Black Cat
赤髪海賊団
「シャンクス、私を仲間に入れて」
風に短い黒髪と赤いリボンを揺らしながら、小さな身体をピンと伸ばして真っ直ぐに自分を見つめるコウ。
彼女の言葉を予想していなかったわけではない。
その唇から紡がれれば、やっぱり、と思った。
シャンクスは再会してからの、真綿で包むように大切に扱っていたその空気を消す。
そこにいるのは、大海賊団を率いる船長、赤髪のシャンクスだった。
表情はいつもの笑顔を消しただけで、睨みつけているわけでも何でもない。
それなのに、その空気がビリビリとコウの肌を刺激していた。
「…本気か?」
ルフィの言葉を笑顔で受け流していた時とは違う。
彼は、正面からコウの言葉を受け止めた。
その上で、問い返す。
「………本、気。もう二度と…あんな思いをしたくないから。自分の身は自分で守りたい」
始めの一言は、まるで喉に粘着性の何かが引っ付いているような感じだった。
けれど、話し出せば自分の決意ははっきりと言葉として口を飛び出してくる。
コウは幼いながらも譲れない思いを抱えていた。
「―――…決意は固い、か」
シャンクスはコウに見えない角度で口角を持ち上げる。
この目を見れば、迷いなどないと言うことくらいはすぐにわかっていた。
けれど、この幼い少女を海賊の道に引き込むには、様々な問題が目の前に横たわる。
まだ戻れる岐路に立っている彼女を、海賊に迎え入れてしまっていいのか。
「ベックマン」
事の由を無言で見守っていた副船長を呼ぶ。
彼は銜えていたタバコを口元から外し、何だ、と答えた。
「5日間、見てやってくれ。他の連中も使って良い」
「…あぁ、わかった」
彼が頷くと、シャンクスは再びコウと向き直った。
「5日間。やってみろ」
「…はい!」
「明日からな。今日は好きにしてろよ」
最後のところでいつもの笑顔を見せたシャンクスに、コウは緊張を解いて頷いた。
走り去る小さな背中を見つめ、はぁぁ、と長く溜め息を吐き出すシャンクス。
「お頭、あんたはコウを海賊にしたいのか?それともやめさせたいのか?」
「…どっちだろうなぁ…」
出来る事ならば、海賊などならず平和に生きてほしいと思う。
けれど、能力者である事などを考えれば、それは難しいのかもしれない。
―――自分の身は自分で守りたい。
そう言った彼女の気持ちは、痛いほどによくわかる。
シャンクスが彼女を救い出すまでの数年間、どれほどの孤独に耐えてきたのか。
過去を消す事はできない。
それならば、せめて未来は彼女にとって優しい世界であればと。
「…あの力に目覚めれば、海賊どころか海軍も放っておかないぞ」
「あぁ…わかってるさ」
「コウの平和を望むなら、あんたの傍に置いてやった方が安全じゃねぇのか?」
少なくとも、この赤髪海賊団の海賊旗の下にある人間には、海軍ですら迂闊には手を出せない。
白ひげがその名前で世界の多くの場所を守っているのと同じ事だ。
「とにかく、5日間見てやってくれ。覚悟のない奴を乗せるわけにはいかねぇからな」
明日から、コウの海賊体験が始まる。
「コウー!!帆の修理を手伝ってくれー!!」
メインマストの上から名前を呼ばれ、持っていたロープの束を肩に担ぎながらそこを仰ぐ。
ここだと手を振る彼に、大きな声で了解の返事をした。
そして、タタタッと軽やかに甲板を走ってロープを運び、マストへと戻ってくる。
彼女はひょいひょいと簡単にマストを登って彼の元へと辿り着いた。
「何するの?」
「奥の繋ぎ目が破れてんだ。わかるか?」
「んー…うん。わかった。どうすればいい?」
目視でそれを確認したコウは、自分の役割を聞く。
無知である事を理解し、決して先走ろうとはしない。
必ず指示を仰ぐようにじっと見つめる彼女の目は、楽しげに輝いている。
きっと、教えられる事、任せられる事、全てが彼女の好奇心をより駆り立てているのだろう。
