Black Cat
赤髪海賊団
もしかすると、勘違いなのかもしれない―――いや、勘違いであればいいと思っていた。
けれど、実際に檻の中で蹲るコウの姿を見たとき、何年ぶりに頭に血が上ると言う経験をした。
あっさりと彼女を檻から解き放ち、小さな身体に不似合いな枷を外す。
人の姿に戻ったコウは、シャンクスの記憶の中の彼女より少し成長していた。
けれど、ほっそりとした身体が今までの苦痛を感じさせ、思わず表情を歪める。
「…シャンクス…」
「あぁ、俺だ。わかるか?」
コウは自分の足で立ち、シャンクスを見上げる。
そんな彼女に目線を合わせるよう、シャンクスはその場に膝をついた。
彼女はその大きな目からボロボロと涙を零し、彼の首に縋るように抱きつく。
子供のように声を上げて泣き縋る以外に、感情をコントロールする事ができなかったのだろう。
コウは声を上げて泣き、やがて糸が切れたようにその意識を手放した。
息はしているし脈も正常。
少しやつれているけれど、それ以外は問題ない。
シャンクスはその唯一の腕に彼女を抱き、小さな部屋を後にした。
途中、商品を奪われまいとする男たちを一睨みで黙らせる。
「…本当だったのか…」
別行動でコウを探していたベックマンは、シャンクスが腕に抱く彼女に気付くなり眉を顰めた。
間違いであればいいと思っていたのはシャンクスだけではないのだ。
「引き上げだ。皆に伝えてくれ。俺は先に戻る」
「…了解」
いつもの穏やかさなど微塵も感じさせぬ、ぴりぴりとした空気を纏うシャンクス。
並の人間であれば、彼を視界に捉えてその意識を保つ事すら難しいだろう。
ベックマンでさえ、背筋に冷たい汗が流れていく。
「殺気の元はお頭か…」
「あぁ。先に戻るとよ。…俺たちも引き上げるぞ」
たとえばもう片方の腕が残っていたとしたら、シャンクスの進んだ道に並ぶのは屍だったかもしれない。
そう思わせるだけの殺気に、仲間の彼らですら僅かに身を震わせた。
商品という事もあり、丁寧に扱われていたようだ。
しかし、船医に見せればそれも表面上のこと。
衣服で隠れる部分には痣も残っていて、多少内臓も傷ついているだろうと診断した。
「…こんな小せぇ身体になんて事しやがるんだ」
シャンクスはコウの眠るベッドの傍らでそう呻いた。
目的は彼女だったから、それを達成した後あの船をどうしろとは言っていない。
引き上げてきた仲間が妙に遅れてきた事を特に言及する事もなかった。
その後、発熱を繰り返した彼女が目を覚ましたのは、それから四日後の事。
「いやああああっ!!!」
一日の大半はコウが眠る部屋にいた。
けれど、一日中彼女に付きっ切りというわけには行かない。
シャンクスが船長としてその部屋を離れていた時、事は起こった。
航路について打ち合わせをしていたシャンクスは、聞こえてきた悲鳴に地図から顔を上げる。
そして、その声が誰のものなのかを即座に理解し、走り出した。
「何があった!?」
部屋へと辿り着き、勢いのまま声をかける。
中にはコウを診ていたはずの船医だけがいて、彼女自身が眠っていたベッドはもぬけの殻。
「お頭…」
船医はそう言うと、部屋の隅を指した。
指差す方向へと視線を動かせば、黒い何かが動くのが見える。
本棚の陰になっていてよく見えないけれど、確かに動いた。
「…コウ、か?」
目を凝らして確認すると、隅に蹲っているのは小さな黒猫―――コウだ。
彼女は耳を伏せ、背中や尾の毛を膨らませながら逃げられるだけ逃げようとしている。
その首には不自然に緩んだ白い包帯が絡み付いていた。
「コウ」
手の届く距離でしゃがみこんだシャンクスは、無理に手を伸ばしたりはしなかった。
隅で身を縮める猫の目には大粒の涙が浮かんでいて、それが本物の猫ではないと教えている。
怯えた様子のコウは、三度目に名前を呼ばれた時、漸く金色の目をシャンクスに向けた。
「…シャン、クス…」
「あぁ、そうだ」
「…シャンクス」
「コウ。嫌なら引っ掻いていいからな」
そう言うと、シャンクスは漸く手を伸ばす。
伸びた手にビクリと毛並みを震わせるのが見えたけれど、彼女はそれ以上に逃げようとはしなかった。
彼の指がコウの背中に触れた瞬間、半ば本能的にその手に爪を立てる。
シャンクスは一旦動きを止め、コウ、と優しく名前を呼んだ。
やがて時間をかけて彼に手に頬を摺り寄せた彼女。
驚かせないように、怯えさせないように。
シャンクスはゆっくりとコウを抱き上げ、ベッドへと戻した。
皺になったシーツの上におろされると、コウは人の姿へと戻る。
彼女はやはり怯えた目をして、シャンクスの向こうにある部屋のドアを見ていた。
そこには彼女を案じた仲間が人だかりを作っている。
「コウ。すぐ戻るからな。ドアは開けておくから、何かあれば呼んでいい」
「…ん」
自分の言葉に小さな返事が返ってくると、シャンクスはドアの方へと向かう。
そして、仲間を連れてその部屋を離れた。
「お頭…」
「コウはどうなんだ?」
「あぁ、身体の痣は良くなってるな。首輪の痕も薄れてきたし、あれなら痕も残らないだろう」
首輪の痕を確認し、包帯を替えようとしたところで彼女が目を覚まし…その後はあの調子らしい。
船医の説明に、そうか、と呟く。
「怖がってるな」
「…無理もねぇよ、お頭。あいつらコウを村から攫ったらしい。もう二・三年前の事だ」
「…そうなのか?」
「あぁ、間違いない。連中に吐かせたからな」
船に乗り込んだメンバーが複雑な表情で頷く。
全てを諦めるには短く、耐えるには長い。
周囲は全て敵という船の中、幼い彼女に残った心の傷の深さは計り知れない。
「…今はお頭以外近付かない方が良さそうだな。皆にそう伝えておく」
「あぁ、そっとしてやってくれ。診る時は俺もつく」
そう言うと、船医が他のメンバーを連れてその場を離れる。
シャンクスは廊下の壁にもたれて長い溜め息を吐き出した。
「…あんまり自分を責めるなよ。この広い海でコウを見つけたこと自体が奇跡だ」
「…そうだな」
「とりあえずあんただけは大丈夫みたいだからな。コウに付いててやれよ」
ベックマンの言葉に背中を押され、シャンクスは彼女の部屋に向かって歩き出した。
10.04.07