Black Cat
ハートの海賊団
まさか、はぐれるなんて思わなかった。
スフィンクスによってレベル2から落とされている間に、妙な所に引っかかってしまった。
今更レベル3へと繋がる穴を飛び降りるのは不可能だ。
どうしよう、と悩んだコウの目に飛び込んできたのは通気口。
猫の姿であれば十分の通る事のできるそこに、コウは迷いなく飛び込んだ。
他の二人はどうだか知らないけれど、ルフィは無事だ。
彼はゴムだから打撃…落下の衝撃も致命傷にはならない。
二人の目的はエースを救出する事にあり、はぐれたからと言って互いを探す暇などない。
ルフィは大丈夫―――心配を振り切るように、通気口を走る。
チリリ、と励ますように鈴が鳴った。
ピクリと人よりも優れた嗅覚が覚えのある匂いを嗅ぎ取る。
少しだけ悩み、コウは枝分かれする通路を折れた。
明かりが見えて迷わず小さな身体で飛び出していく。
廊下の上部についていた通気口から出た彼女は、そのままくるりと身体を回して床へと着地した。
そして、残る匂いを辿って走り出す。
その先に思い描いた通りの背中を見つけ、にゃあ、と鳴き声をあげた。
声に気付いた彼女―――ハンコックが振り向き、視線を動かす。
「帰ってきたか。良かった」
足元へと駆け寄れば、彼女は細い腕を伸ばしてコウを抱き上げる。
彼女の腕には似合わない分厚い手錠がじゃらりと音を立てた。
「ん…?何だ、その猫は?」
ハンコックの行動に気付いた巨漢がコウを見下ろす。
見覚えのない人物にコウが目を細めた。
この男、鼻につく臭いがする。
「ハンコックの猫だ」
彼女の代わりにモモンガが答えた。
彼の目がコウの首輪を見つめる。
既に海楼石となる部分は外してあるものの、内側になっている部分なので気付かれはしない。
モモンガの答えで満足したのか、一行はリフトに向かって進み出す。
ハンコックは腕の中のコウを見下ろした。
ルフィの事を聞きたいと思うけれど、この場でその名を口にする事はできない。
視線だけで会話が出来ればいいのに、と言葉しか意思の疎通が出来ない事を歯がゆく思う。
「随分長い散歩をしていたようじゃの。ここは荒くれ者の住処じゃ。―――大事はなかったか?」
そう問いかけ、コウの頬を撫でる。
猫らしくなく、彼女はじっとハンコックを見つめ、にゃあ、と答えた。
それが肯定であると、ルフィは順調に進んでいると、伝わればいい。
眼差しに思いを込め、ハンコックを見つめる。
「…そうか」
わかった、と言う返事はない。
けれど、コウの思いは正しく伝わったようだ。
自分の意思とは関係なく、降下する床。
やがて、リフトはレベル6へと到着する。
そこは、噎せ返るような血の臭いがする場所だった。
ハンコックの腕を降りたコウは、彼女のスカートの邪魔にならない位置を歩く。
その隣を進むサロメが時折コウを気にするように顔を近づけてくる。
多少なりとも仲間意識を感じてくれているらしい。
不意に、コウの足の動きが弱くなる。
彼女が見つめる先には、一つの牢があった。
その中に囚われている人物が見え、コウの足はいよいよその動きを止める。
ハンコックが気遣うような視線を向けていたけれど、周囲の目を考え何も声をかけなかった。
「俺に何の用だ」
声が、聞こえた。
懐かしい、懐かしい声。
もう何年その声を聞いていないだろう。
彼がフーシャ村を出るよりも早く、コウは島から攫われた。
懐かしさのあまり、涙が出そうになる。
コウはふるふると首を振り、自身を叱咤して走った。
タタッとハンコックの足元をすり抜け、牢の間際で足を止める。
そんなコウに気付いたエースの目が大きく見開かれた。
「お前…」
「わらわの猫じゃ。可愛かろう?」
迂闊な事を言う前に、ハンコックが言葉を重ねた。
記憶のコウと瓜二つだ。
しかし、何故彼女がここにいる?
ハンコックの言うとおりに、猫として飼われているとでも言うのか。
エースは事実を見極めようとコウを見つめる。
声を発したいけれど、それは許されない。
やがて、マゼランたちの目がハンコックとコウから囚人たちへと向かう。
その隙に、ハンコックが牢へと近付いた。
彼女はただ一言、ルフィが来ていると伝える。
即座に牢に背中を向ける彼女、コウはちらりとマゼランたちを見てから、もう一度エースを見た。
「助けるから待ってて、エース」
「お前やっぱり…!」
猫の姿のまま、コウはエースに向かって頷いた。
エースにも、話したい事が沢山ある。
今この場所で再会を喜ぶ事はできない。
絶対助ける―――コウは、その決意を深くした。
「ガープよ。貴様、コウという娘を覚えているな」
確認などと言う温い質問ではない。
確信を込めた言葉に、ガープの表情が真剣みを帯びる。
「相変わらず…。どこから情報を仕入れてくるんじゃ、全く…」
「名を上げ始めている小娘一人、本来ならば不必要に調べたりはしない。だが―――」
センゴクが一枚の紙をバンッと机にたたきつけた。
それは、擦り切れた手配書。
中心に移っているのは黒髪の女性だ。
それを見たガープがピクリと反応する。
「スフィリア・オルガ。知らんとは言わせんぞ、ガープ!!」
「あ奴は有名じゃ。当然、儂も知っておるわい」
「惚けるな!黒爪のコウはスフィリア・オルガの娘!!何故教えなかった!?」
声を荒らげるセンゴク。
パキッと煎餅をかじる音が異様なほどに響いた。
「親がどんな人間であろうと、子供の未来は自由じゃ。制限する権利がどこにある」
「貴様はそれでも海軍か!」
「人の親としての良心じゃよ。コウも、儂にとっては大事な孫に変わりはないわい」
血の繋がりがなかろうと、ルフィ同様に孫として大事に育ててきたのだ。
そんなコウを、どうして海軍に売る事ができようか。
どれほどの富を約束されようとも、そんな気持ちはなかった。
ガープの迷いも後悔もない態度に、センゴクは額を押さえて首を振る。
「“海狩り”が動くぞ」
「!連中は解散したはずじゃろう!?」
「一時的に活動していなかっただけだ」
センゴクの言葉にガープは拳を握った。
しかしそれ以上何も言えず、拳を解いて顔を覆う。
浮かぶのは、ルフィの隣で笑っていた少女の姿。
自分に出来る事はもはやここまで。
「黒爪のコウを思うなら、奴らが再び動き出す前に保護させるべきだったな、ガープ」
センゴクの言葉が身体の中に鉛を残していった。
10.06.05