Black Cat
赤髪海賊団
「青キジ、“動かないで”」
声に力を載せて言葉を発する。
その気になればこの場にいる能力者全員を止めることができるけれど、コウはそれをしない。
自らに返ってくるリスクが高すぎるからだ。
一時的に能力を失う青キジに背を向け、ゆっくりと歩き出す。
名も知らぬ若い海兵の勇気ある行動が、シャンクスを間に合わせた。
これで―――戦争が終わる。
「―――“海声”のコウだ」
海兵の誰かがそう呟くのを横に聞きながら、コウはまっすぐ彼の元を目指す。
そして、コウはそこへと辿り着いた。
彼女は横たわるエースの傍らに膝をつく。
「………エース…」
まだ乾かない血が付いた頬に触れれば、コウの手が赤く濡れる。
その肌の下にはまだ熱が残っているけれど、徐々に失われているのを感じた。
「…また、会えるのを…楽しみにしていたのに…」
―――そーか!赤髪に助けてもらったんだな、よかった!!
屈託なく笑い、無事を喜んでくれた彼は、もういない。
二度と、その目は開かない。
コウの頬に涙が伝った。
男性として愛したわけじゃない、けれど、家族のように愛しい人。
過去の記憶がコウの脳裏を流れていく。
薄く笑みを浮かべる表情を見れば、彼が自らの死を受け入れていたことがわかる。
悲しいし、とても苦しいけれど…彼自身が受け入れたものを、否定はできない。
「さようなら、エース」
残る体温を忘れまいと、そっとその手を包み込んだ。
「…コウ」
エースと白ひげを弔う場所を求めて進む船。
甲板で風に当たっていたコウは、背中からの声に振り向かなかった。
声の主は彼女の隣に並び、その短い赤髪を風に揺らす。
「大丈夫。ちゃんと、受け入れる、わ」
涙は未だ、乾く素振りすら見せない。
子供のように泣き喚く声を忘れたコウは、ただひたすら、静かに涙を流す。
いっそ声をあげて叫んだ方がいいのに、彼女にはそうできない理由があった。
「我慢しなくていい」
シャンクスの手がコウの頭を抱き寄せ、自身の肩へと押し当てた。
いつもならば、シャンクスの左側がコウの定位置だ。
片腕を持たない彼を、咄嗟に守ることのできる位置。
けれど、今の彼はいつもとは逆の方にいる。
理由は一つ―――唯一の手を、彼女を抱き寄せることに使うためだ。
「…覚悟、決めてたんだって…わかってた。海賊だもの…可能性は、私だって…。でも…!
寂しい、悲しい、苦しい…!!エースがいないなんて、信じられない信じたくない!!」
どうして、なんて言っちゃいけない。
でも、思ってしまうのだ。
―――どうして、エースが死ななければいけなかった?
答えなんて、誰も知らない。
それでも理由をつけるのならば…彼が、海賊として生きることを選んだから。
「泣いていい。思い切り、泣け」
どれだけ大人と対等に渡る強さと知識を持っていても、彼女はまだ17歳だ。
家族以上に近い者の死を受け入れられないのは当たり前のこと。
それでも、それは乗り越えなければならない壁なのだと知っている。
泣いて泣いて、涙が枯れるほどに、泣いた。
濡らしたタオルを目元に乗せ、空を仰ぐ。
折りたたんだタオルは日差しを通さず、その優しいぬくもりだけを肌に感じた。
「…ルフィは…大丈夫かな…」
隣に座るシャンクスは、まだそこにいてくれる。
彼へとその言葉を投げれば、そうだな…と返事が返ってきた。
「身体は…死の外科医がもたせてくれると思う。でも―――」
彼の心は?
きっと、エースを失った傷は、コウ以上に深い。
立ち直ることができるだろうか。
そっとタオルを手で退けたところで、ぐいと顎を引かれて横を向いた。
視界に入り込むのはもちろんシャンクスだ。
その真剣な目に、きょとんとした自分が映る。
「今、お前を支えたのは誰だ?」
「誰って…シャンクス」
「それはそうだが、そうじゃなくて」
「…恋人?」
「それも間違っちゃいねぇが、もっと大きく見ろ」
いったい何が言いたいんだ。
少し眉を顰めつつも、シャンクスの言いたいことがなんなのかを考える。
シャンクスであり、彼が恋人であることに変わりはない。
それも間違いではないが、彼はもっと大きく見ろと言う。
「―――仲間…?」
「あぁ、そうだ。お前を支えたのは、この海を進んできたお前の仲間だ」
シャンクスもそうだが、今ここにいない彼らもまた、コウを支えている。
彼女がすべてを忘れて泣ける場所は一つだと知っているから、それを邪魔しようとはしない。
彼らの配慮があるからこそ、今のコウはシャンクスを独占している。
「そっか…ルフィにも、仲間がいるもんね」
心配はしてもいい。
けれど、そこから一歩踏み込むべきなのは、コウではない。
ルフィには、ルフィの仲間がいる。
苦楽を共にしてきた大切な仲間が、彼を支えるだろう。
「…うん。ルフィの…無事だけを祈ることにする」
赤く腫れた目でそう笑えば、上出来だ、とばかりにシャンクスの手がコウの髪を撫でた。
「ねぇ、シャンクス」
「ん?」
「もう一度…抱きしめてほしい」
駄目かな、と問う彼女に、シャンクスは苦笑する。
そして、答えを返す前に彼女の細腰を抱き寄せた。
「この腕はお前や仲間を守るためにある。だが、腕の中はお前専用だろ?」
「…それ、昔のシャンクスに聞かせてあげたい」
「お前…ここでそれはないだろ。いい加減忘れてくれよ」
「嫌」
言葉遊びのように軽やかな会話を楽しみながら、彼の胸元に額を寄せる。
まだエースの死を完全に受け入れられていないけれど、それでも。
この人の傍にいれば、きっと乗り越えていけるのだろう。
今はただ、彼の最期の時を笑顔で見送る時ができるように。
シャンクスの腕に守られ、心の準備をする。
船は変わらず、風に速度を任せて海原を進む。
10.08.11