Black Cat
ハートの海賊団

目を閉じるのが恐い。
海中を進む船の中、一日中太陽を見ない日だって少なくはない。
だから、夜が恐いとは思わなかった。
けれど、目を閉じて、意識を手放すのは恐い。
また、自分の知らない所で、何かを失ってしまう気がした。




ルフィの治療を終えて女ヶ島を出てからすでにひと月近くが経っていた。
船をつけた秋島で、久々に宿を取った一行は各々が自由に過ごしているのだろう。
先ほど町に向かう数人を見かけたから、もしかすると宿の中にはコウ以外は残っていないのかもしれない。

「―――綺麗な紅葉」

窓際に植えられた紅葉の赤が、太陽の下で見たシャンクスの赤髪を思い出させた。
それと同時に、先日の通話の内容を思い出す。






赤犬を止めたコウの能力は“海色の覇気”と言い、文字通りに海の性質の覇気が声に乗るというものであった。
赤いリボンは、突然やってきたオルガがコウに渡すようシャンクスに託したのだという。
幼いコウに説明することではないだろうと、今まで話していなかったことに対する謝罪が含まれた。
シャンクスの考えとして、赤いリボンが“海色の覇気”に何らかの作用がある可能性が高いという。
能力が安定している以上、そのリボンを大切にするようにと重ねられた。
シャンクスたちが詳細を調べたけれど、“海色の覇気”についての情報は少なかった。
スフィリア一族は“偉大なる航路”のどこかの島で密かに暮らしているという。
島を出ているのはオルガとコウだけだろうと、彼は言った。
オルガはこの覇気を自在にしていたと言い、コントロールすることはできると言う。
この能力は悪魔の実の能力者にとっては脅威であり、海軍や海賊が欲する能力でもある。
そうして、対“海色の覇気”として組織された、“海狩り”についても僅かながら情報を与えられた。

『この話を聞いた上で、もしお前たちの手に負えないというなら―――コウ、俺の船に来い』

全てを聞いて、不安がなかったと言えば嘘になる。
船に来い、というシャンクスの言葉は、少なくともコウを安心させた。
彼にはそれだけの力がある。
自分がこの船に乗っていることで、仲間の身を危険に晒すのであれば―――

「断る」
『―――守れるのか』
「言ったはずだ。俺のクルーだってな」
『―――そうか。なら、コウを頼んだ。俺たちにとって可愛い娘だ』
「…っシャンクス、皆!いつか、皆の所まで行くから!!」
『……あぁ、楽しみにしてるぞ』
『待ってるからなァ!!』『怪我せずに来いよ!!』












思い出すだけで、胸のあたりが温かくて優しい気持ちになれる。
幼い日、一年と少しの時間を共有しただけの関係だ。
それも、村を拠点としつつ航海していた彼らとの時間は決して多くはない。
それなのに、彼らはどうしてこんなにも。

「…会いたい、な」

電伝虫越しに声を聞いただけで、まるでホームシックになってしまったようだ。
少しばかり感じている不安が、懐かしさを倍増させる。
不安を感じる必要はないとわかっていても、ゼロにすることは難しい。

「―――コウ」
「!!!」

突然、部屋の入口からかけられた声に、コウはビクリと肩を震わせた。
いつの間にか開かれた扉の所で、枠に半身を預けたローの姿があり、鼓動が逸る。

「ろ、ローさん…」
「悪いな。何度かノックはしたんだが」

聞こえていなかったらしいな、と笑う彼に、思考の波に囚われていたことを知る。
先ほどの呟きは聞かれていなかっただろうか。

「外に出るぞ」
「え、あ…うん」

顎で促され、戸惑いながらも窓際に置いた椅子から立ち上がる。
約束していたわけではないけれど、彼の中ではすでに決定事項なのだろうと理解する。
着の身着のまま、歩く彼を追って辿り着いたのは窓から見ていた紅葉の木の下だ。
大きなそれは見上げてみれば太陽が透けて、やはり彼を思い出した。

