Black Cat
赤髪海賊団

コウの自室に程近い場所にある、女性用のシャワー室へと駆けこむ。
コックを捻って飛び出した水を頭から浴びながら、彼女はタイルの上に座り込んだ。
赤く染まった服がそれ以上の水分を含み、重さを増していく。
それに比例するように、コウの心もまた、深く重く沈んだ。

「馬鹿みたい…こんなの…八つ当たりだ…」

ベックマンも、シャンクスも、他の誰も悪くない。
もっと早く、異変に気付いた時点で言うべきだったのだ。
言わなかったのはコウの勝手だったし、原因を悟って口を閉ざすことを決めた事もまた、彼女の我侭だった。

「だって…おりたくない…っ」

か細い声はシャワーの音に掻き消される。
安全とは言えない船だからこそ、話したらおろされてしまうのではと思った。
船の上での治療なんて高が知れる。
本当に命にかかわるものだとしたら、シャンクスはそうするかもしれないと考えてしまった。
彼は…自惚れじゃなく、とても大事にしてくれるから。

「シャン、クス…」

水の雨の中で、消え入りそうな声で彼を求めた。
頬を伝ったのはシャワーの水滴か、それとも涙か。
















頃合いだろうと思って、コウの自室に向かったシャンクス。
しかし、ノックをして返事を待って…一向に沈黙のままの部屋。
痺れを切らして中をのぞけば、そこは無人だった。

「…どこに行ったんだ?」

能力者である彼女は、船から飛びだす事などできない。
船の中にいる事は確かだが、果たして自室のほかに彼女が駆け込むような場所があっただろうか。
そう考えたところで、シャンクスは記憶の彼女が血塗れだった事を思い出した。
そして、即座にシャワー室へと足を運ぶ。
ドアの向こうから、水の音が聞こえていた。

「…コウ?」

ここにいる事は間違いないけれど、返事はない。
答えたくないのか、それとも―――シャンクスの脳裏に、最悪の事態が過る。
その時の彼に迷いはなかった。
ドアを開けて踏み込んだそこ。
閉じられたカーテンの下から、タイルに流れる黒髪が見え、彼は自身の血が凍る思いをした。

「コウッ!!」

シャッと勢いよくカーテンを開き、服を着たままタイルの上に倒れるコウを抱き起した。
流れる水に乗る赤が、彼女の物なのかそれとも服からの物なのか、判断できない。
何度呼んでも瞼を開こうとしない彼女の身体は、浴び続けた水により体温を失っていた。
低すぎる体温にゾッとする。

「お頭!?」

異変に気付いたらしい仲間が呼んでくれたのだろう。
駆けつけた船医がすべき事を指示する。
そうして、慌ただしく時間が過ぎて行った。














名前を呼ばれた気がして、意識が浮上する。
薄く開いた瞼から光が差し込み、思わず再び瞼を閉じてしまった。
それから、慣らすようにゆっくりとそれを開き、状況を確かめる。
コウが今いる場所は自室のベッド。
何があったんだろうと考えるより先に、ベッド際のシャンクスが目に入った。
上げそうになった声を飲み込み、椅子に座って眠る彼の横顔を見つめる。
心臓の動きが落ち着きを取り戻し始めたところで、記憶を手繰り寄せていく。
シャワー室で血を流そうと思って―――その後、どうしたんだろう。
その先の記憶がないことを考えれば、自ずと答えは出る。

「…シャンクス」

小さく、小さく呼んだ名前。
けれど、彼の瞼はただ一度の声で、開かれた。
寝惚けるように瞬きをしたのは2回ほどの事で、コウと視線を合わせた彼の表情が安堵し、そして険しくなる。

「コウ、お前」
「具合が悪いって感じ始めたのは、ふた月くらい前。血を吐いたのは…ひと月前」

彼の言葉を遮るようにして、コウは話し出した。

「いつでもってわけじゃなくて、血を吐くのは決まって戦いの最中、もしくはその後。
この1ヶ月の間は海軍や海賊が多くて、戦いが続いていたから…原因を考えるのは、難しくなかった」

普段の日常生活では何ら問題はない。
それなのに、戦いの中で血を吐いたり、後になって身体が思うように動かなかったり―――そんな症状が出た。

「…原因は?」
「―――海色の、覇気」

目を伏せて紡がれた言葉に、シャンクスの顔色が変わった。
それに気付きながら、彼女はあえて言葉を繋ぐ。

「私の力が悪魔の実の能力に反発してる。治療薬のない毒の巣を飲み込んだようなものね」

そっと喉に触れれば、首に巻いたリボンの感触が手に伝わる。
心が軽くなったような気がしたけれど、それはあくまで心だけ。
現実的に何かが変わるわけではない。

「コウ」
「…何?船を下りたとしても、治療法なんてないよ。それに、私は―――」

続きが聞きたくなくて、だらだらと意味もない事を喋る。
そんなコウに、シャンクスが強い声でもう一度、彼女を呼んだ。
有無を言わさぬ声色のそれに、彼女は漸く唇を閉ざす。

「力を使うな。何がっても、だ」
「………もう、遅いよ。このところ、力を使った後じゃなくても…」

その先は、言うまでもない。
コウは唇を噛み締めて俯いた。
隠していた事はこれですべてだ。
さぁ、彼は何と言うのだろう。
心臓がドクンドクンと嫌な音を立てている。
1秒が1時間にも1日にも感じた。

「コウ」

シャンクスが呼ぶ。
時間をかけて顔を上げると、彼は困ったように微笑んでいた。

「この先、お前がどれほど苦しんで、もし船を下りたいと言っても…俺は、その望みを叶えねぇ」
「…シャン、クス…?」
「お前がこの船にいないなんて、耐えられそうにねぇからな」

大きな手が頬を撫でていく。
優しい手つきに、促されるように涙が零れ落ちた。

「だが、約束する―――絶対、助けてやるから。
この広い“偉大なる航路”の隅から隅まで探してでも、必ず治療法を見つける」

だから―――そう言う彼の顔は、涙で見えなくなってしまった。

「ここに、いてくれ」
「………うん…っ」

この発作に、恐怖がなかったわけじゃない。
隠し通せると思っていたわけでもない。
知られる事で彼の傍にいられなくなるかもしれない―――それが、何よりも怖かった。
ありがとう、と言う言葉は嗚咽で紡ぎ出せない
力強く抱きしめてくれる腕に、縋るような抱擁を返した。

11.01.22