Black Cat
赤髪海賊団

誰も助けてくれない。
この船の中にいるのは、人身売買の仲間とコウと同じく捕まった人たち。
中には人と形容して良いのか分からないような人もいる。
けれど、彼らと言葉を交わしたことはない。
黒猫の状態で首輪をはめられ、人の姿に戻る事が出来なくなった。
コウが口を開けば、既に恐怖に身を縮めている彼らを、より怖がらせることになってしまう。
彼女は檻の中で独り、小さな身体を丸めていた。


ある日、気紛れなのか何なのか、コウは檻ごと小さな倉庫に移された。
丸い窓が一つあって、そこここに木箱が置かれている場所。
コウの檻は窓の傍の木箱の上に置かれた。
小さな窓越しの風景は、殆どが海。
逃げた所で能力者である彼女が海に対抗する術はなく。
コウに出来ることは力の抜けた手をそっと伸ばし、ガリ、と窓ガラスに爪を立てる事だけだった。


その日、コウは窓の外に島が見えている事を知った。
この停泊が積荷の補充のためなのか、商品の補充のためなのかは分からない。
ぼんやりと港の様子を見ていたコウは、視界の端に映り込んだ赤に気付く。
何気なく視線を向け、目を見開く。

「あ…」

嘘、と声にならない声を零した。
その人は既に木箱の向こうに姿を消してしまっている。
コウは限られた窓の中で、必死にそれを探した。
そして―――見つける。
ゆらりゆらりと風を受ける海賊旗。
黒い海賊旗の中に浮かんだ髑髏の目には、三本の傷。
赤髪海賊団の船が、そこにいた。
それは、コウが先程見つけた人…シャンクスの姿が見間違いではなかったと言う証拠だ。

「―――…けて…」

ガリ、と窓ガラスに爪を立てる。
もう何度も爪を立てたそこは傷だらけだ。

「…助けて、シャンクス…」

ガリ、ガリ、ガリ。
小さな倉庫の中で、コウは必死に手を動かした。
とうの昔に捨てた筈の希望が見えたのだ。
やがてパキ、と言う小さな小さな音が聞こえた。
小さすぎるその音すらも、コウには希望の光のようだった。















「でけー船だなぁ。商船か?」

額に庇を作って、大きな船を見上げるシャンクス。
その後ろを通ったベックマンが、あぁ、と反応した。

「商船な…あながち間違いでもないらしいぜ」
「間違いでもない?」
「ものを売ってる事だけはな」

そう答えたベックマンの目に違和感を覚えたシャンクスが首を傾げた。

「…どう言う事だ」
「人売りの船だ」

吐き捨てるようにそう答えると、ベックマンは煙草を吹かしながら歩いて行く。
その船を視界に入れることすら不愉快だとばかりの態度だ。
なるほどな、と納得した様子で頷いたシャンクスは、再び船を仰ぎ見た。
この大きな船の中に、一体どれほどの人が囚われているのだろうか。
窓ひとつに一人、と考えても相当の数だ。

「………」

海賊旗を掲げている手前、人に常識を諭す立場ではない。
腑に落ちない感情を胸に抱きつつも、シャンクスはその船に背を向ける。
丁度その時、数ある窓のひとつがパリンと音を立てて割れたのだが、背を向ける彼はそれに気付かなかった。















船の男は、割れた窓に気付いても何も言わなかった。
首輪がはまっている以上、檻の中に居るコウには何も出来ないからだ。
いつもと同じ時間に食事を運んできた男。
船の商品は皆、日に1時間自由時間を与えられる。
もちろん監視がついていて、甲板以外の船の外に出る事はない。
その間もこの海楼石で出来た首輪がはずされる事はなかった。
決まった時間に与えられる食事は、コウにとっては生きるため以上の意味はない。
しかし、こんな状況ではどれだけ頑張っても半分を食べるのがやっとだ。
残してしまった食事から視線をはずし、割れた窓の外を見つめる。
港の端の端、三本傷を持った海賊旗は、まだそこにあった。


コウは悩んでいる。
自分が持っているものは本当に少なく、ないと言っても過言ではない。
そしてそれは、周囲の状況にも言えることだった。
何も出来ないに等しい状況で、彼女は悩んでいる。

しかし、方法はひとつしかないし、こんなチャンスも、今を逃せばないだろう。
奥歯を噛み締めながら、コウは自身の首に手を伸ばす。
手といっても猫の前足で、自分の首にそれを当てるのは容易な事ではない。
何度か試してみて、結局後ろ足を使ってそれを首から解いた。

それ―――シャンクスがくれた、赤いリボン。

お風呂の時以外は一度も外さず、大切に大切にしてきた宝物。
それに、自ら爪を立てる。
長いリボンの端を短く切る。
まるで、自分の身体に爪を立てるように胸が軋んだ。
半ば千切るように切ったそれを窓の外へと差し出せば、それはあっさりと船の近くを流れた風に乗る。
そのまま風に乗って飛ぶ先を、じっと見つめた。
小さな切れ端を視力の限界まで追う。
確立は低い、けれど試す価値はある。
コウは残りのリボンを窓の外に差し出した。
ふわり、と風がリボンを攫う。














シャンクスは、どうもあの船が気になっていた。
根拠を問われると答えられない。
けれど…彼の第六感が、あの船を意識させるのだ。
自分の船の甲板の上、木箱に乗って胡坐を掻いていた彼は、やはり大きな商船を見つめていた。

「…わけわかんねぇなぁ」

シャンクスが空を仰いだ。
ヒュォ、と風が吹き、彼のマントを揺らす。
その時、青く澄んだ空を何かが飛んでいった。
それが何なのかはわからなかったけれど、あの船の方から赤い何かが飛んできたのだ。
シャンクスは再び船を見た。
何かが飛んでくる。
蛇のように風に踊る、赤い何か。
まるで意思を持ってシャンクスを目指すように、それが飛んでくる。
彼は右腕を伸ばし、それを掴んだ。

「…リボン」

掴んだそれは赤いリボンだ。
端が不自然に千切れていて、先ほど飛んでいったものがリボンの切れ端だと気付く。
赤い布地に指を滑らせた時、シャンクスの脳裏に屈託なく笑う少女の笑顔が浮かんだ。


―――これ、ありがとう。
少し照れくさそうに、でも嬉しさを全面に出して笑う。

―――シャンクス!
顔を見るなり満面の笑顔を浮かべる彼女。

―――絶対会いに行く!だから…元気でねっ!
ボロボロに泣きながら自分たちの船出を見送る顔。


一時期拠点にした島で出会った、未来ある少年の隣で笑っていた少女。
いつの日か、ルフィと共に自分たちの場所までたどり着くと確信している。
この赤いリボンは、彼女の首に巻いてあげたものと酷似しているが、彼女のものである証拠はない。
けれど、彼女は可愛い黒猫になる悪魔の実の能力者だ。
可能性は、ゼロではない。

「お前ら聞け!!」

赤いリボンを握り締め、甲板の仲間に聞こえるように大声を上げた。

10.03.17