Black Cat
白ひげ海賊団
懐かしい夢を見た。
まだ子供で、無力だった頃の夢。
「だ、駄目だ!!お前とは兄弟の杯は交わさねぇ!!」
真っ赤な顔をして、首を左右に振りながらそう言ったエースの言葉。
あの時は一人だけ否定されてしまったみたいで、とても哀しかった。
「違うんだ!…たぶん、まだわからねぇだろうけど…いつか!ちゃんと教えるから!」
直接的な言葉はなく、けれど必死で何かを伝えようとしていたエース。
わかっていた―――彼が、私を嫌っていない事くらい。
けれど、理由なく兄弟の杯を交わさないと言う彼の言葉を、すぐには受け入れられなかった。
結局、必死の彼に流されて頷いてしまったけれど。
「どうした、コウ。随分ご機嫌じゃねぇか」
小柄なコウからすれば大きすぎるソファーに深く腰掛け、いつもと変わらず酒を煽る白ひげ。
振り向いたコウは隠す事もなく笑顔を浮かべた。
「うん!懐かしい夢を見た!」
にこにこと屈託なく笑う彼女は、白ひげ海賊団の癒しマスコットと愛されている。
近くにいたナースが慈愛に満ちた表情で彼女の頭を撫でた。
「どんな夢だよい?」
いつの間に来ていたのか、マルコがコウのすぐ傍らにいた。
んー、と言葉を選んだコウが、にこりと口を開く。
「エースに兄弟の杯を拒まれた夢?」
「ちょっと待て!?その言い方だと俺が悪者だろ!?」
相変わらず可愛い奴だなぁ、と甲板の端で暢気に彼女の様子を見ていたエースが思わず声を上げる。
現に、その場に居た仲間から微妙な視線を向けられた。
心なしか、責めるような視線が痛い。
「そこだけ話したら誤解を生むだろ!?」
「じゃあ全部話す?一字一句同じは無理でも、結構覚えてるけど」
「いや、それは流石に…」
子供の頃の話を引っ張り出されるのは何とも恥ずかしい。
自分は必死だったのでよく覚えていないけれど、とにかく色々と言った事だけは覚えている。
頼むから、と彼女の肩に手を置けば、彼女はふふっと笑った。
「言わないよ。それに…今はちゃんと、“教えてもらった”から」
そう言って、ちゅっとエースの頬に軽いキスを送り、軽い足取りで船の中に戻っていくコウ。
頬を赤くしたエースが口元を手で覆って溜め息を吐き出していた事など、彼女は知る由もないだろう。
「そりゃあ、コウと兄弟の杯は交わせねぇよなぁ、エース!」
グララ、と独特の笑い声でそう言われ、エースは白ひげが全てを悟ってしまったと理解する。
過去の必死な姿まで見られたわけではないけれど、それと同じくらいの恥ずかしさだ。
穴があったら入りたい、と切実にそう思う。
白ひげの言葉により、何となく流れを悟ったらしい仲間からのあたたかい眼差し。
「~~~コウ!!外行くぞ!!」
「やった!行く行く!!」
ガチャリとドアを開けて出てきたコウの頭に、喜びの証拠となる黒い猫耳がぴょこんと生えた。
居心地悪さに逃げようとしている事など、彼女は知らない。
即座に猫になった彼女が慣れた調子で、爪を立てずにエースの肩へと飛び乗る。
大股で甲板を横切って行く彼が向かう先は、ストライカーが置いてある場所だ。
ザザッと小船が波を受けて走る。
既にモビー・ディック号は見えなくなった。
四方を能力者の弱点である海に囲まれていると言うのに、不思議と恐怖はない。
コウはエースの肩に乗り、小さく笑った。
「どうした?」
「海が怖くないなーと思って」
「落としてやろうか?」
「強制的に止めようか?」
互いにそんな冗談を交わしながら、海原を進む。
「しかし…本当に懐かしい夢を見たんだな」
「うん。自分でも驚いた。エースが可愛かったよ」
「忘れてくれ、頼むから」
よほど恥ずかしいらしい。
珍しい姿だな、と思いつつ、コウはエースの頬に擦り寄る。
「…今は―――」
ふとそう言いだしたエースが途中で口を噤む。
言葉の内容は殆ど紡がれていないけれど、コウにはわかる。
「言ったでしょ。“教えてもらった”からわかってるって」
「…そうか」
「たぶんね。エースと兄弟の杯を交わしていたら…私にとって、エースはずっとお兄ちゃんだったと思う。」
感情は、きっとそれ以上へと進むだろう。
けれど、血の繋がりがなくても彼を兄と慕う部分が、成長した感情を受け入れられなかったはずだ。
―――兄弟じゃ好きになれねぇだろうが!!
