Black Cat
赤髪海賊団
アルマは小さく息を吐いた。
「…君も、オルガと同じ道を選ぶんだね。島に残れば、安寧に過ごせるというのに…外界を望むのか」
その顔に浮かぶ表情に一番近い感情は、諦めだっただろう。
「オルガにも、求められたよ。あの子は目を見張るほどの金を目の前に積み上げた」
かつての日を想い、アルマは空を見上げて目を細めた。
「織ってくれないか」
「何を急に…神樹を染料にするなど、そんな例は今までどこにも…」
オルガの願いは既に長を継いでいたアルマにとって、よしわかった、と頷けるものではなかった。
山と積まれた巨額のそれは、じわりじわりと貧困を感じている島にとっては必要なもの。
しかし、だからと言って神樹に手を出して、海声の民が納得できるだろうか。
「だから、お前にしか頼めない。生まれてくるこの子が生きるためには、必要なんだ」
「ならば、子供を置いていけ。この島でならば、生きられるはずだ」
そう、この島であれば生きていける。
オルガとてこの島に上陸して、明らかな体調の変化に気付いていた。
彼女から事情を聞いたアルマもまた、それを確信していた。
子供のことを想うのであれば、この島で暮らせばいい。
けれど、オルガは奥歯をかみしめるようにして首を振った。
「…それはできない。この子は外界へと連れて行く」
外界を知る、強い眼だった。
この眼を見て、彼女の意思を変えることは不可能だと悟る。
「―――何を言っても、無駄らしいね。良いだろう―――この金があれば、島の工場も大きくできる。
その理由があれば、彼らも納得する…いや、してもらおう。事実、この島は飢えている」
長としては失格だったのかもしれない。
けれど、故郷を頼って帰ってきた妹の強い願いを、無碍にはできなかった。
アルマの話を聞き、シャンクスは長年の蟠りが解けるのを感じた。
「“次の世代の憂いを消すため”…」
「え?」
「…やっぱり、ロジャー船長の目は間違っちゃいなかったってことか…」
―――悪いだけの船長に、あれだけの部下は付いて来ねぇ。オルガはなぁ…不器用な奴なんだよ。
そうだろうと納得していた部分が、確信に変わった。
「金が必要なら用意する。だから、織ってくれ」
「シャンクス…」
オルガが山と積んだ金塊を用意するなど、コウにとっては難しい。
四皇と呼ばれるシャンクスであればそれも可能かもしれないけれど、しかし。
コウは思わず表情を暗くした。
「この島で作られるワインは、この樹液を希釈し、それを肥料として使って育てたブドウから作られている」
アルマは祭壇の傍らに用意されたスイッチのような棒を動かした。
カタン、と何かが動き、祭壇の水面が揺らぐ。
やがて、祭壇から繋がる赤い水路にトロリと樹液が流れ出した。
「特別な加護が得られるわけではないけれど、豊潤なワインは、これがなかなか良い値段がついていてね」
祭壇の中に溜まった樹液すべてが流れ出ると、アルマは再びそれを封じた。
「この島は最早、金銭的な施しは必要としていない」
はっきりと、一縷の望みすら抱かせない強い口調でそう告げた。
コウは唇を噛んで表情を歪めたが、シャンクスは表情を崩しはしなかった。
「これだけ島の内部事情を話してくれた以上、俺たちの望みを叶えるつもりがないとは思えない。
―――何を、必要としているんだ?」
金銭的な施し“は”と告げたそこに、彼女の真意があると察していた。
そんなシャンクスの問いかけに、アルマは苦く笑う。
「金銭以上の見返りなど、不安を覚えないはずはないだろうに―――コウ、君は良い伴侶を見つけたね。
オルガが幼い君を外界に連れ出した時には、どれほどの不幸が待っているのだろうと案じたものだ」
多くが島で生きる海声の民にとって、外界は未知の領域だ。
海賊や海軍だけではなく、多くの不幸が待ち受けていると考えている者も少なくはない。
「子供はこの島に置いていきなさい」
「…っ…どうして…?」
「産んだ子供を船の上で育てるとでも?そんなことはできるはずがない―――不安はあるだろう?」
「でも、オルガは―――」
「君はどこで育った?オルガに育てられたのか?」
