
離れているエースの位置からでも、船長の手が震えているのがわかる。
あんな状態で引き金を引いたところで、その反動により目標を掠める事すら出来ないだろう。
けれど、たとえ当たらないとわかっていても、彼女に突きつけられた銃口の存在はエースにとって不愉快だ。
「撃つ勇気も覚悟もねぇくせにそんなもん持ち出すんじゃねぇよ」
あえて挑発する言葉を選びながら、一歩ずつ距離を詰めていく。
距離を縮めながら相手に圧力をかけ、徐々に逃げ道を潰す。
もう、この男の頭は正常な思考を取り戻す事はできない。
銃を向けられる事は怖くなかった。
けれど、自分の所為で誰かが…エースが傷つく事は怖い。
コウは言葉にならない呻き声を上げ、首を振る。
「コウ」
記憶にあるものと何一つ変わらない、優しい声。
首を振るのをやめて、彼を見る。
彼は笑っていた。
「俺は死なねぇよ」
死、と言う言葉を聞いて、彼女の目から涙が零れた。
近付かないでほしい。
絶対に死んで欲しくないと思うから。
もういいから、と言う気持ちを込めて必死に首を振る。
猿轡が緩んだ。
「そんなに死にたきゃ殺してやる!!!」
船長がそう言って、引き金を引いた。
銃声が響き、放たれた銃弾が真っ直ぐエースへと向かう。
「エースッ!!!」
擦り切れるような悲鳴と同時に、銃弾が彼の身体を貫く。
その時、涙の所為ではなく…エースの身体がゆらりと揺らいだのを見た気がした。
勝負は一瞬。
コウを掠めず、けれど確かに彼女を拘束していた男を貫いた炎。
解放された彼女は、呆然と瞬きをした。
「エー、ス…?」
戸惑いと言うよりは驚きの表情を浮かべる彼女に一度だけ笑顔を向けるエース。
そのまま彼女の膝裏を攫って抱き上げ、後ろの仲間たちを振り向いた。
「沈めちまえ」
エースの言葉を皮切りに、膠着していた状況が動き出す。
コウはエースの肩越しに、向かっていく彼らの背中を見送った。
「怪我はないか?」
かちん、と手首を拘束していた海楼石の腕輪を外された。
怪我、と聞かれた彼女は、その時になってエースが撃たれた事を思い出す。
「エースこそ怪我は!?」
「ねぇよ」
「でも、撃たれた…!」
詰め寄る彼女に、エースは一度きょとんと瞬きをする。
それから不敵な笑みを浮かべ、彼女の前に手を翳した。
目の前に差し出された手の平をじっと見つめていると、その手がゆらりと変化する。
「…炎…?」
「メラメラの実を食ったからな。物理攻撃は効かねぇんだ」
「な、んだ…効かないの…」
とにかく、彼が怪我一つなく無事だと言う事がわかった。
安心した事により膝の力が抜け、その場に座り込む。
エースはそんな彼女を追うようにその場にしゃがみこみ、彼女と視線を合わせた。
そして、彼女の頬に手の平を添える。
「ごめんな?遅くなった」
島を出てからずっと探していたけれど、見つけるまでに数年もかかってしまった。
その間、彼女はこの船の中で不自由に過ごしていたのだと思うと…悔しい。
昔よりも痩せてしまった彼女を見ると、やり場のない怒りがこみ上げてくるのだ。
「探して…くれたの?」
「当たり前だろ?」
必ず見つけ出すと決めていたエースにとって、行く先々で彼女を探す事は当然の事だった。
言葉からもわかる彼の思いに、コウの目からぽろぽろと涙が落ちる。
「怖かった…」
「…ああ」
「寂しかったけど、どうしようもなくて…」
「…わかってる」
死のうと思った日もあったけれど、いつか自由になれるかもしれないと思うと、出来なかった。
ただ孤独に耐える日々。
誰に泣き言を言えるわけではない環境の中で、コウはただ一人、それに耐えた。
「…ありが、とう…!」
探してくれて。
助けてくれて。
忘れないでくれて。
エースの太股を枕にして、その場で眠り込んでしまった彼女。
丸くなるその姿は、人間なのに猫のようだ。
―――エースの手は私の手と同じ。傷つける事もできるけど…守る事も出来るんだよ。
昔の会話が脳裏を過ぎる。
ありがとうなんて、そんなの。
「俺のセリフだろ?」
どれだけ彼女に救われていたか。
何も知らないのに、何も知らないからこそ。
彼女はエースに誰かを重ねる事もなく、エース自身に向き合ってくれた。
あの頃からずっと抱いてきた恋心は、幼いながらも本物だった。
今、漸く彼女を守る力を手に入れた自分。
「…守ってやるから」
もう二度と、泣かせたりしない。
彼女の目元に光る涙を拭い、自分自身にそう誓う。
10.06.19