エースが必死だった気持ちが、今ならばよくわかる。
「…笑うなよ」
「ごめ…っ。だって、本当に必死だったから…っ」
笑うなと言っても変わらず肩でクスクスと笑う彼女。
エースは彼女の鼻をぴんと弾いて、ストライカーを操って先ほどから見えている小島へと向かう。
砂浜へとストライカーを上げれば、彼女がぴょんと肩を飛び降りた。
着地の時には既に人の姿に戻っており、うーんと身体を伸ばしている。
そんな彼女を横目にストライカーを適当な岩に括り付けた。
「コウ」
砂浜に足跡を残しながら歩いている彼女の背中に声をかける。
名前を呼ばれると、彼女はすぐに振り向き、エースの元へと駆け寄ってきた。
軽く腕を広げれば、そのまま迷いなく飛び込んでくるコウ。
彼女は嬉しそうにエースの首元に頬を摺り寄せた。
「エース、好き」
「あぁ…知ってる」
そう言って彼女の髪を撫でれば、不満げに口を尖らせるのが見えた。
思わず、くくっと笑えば、背中がピリッと痛む。
どうやら、爪を立てられたらしい。
「膨れるなって。お前を愛してるって言うのは昔から変わってねぇから」
生まれてよかったのかと悩んだ事もある。
―――エースが自分を好きになれないなら、その分私が好きになる。だから、生まれてこなければなんて言わないで。
けれど、彼女はそんな自分を好きだと言ってくれた。
そして彼女もまた、スフィリア・コウの出生、血筋を知り、同じ悩みを抱いた。
―――前、俺に言ってくれた事…そのままそっくり返す。俺がお前を愛するから…そんな事言うな。
傷の舐め合いだったのかもしれない。
それでも、同情も時を重ねれば確かな愛情へと変化する。
この想いを、今彼女を愛する心を、同情だなんて言わせはしない。
「心変わりしたなんて言ったら、背中に思いっきり爪を立てるからね!」
「あー、わかったわかった。そんな事はありえないから、いつでも好きなだけ引っ掻けよ」
「………ごめんね。痛い?」
バランスが悪くなると、落ちないようにとつい爪を立ててしまう。
お蔭でエースの肩やら首の辺りには小さく細い爪痕が沢山残っている。
彼女は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
そんな顔をさせたかったわけじゃない。
エースは苦笑を浮かべ、彼女の頭を撫でた。
「男の勲章だから気にすんな」
コウは他の人の肩にもよく乗っている。
けれど、落ちそうになれば、即座に自分から肩を降りるのだ。
バランスを崩してもそこに留まろうとするのはエースの肩だけ。
それを知っているから、責めるつもりなんて全くない。
「夕日でも見てから帰るか!」
「え?夕飯に間に合う?」
「…ムードもなんもねぇな、お前…」
「それ、エースに言われたくないし、食事は大事!それに…夕日よりエースの火の方が綺麗」
「わかったわかった。…聞いてるこっちが照れる」
黙らせるようにぽすん、と彼女の頭に帽子を載せ、彼女の背中を引き寄せた。
10.06.06