「あの部分を柱から外して、こっちに手繰り寄せて修繕するんだ」
「向こうに行った方が早くない?」
「いや、危ないだろ」
確かに、海面に平行して伸びるヤードはマストよりも細い。
乗れば折れるというほどではないけれど、危険が伴う事は確実だった。
それを見たコウはあっさりとそのヤードの上を歩き出した。
「コウ!?」
「平気!」
途中からは慣れてきたのか軽く走り出す彼女に、頼んだ彼は声なき叫びを上げた。
そんな二人に気付いた甲板の仲間もまた、危ないやら何してんだやらと叫び声を上げる。
それなりに風もあるというのに、彼女は甲板を走るのと変わらない姿勢で目的の場所まで辿り着く。
そして、そこを外してメイントップへと帰ってきた。
「あぶ、危ないだろうが!!」
「?」
しっかりと腕を掴んでそう言われ、コウはきょとんと首を傾げる。
何故怒られているのかわからなかった。
「ったく…!」
口元を引きつらせつつ手早く帆の修繕を終える。
すると、彼女はそれを持って再びヤードを走ろうとした。
もちろん、彼からも下の仲間からも必死の様子で止められて、彼女は納得しないながらも甲板へと降りる。
「じゃあ、下におりてるね」
「あぁ、そうしろ―――って、何やってんだ―――!!」
下ならばこんな心臓の潰れる思いをしなくて済む、と胸を撫で下ろした矢先。
彼女が足場を蹴って甲板に向かって飛び、その場に居た全員がその行動に青褪めた。
しかし彼女は彼らの思いを他所に空中でくるくると回転し、ト、と足音を殆ど立てずに甲板に降り立つ。
「コウ―――ッ!!!」
一拍置いて、その場に居た全員に声を揃えて怒鳴られ、コウは思わず首を引っ込める。
よほど驚いたのか、その頭からひょこんと黒い猫耳が飛び出した。
ぺたりと耳を伏せ、その場にへたり込む彼女。
その目がゆるりと揺れた。
それを見た全員がハッと我に返るが、時既に遅し。
「おいおい、何の騒ぎだ?」
場違いに穏やかな声が聞こえ、コウは文字通り弾丸のように甲板を蹴った。
人波が割れ、それと同時に飛び込んできた彼女。
シャンクスは驚きながらもあっさりと彼女を受け止めた。
「コウ?」
自分の腹の辺りに縋りついたままの彼女を見下ろせば、その頭に生えた耳がピクリと動く。
顔を上げさせようと名前を呼ぶも、彼女はその小さな肩を震わせてイヤイヤと首を振った。
「どうしたんだ?なんか失敗したのか?」
コウに尋ねても埒が明かないと思ったのか、近くに居た仲間に声をかける。
ばつが悪そうな表情をしながらも、彼は今の状況を説明してくれた。
「―――で、全員で怒鳴って泣かせたわけか」
ったく、とシャンクスは溜め息を吐く。
「コウは猫なんだから、ヤードの上くらい普通に走るだろ。昔はいつも走って遊んでただろうが」
シャンクスの言葉に、誰かが「あ」と声を上げた。
ここ数日猫の姿を見ていなかったけれど、彼女は能力者だ。
猫のバランス感覚や習性を考えれば、先ほどの行動も無理からぬ所だったのかも知れないと気付く。
確かに、フーシャ村にたいざいしていた頃はよくルフィと一緒にマストやヤードの上で遊んでいた。
「ほら、わかったら作業に戻れって。コウは怒鳴られた事に驚いただけだ。だろ?」
確認するようにコウの頭を撫でれば、こくり、と頭が動く。
仲間たちは安堵の息を吐き、順番に悪かったな、という言葉を残して作業に戻っていく。
暫くして、コウが漸く顔を上げた。
「戻れるな?」
「…ん」
「お前に関しては心配性なんだ。あんまり無茶してやるなよ」
「…ごめんなさい」
おう、と返事をして、素直に謝った彼女の目元の涙を親指で拭う。
戻るね、と言う彼女に、シャンクスは笑ってその背中を押した。
「頑張れよ」
優しいエールに見送られ、うん、と笑って持ち場に戻っていった。
10.05.02