Black Cat
赤髪海賊団
大きな船の最先端。
セミロングの黒髪と、赤いリボンが風に泳ぐ。
意志の強い琥珀色の双眸はまっすぐに水平線を見つめていた。
「おーい、そろそろしけって来るから中に入れよー」
大好きな声が聞こえて、ぴょこんと耳が反応した。
黒髪の中にピンと立った、二つの猫耳。
振り向こうとしたところで、頭の上にぽすんと大きな手が乗った。
「また出てるぞ」
「むむむ…」
唸りながらも、頭を撫でてくれる手の感触にうっとりと目を細めそうになる。
気を抜くと喉を鳴らしてしまいそうで、はっと我に返って気を引き締めた。
しかし、そんなコウの心中など丸わかりの彼、シャンクスはくくっと笑う。
「ま、可愛いからって皆は喜んでるけどな」
よしよし、とまるで子供のように頭を撫でる彼。
子供じゃないと思っているけれど、きっと、彼にとっての自分はいつまで経っても子供なのだろう。
「しけるの?」
「時間の問題らしい」
シャンクスの手が離れ、コウは空を見上げる。
こうしていると天気が荒れるなど想像もできないけれど…航海士がそう言うのだから、間違いはない。
「いい天気なのになぁ」
「そうだな。久しぶりに晴れたな」
「泳いだら気持ち良さそう…」
「おいおい。それは俺に連れていけって言ってんのか?」
言外に含まれる願望に気付いたらしい彼が苦笑を浮かべる。
わかっちゃった?と首を傾げる彼女の頭には、相変わらず猫耳がちょこんと立っている。
仲間風に言えば「悶絶級の可愛らしさ」と言ったところか。
「また今度な」
「ほんと?」
「俺が嘘をついた事あったか?」
「…騙されてお酒飲まされた」
「いやあれは…海賊たるもの、酒の味くらいは知っとかねーとな!」
豪快に笑う彼も、多少は強引だったと思っているようだ。
あれから酒が嫌いになったと言うわけではなく、寧ろ好きになったのだからそろそろ水に流してもいいのだが…。
折角なので、このネタはもう少し持っておく事にしよう。
そう考えたコウの視界で、シャンクスの上着の袖が風に揺れる。
本来あるべき腕はそこにない。
ルフィのために失くしたその腕を、彼は一度だって悔やんだ事はなかった。
「次の島で泳いでやるよ。頭に乗せて、な」
「じゃあ“約束”ね?」
コウはそう言ってシャンクスを見上げる。
たまには騙されることもあるし、悪意のない嘘をつかれる事もある。
けれど、彼は約束だけは破らない人だ。
それを知っているからこそ、彼に約束を持ちかける。
シャンクスは笑って、おう、と頷いた。
「ほら、中に入るぞ。天気の読み方を教えてもらうんだろ?」
「はーい」
ひょいと甲板に降り立った彼女は、黒い尾をゆらゆらと揺らして歩き出す。
その尾が、首元の赤いリボンと同じタイミングで揺れているのを見て、彼は思わず笑ってしまった。
その笑い声に気付いた彼女が振り向き、首を傾げる。
「何でもないから気にすんな」
そう言って彼女の頭を撫でて追い越し、船内へと向かう。
腑に落ちない様子ではあったけれど、彼女も同じように彼の後を追った。
コウがこの船に乗ったのは、フーシャ村からではない。
彼女はルフィと共にシャンクスの船出を涙で見送った。
けれどその後、彼女はルフィと旅立つ前に村から連れ出される。
人身売買を目的としたその一団は、偶然にもシャンクスたちと同じ島に居合わせていた。
もちろん、彼らとて海賊なのだから、他人に人の道理を正すつもりはなかった。
知ってしまえば気分の良い物ではなかったけれど、関わるつもりはなかったと言っていい。
しかし、その中にコウがいたのだ。
奇跡のような偶然が重なり、シャンクスがコウの存在に気付いた。
その先は、あえて説明するまでもない。
彼女は無事シャンクスに保護され、赤髪海賊団に迎えられた。
船内に入ったコウは、前方に人影を発見する。
途端に、彼女は持ち前の瞬発力でその人物へと駆け出した。
「ベック!」
素晴らしい跳躍力を見せた彼女は、空中で猫へと姿を変える。
片腕で難なく彼女を受け止めたのは赤髪海賊団副船長、ベックマンだ。
「おう、どうした?」
「何も!」
飛んでみただけ、と目を細めた彼女は彼の手の平に小さな頭をこすり付けてから、その広い肩へと移動。
危なげなくその肩に座って、後から追ってくるシャンクスを振り向いた。
「おいおい、コウ。猫になるならこっちに来いよ」
シャンクスが期待に満ちた目で手招きをする。
コウはその手とベックマンを交互に見た。
彼女の心中を察し、ベックマンが小さく息を吐く。
「行ってやれよ」
「…潰される」
「流石に二度も同じことをするような人じゃねぇだろ。ほれ」
彼はコウの首根っこを掴んでぶら下げ、シャンクスの前に差し出す。
こうされてしまうと本当に手も足も出ず、コウは不満げな表情でシャンクスの前に吊るされた。
「…潰さないでね?」
「大丈夫だって!あん時は酔っててちょっと加減を間違えただけだからな!」
昔、優しく扱え、と言ったはずの彼に潰されそうになった事は、まだ記憶に新しい。
酔っていたとはいえ、小さな猫の身体を持つコウにはとても恐ろしい記憶だ。
それだけに、猫の姿でシャンクスに甘えるのは少し苦手意識を持ってしまった。
「ほら、肩に乗ればいいだろ」
そう言って、彼は右肩を差し出してくれた。
少しだけ悩んで、コウはそこに向かって前足を伸ばす。
その動きを察したベックマンが彼女をシャンクスの腕に乗せた。
「よし!落ちないように掴まってろよ」
「…爪立てていい?」
「え、あー…まぁ、落ちそうになったらな」
「冗談だよ!」
そんな会話を交えながら、二人が廊下を進んでいく。
その背中を見送るベックマンは、一人笑いを噛み締めた。
「…元気そうだな」
例の人身売買の一団から助け出した後暫くは、彼女は随分と怯えていた。
シャンクス以外の人間が近付く度にびくびくと怯え、部屋の隅に逃げていた彼女。
夜になると魘されるのだとシャンクスから聞いた時は、皆で空気を重くしたものだ。
彼女が船に乗って三ヶ月―――漸く、本来の笑顔を見せるようになった。
皆もできるだけコウを刺激しないよう努めていたし、何より励ますのではなく楽しませようとしていた。
しかし、一番大きく影響したのは…やはり、シャンクスなのだろう。
可能な限り彼女の視界にいて、どんなに怯えていようと笑顔を絶やさず接していた。
再会して初めての笑顔を見せた時、誰よりも安心したのはシャンクスに他ならない。
「副船長!2時の方角に嵐だ!!デケェぞ!!」
「そうか。気を引き締めてかかれよ!」
嵐の影響の大波で、船の揺れが大きくなる。
皆が嵐の接近を感じたのか、船の中が動き出した。
10.03.12