Black Cat
ハートの海賊団
熱、怒号、粉塵、爆炎、悲鳴。
奪おうとする者と、取り戻そうとする者と、逃がそうとする者と、追う者と。
ありとあらゆる業がうごめくその場所。
時間の感覚などとうに失われていて、それでも希望だけは捨てられなかった。
海楼石から解放された炎を見て、どれほどの者が歓喜しただろう。
そして―――
「愛してくれて………ありがとう!!」
「―――――ッ!!!」
声にならない悲鳴が喉を焼く。
勢いよく跳ね起きると同時に、身体を襲う痛みに背中を折った。
荒い呼吸は止まず、痛みと共に様々な記憶が脳裏に溢れ出す。
肩を抱いていた震える手が、自然と自身の頬へと動いた。
温かかったのだ―――最期に触れられたあの手は、温かかった。
「―――ッ」
叫びたい。
けれど、何を叫んでいいのかわからない。
噛み締めた唇から血が流れ、力を込めた指先が頬に爪痕を残す。
守れなかった、助けられなかった―――失った。
涙は止めどなく溢れているのに、喉が張り付いているかのように、声が出ない。
夢であればいい、けれど、夢でないことを知っている。
あのぬくもりがもう戻らないのだと、あの声を聞くことはできないのだと、知ってしまった。
身体につながった点滴の針をブツッと抜き、止血もせずに両手を握りしめる。
立てた膝に額を預ければ、涙でシーツが温く湿った。
奥歯が砕けのではと思うほどに歯を噛み締め、握った手をベッドへと振り下ろす。
どれだけ力を籠めようとも、ボスン、と小さな音を立てるだけの拳に、自らの無力さを知らしめられている気がした。
そのとき、振り上げた拳がぬくもりに包まれた。
「―――コウ」
失った彼の体温よりも低いそれに包まれ、やんわりとシーツの上に落ちる手。
「…、ロー、さ…」
絞り出すような声は、幾日ぶりのものだったのだろうか。
掠れていて声とも取れないそれと共に向けた目に映ったのは、もう随分と会っていなかった人で。
「無茶しやがって―――ほら、思う存分泣け。ただし、ここでな」
そう言って優しく腕の中に引き込まれ、一瞬だけ緩んでいた涙が再度溢れ出した。
「…っエース……エースッ!!!!!」
いくら絞り出そうと出なかった声は、まるで悲鳴のようでもあった。
船の一室から聞こえる悲痛な叫びに、船員たちは彼女の意識が戻ったことを喜ぶよりもその心中を思って胸を痛めた。
「キャプテン」
誰ともなく、代わる代わるその部屋の前にやってきていた。
声が止み、暫くしてからローが姿を見せる。
「コウは?」
「麦わら程、酷い怪我はねぇからな。目を覚ましたなら大丈夫だ」
「そうか、良かった」
ほっと胸を撫で下ろす彼の向こうから、恐る恐る声を出すベポ。
「ねぇ、キャプテン…コウは…」
「………さぁな。泣かせてはやったが…」
泣いて、泣いて、泣いて、彼女は糸が切れたように眠った。
彼女の意識が戻ったとき、ローは部屋の中にいたのだ。
飛び起きた彼女が何を思って涙を流し、声なき声を上げていたのかを理解し、すぐには動けなかった。
エースの存在は彼女にとってどれほどのものだったのか。
話を聞いていただけではわからないけれど、大切な者を失う痛みだけはわかる。
幼き日の自分を思い出し、ローは静かに瞼を伏せた。
カタリ、と物音が聞こえた。
普段であれば気にも留めなかったかもしれないような小さな音だった。
しかし、目を覚ましたローはその音が隣の部屋からのものであると気付き、ベッドから離れる。
自室を出て隣へと視線を向けると、不自然に開かれた扉が目に入った。
押し開いたその室内に人の気配はなく、ベッドはもぬけの殻。
再び引き抜かれた点滴の針だけが、音もなく揺れていた。
「………」
クランプを閉じて点滴の針を処理し、ふぅ、とため息を吐く。
こんな夜更けに彼女はどこに行ったのか―――おそらくそれは、考えるまでもないのだろう。
ローは静かに船を後にした。
月が静かに見下ろすその島の中で、破壊音が響く森の中。
その音を頼りに、コウはゆっくりと進んでいた。
「船に戻ったら怒られるかな…」
再び意識を取り戻した時に、ローが現状を説明してくれた。
その中にはここがどこなのか、ルフィはどうしているのかも含まれていたのだ。
ルフィの話を聞き、コウはいてもたってもいられなかった。
安静だ、と重ねたローが彼女の心中を察していなかったとは思えない。
「ごめん、ローさん。それでも、私は―――」
激しい音が近くなってきた。
その轟音が、彼の心の中を表しているような気がする。
ポロリ、と涸れたと思った涙が頬を伝った。
涸れるはずなどない―――どれほど涙しても、まだ足りない。
「お前さんは―――」
「………ルフィは?」
すぐ向こうで大きな木がなぎ倒されていく。
そのふもとにルフィの背中を見つけ、それを見守っていた大きな人にそう問いかけた。
あの戦いの中、ルフィと共にいたこの人は警戒対象ではない。
お互い、あの混乱の中で顔を合わせただけの繋がりだが、それ以上の関係は必要ないと言えた。
「…あの調子じゃ」
「………」
ズゥゥン、と別の木が倒れていく。
彼は満身創痍の身体にどれほどの過酷を強いれば、身体の中に燻る感情を消化できるのだろうか。
理性を失った獣のように荒ぶるルフィを見て、コウは悟った。
「―――声はかけて行かんのか?」
「…ルフィを掬い上げられるのは、私じゃないと思うから」
コウはそう言って自分の手を見下ろした。
そう、彼に手を差し伸べるのは、自分の役目ではない。
手と言わず腕や身体のいたるところに巻かれた包帯を見下ろし、それを巻いたであろう人を想う。
まだ涙は溢れているけれど、それでも前を向いている。
そうしてコウが歩き出せたのは、彼が居てくれたからだ。
「…ルフィを見守ってくれてありがとう。もう少しだけ…よろしく」
そう言って儚い笑みを一つ残し、ルフィの叫び声に背を向けた。
無言のまま、遠くなる音を聞きながら船への道を辿る。
そのとき、不意に感じた気配に、足元へと落としていた視線を上げた。
「―――ローさん…」
「………帰るぞ」
ばさりとコートをかけられてから初めて、自分が病衣だけでここまで来ていたことに気付いた。
歩き出すゆっくりとした足取りのローの隣に並べば、乾きつつあった涙が新しく溢れてくる。
涙に歪む視界で空を見上げ、もうほとんど声も聞こえなくなったルフィを想う。
どうか、ルフィが早く仲間の元へと戻れますようにと―――そう、願わずにはいられなかった。
17.06.01