Black Cat
赤髪海賊団

「急ぎの用じゃないなら明日にしてくれ。今は飲んでるからな」

こちらを一瞥して、スッと視線を逸らすシャンクス。
向けられた横顔が、コウを拒んでいることに、嫌でも気付く。
シャンクスに寄りかかる女性の姿なんて、見たくなかった。
でも本当は―――何よりも一番見たくなかったのは、自分の醜い感情。
見えない場所で拳を握り、表情に出さないよう努めた。

「―――ごめんなさい…」

それだけを言って走り出す。
言葉の後に驚いたように振り向いたシャンクスと目があったけれど、その場にい続けることなんてできなかった。













「コウッ!!」

一番大切で、何よりも大切な人の声が聞こえた。
それは同時に、一番聞きたくない声でもある。
咄嗟に路地の奥へと逃げようとしたコウは、立てかけてあった材木に足を引っ掛けた。
派手な音を立てて崩れるそれ。
下敷きにならないだけでも精一杯だった彼女は、近付く気配に気付くのが遅れた。
気付いた時には既に遅い。
腕を掴まれ、勢いのまま振り向かされた。

「―――いやっ…」

こんな姿を見られたくはない。
まるで子供みたいにボロボロと涙を零す様なんて。
彼に似合う女性になろうと頑張っていた今までの自分の努力が、全て水の泡と消えた気がした。

「コウ」
「離して…」
「コウ、俺は」
「離してっ!」

これ以上惨めな思いをさせないでほしい。
自由を許されている方の手で彼の手を引きはがそうとするが、枷のようにがっちりと手首を掴んで離れない。

「離してよ!!」

半ば叫ぶようにそう言って、コウは俯いてしまう。
もう、シャンクスを想うことに、疲れてしまった。
自分の感情をどう処理すべきなのか、わからない。
先の見えない闇に放り込まれたように、絶望にも似た感情がコウの心を支配した。

「…私、シャンクスからしたら子供だから…たくさん、迷惑をかけた。甘えてばかりだった」

彼が本気で拒めない人だと、本気で邪険にしない人だと知った上で、その優しさに甘えていた。
自分の感情を押し付けるだけしかできなかった自分は、子供以外の何者でもない。

「どうしていいのかわからなくて、あなたに追いつきたくて、私を見てほしくて…。
頑張ってみたけど、でも、やっぱり駄目だから…シャンクスの隣に、私は似合わない…っ」

そこまで言って、コウは息を吸い込む。
涙を止める術はないけれど、せめて最後はと、気力を振り絞る。

「…もうやめる、から」

だから、ごめんなさい。
溢れる涙をそのままに、コウは微笑んだ。





泣かせた、哀しませた、傷つけた。
何てことをしてしまったんだろうと、後悔と罪悪感が一緒になって襲ってきた。
泣かせたかったわけじゃない、哀しませたかったわけじゃない。

ただ、笑っていてほしかった。
彼女はまだ若く、もっと似合いの男がいる。
彼女を守り、愛し、そして笑顔を引き出せる男がいるはずだと、そう思っていた。
心のどこかで、一回りも二回りも歳の離れた親父を好だと言う感情なんて気の迷いなのだと、決めつけていた。
今まで自分は、一度も彼女の心と真剣に向き合っていなかったのかもしれない。
彼女が本気で惚れるべき相手は別にいる―――そう思って、信じて、彼女の心を無視した。
その結果が、これだ。





涙でボロボロなのに、尚も笑顔を浮かべるコウを見て、シャンクスの身体が動いた。
考えたわけではなく…それは、本能だったのかもしれない。
強引に彼女の腕を引っ張り、その腕を彼女の後頭部へと差し込んだ。
その勢いのままグイッと頭を引き寄せれば、彼女との距離はあっさりと縮む。
状況を理解できない彼女の目元から涙の粒が飛び出したのと、二人の唇が重なったのはほぼ同時だった。

「―――っや…!?」

呼吸を奪うようなキスの合間に零れる、拒絶の声。
それすら飲み込むかのように、貪るようにその唇に噛みついた。
力の入らない彼女の抵抗など、片手で抑え込めてしまう。
やがて彼女の膝が崩れたところで、シャンクスは彼女を解放した。
その細い腰を支え、呼吸を乱したまま胸元に寄りかかる彼女を見下ろす。

―――あの子自身があなたがいいと言うなら、信じておやりよ。少女だろうと、女は“女”なのよ。

バーの女性の言葉が脳裏を過る。
確かに、今腕の中にいる彼女は、間違いなく“女”だった。

「なん、で…こんなの…」

冷静な感情が戻ってきたのだろう。
コウは新たな涙を流し、唇を噛んだ。
そんな彼女を壁際へと追い込み、彼女を支えつつ退路を塞いで腕を自由にする。
その自由な手で彼女の顎を取り、グイッと持ち上げて視線を合わせた。

「悪かった」
「…っ謝るくらいなら、こんなことしないで…!」
「コウの感情を気の迷いだと思い込んで、受け止める振りをして聞き流した」

謝罪が先ほどのキスに対するものだと勘違いした彼女が声を荒らげた。
逃げようとする彼女を壁に押し付け、至近距離から目を合わせる。
懺悔にも似た言葉に、彼女が動きを止めて悲しげに眉を寄せた。

「お前にはもっと相応しい男がいると思ってた。こんな歳の離れた親父を好きになるなんて、おかしいだろ」
「…それでも、私は…っ」
「あぁ、ちゃんとわかった。お前は…俺がいいって言ってくれるんだよな」

シャンクスが微笑めば、コウは時間が止まったかのように静止した。
言葉の意味を理解するのに時間を要しているのだろう。

「コウ。俺でいいんだな?」
「―――シャンクスじゃないと駄目。シャンクスの傍にいたいっ。私は、シャンクスが…っ」

言葉の続きは、口付けられた口内へと消えた。
濡れた音を立てて唇が離れる。
シャンクスはコウと額を合わせた。

「俺も、お前じゃないと駄目らしい。傍に置いておきたい。コウ、愛してる」
「―――っ!」

一瞬、きょとんとした表情を浮かべたコウの顔が赤く染まる。
と、彼女の姿が消えた。

「…コウ!?」

額の熱が消え、視線を絡めた目が消えた。
驚いて彼女を呼んだシャンクスだが、下から聞こえた音により視線を落とした。
足元で蹲る黒猫は、彼女以外にはありえない。

「…おい、ちょっと待て。このタイミングでそれはないだろ!?」

腕を伸ばして彼女の身体を抱き上げるシャンクス。
心なしか、項垂れているように見えるのは気のせいではないのだろう。
人の言葉も喋れるはずなのに、彼女は「にゃー」としか答えない。

「ったく…まだ慣れないのか?」

諦めたように苦笑したシャンクスは、彼女がまだ不安定で、だから猫の姿になってしまったのだと思った。
真相は“なってしまった”ではなく、“自らなった”が正しいのだが、彼女はそれを伝えないだろう。
発熱したみたいに赤く染まる頬を見られるのは、これ以上ないくらいに恥ずかしかったらしい。
視線を合わせてはくれないけれど、大人しく腕に抱かれている彼女。
シャンクスは苦笑を浮かべ、船着き場に向かって歩き出した。

10.12.01