そう問われ、コウはぐっと口ごもった。
コウはルフィと共に育てられた。
幼い頃から母親は自分を捨てたと聞かされており、顔も知らない。
自分の過去を思い浮かべたのか、コウはそれ以上何も言えずに視線を落とした。
できる、と口にすることは容易いけれど、それを証明できるものが何一つ見つからない。
自分の中にある不安も、否定できない。
「―――いや、すまない」
暫くの間をおいて、そういったのは、アルマだった。
その言葉に驚くコウの目の前で、彼女は深く頭を下げる。
「乞う者として、適切ではなかった。…子供を、私に譲ってほしい」
「数年前に病を患ってね―――子供を産むことができない。このままでは長の血筋を残すことができない」
オルガを呼び戻す術はなく、またたとえ連絡手段があったとしても彼女が戻るとも思えず。
半ば諦めていたところにやってきたのがコウだった。
「海声の民と神樹、この島を守っていく上で、この血が我々には必要だ」
場所をアルマの屋敷へと戻し、待っていた仲間らと共に話を聞く。
重ね着した民族衣装の上衣を払い、わずかに露出した彼女の下腹部には遠目にも見える大きな傷跡があった。
それが手術痕であることは、船医に確認を取る必要もない。
「ほんの僅かな不安もなく、船上で子供を産み育てるというのならば私は諦めよう。
しかし、もし少しでも不安を感じているのであれば、私に譲ってほしい。
大切に愛しみ、君たちが誇れる人間へと育て上げると神樹に誓う」
そうして、再び深く頭を下げるアルマに、誰もが口を噤んだ。
そんな中、ガタン、と椅子を動かして立ち上がったシャンクス。
「―――コウ」
隣に座っていた自分に向かって差し出された手と、彼の顔を交互に見る。
そうして、コウはその手を取って立ち上がり、促されるままにその部屋の出口へと向かった。
途中、シャンクスが仲間たちへ視線を向け、彼らはその意図を察し、無言で力強く頷いた。
パタン、と扉が閉ざされ、アルマは顔を上げて小さく息を吐く。
その顔には諦めにも似た表情が浮かんでいた。
「―――コウがそれを望まないことくらいは、この短い時間でもわかったんじゃねぇのか?」
タバコを噛み、ベックマンが問いかけた。
「ああ、そうだろうね。あの心根の優しい子が頷けないことくらいはわかっていた。けれど―――」
そこで一旦口を噤むアルマは、その言葉の続きを躊躇っているように見えた。
しかし、複数の眼差しがそれを待っていることに気付き、静かに語り出す。
「遠くない未来に、今の“偉大なる航路”の拮抗は失われるだろう。
オルガからそう手紙を受け取っている。元より世の流れを読むことに長けた子だ」
何か察するところがあったのだろう。
アルマの言葉には、一行の中に僅かながらも動揺が走った。
しかし、誰もその言葉を否定できない。
オルガは彼らが知る中で世界最高の賞金稼ぎなのだから。
「そこには、コウが海色の覇気を覚醒させたとあった。あの子のことだ、私の病も知っているのだろう。
君たちが出産という可能性にいたることも、この島に辿り着くことも―――わかっていたのかもしれない」
初めての手紙に書かれた事柄はそう多くはなかった。
何故、今になって―――と抱いた疑問は、赤髪海賊団がやってきたことにより、全て解決した。
全てはオルガの読み通りと言っても過言ではないだろう。
「オルガは―――」
コウを、どうしたいのだろうか。
ヒントを与えるけれど、全てを教えることはない。
しかし、気が付けば導かれている―――彼女は、何を考えているのだろうか。
「オルガは母であることを捨てた。今更コウに愛を与えようとは考えていないだろう。
だが、情のない人間ではない。そうでなければ、最高と謳われる一団の長を務めることなどできるものか」
アルマの置かれた状況、コウの身体、残された時間。
それらを鑑みた、ギリギリ最低限の行動。
しかし、そこにオルガの想いを感じることはできる。
「さて―――屋敷に部屋を用意しているが…船の方が安心かな?その判断は船長殿に委ねよう。
食事の用意も進めているから、そちらは遠慮せず食べていくと良い」
17.04.01