「会いたいのか?」
「…聞こえてたんだね」

誰に、と説明されずとも、その質問の意味は分かる。
苦笑を浮かべるコウは、紅葉を見上げるのをやめてローへと視線を向けた。

「うん、会いたい。懐かしいから。…もちろん、いつか会えるって信じてるよ!」

だから、大丈夫。
その言葉に偽りはなかったけれど、本心でもなかったのかもしれない。
明らかに納得していない様子の彼に、コウは苦笑した。

「…ローさんの言葉を疑ってるわけじゃないの。ただ…怖いだけ」

紅葉の赤から連想したのはシャンクスだった。
けれど、赤から連想されるもう一つの“赤”が、コウの心臓を締め付ける。

「私、心のどこかでルフィやシャンクスや…エースは、死なないって思ってた。だって、皆強いから」

いつだって、この空の向こう、海の向こうのどこかで、楽しく笑いながら航海していると。
一緒にいられなくても彼らはきっと、今も楽しく海原を進んでいるのだと。
どんな困難があったって、彼らは強いから―――乗り越えて、進んでいくのだろうと。

「そう、思ってたんだけど…そうじゃないって、知ってしまったから」

今、目の前にある日々が、ずっと続いていくものではないと、知ってしまった。
この先に、大切な人を失うかもしれないと思うと、未来を見るのが怖い。
況してや、自分が原因であったなら―――そう考えるだけで、身体の芯が冷たくなる。

「ローさんがすごく強いこと、ハートの皆がすごく強いこと、ちゃんとわかってる。
今までだって、すごく助けられたし、守ってくれてるって、わかってるから。…だけど、それよりも…」

ルフィやシャンクスや、ハートの皆を失うことだって怖い。
けれど、それ以上に。

「私、ローさんを失うのが怖い…っ」

涙と共に飲み込んでいた不安が溢れた。









コウが不安を感じていることはわかっていた。
ローだけではなく、クルーの全員がわかっていることだ。
しかし、彼らは自分たちがいくつの言葉を並べようと、それを拭い去ることはできないと知っている。

―――キャプテン…コウのこと、任せた。

宿を出る直前、縋るように託されたその眼差しを、ローはしっかりと受け止めた。
海軍や政府、海賊に追われる身となったコウの不安を、あのやり取りだけで解決できるとは思っていない。
まずは彼女の話を聞いて、それからだ、と考えていた。

―――ローさんを失うのが怖い…っ

涙と共に告げられた言葉は、ローにとっては予想外のものだった。
エースの死がコウの不安を増強させていることは言うまでもない。
だからこそ、皆に危険が及ぶことを恐れているのだと考えていた。

「私のせいでローさんに何かあって、死、んでしまうなんてこと…絶対に嫌なの。
もしそんなことになったら私…息もできない…っ」

自分が死ぬことが怖い、嫌だと、ボロボロと涙を流す彼女。
その大きな目から零れ落ちる涙を指先で掬い取れば、伏せられていた金の目がローを映した。
この海を進む多くが彼女の敵になる。
そんな状況下で、自分の心配ではなく、ローの身を案じて涙している。

「ローさん、好き―――誰よりも、好きだから―――ずっと、一緒に生きていきたい…っ」

感情のままに溢れた言葉は、何よりも雄弁にコウの心の内を明かした。
再会したルフィに伝えた言葉は、あの時以上のより深い感情を伴ってローへと届いた。

「まったく、お前は…」

手の平を頬に添えて親指で涙を拭い取れば、コウは隙間を埋めるように自らの手を添えて手の平にすり寄った。

「俺は海賊だ。死なねェなんて約束はできねェが…お前と共に生きる覚悟はある」
「―――っ」
「不安を持つなとは言わねェ。だが―――ここに居ろ」

引き寄せられるままにその腕の中に飛び込む。
ローの言葉は少ないけれど、それ以上に声が、手が、目が、彼の感情を語る。
新たな涙を頬へと流しながら、言葉にならない声の代わりに何度も頷いた。

17.08.21