Black Cat
ハートの海賊団
「……………」
天候を確認しようと甲板に出たローは、そこに見えた光景に瞬きをした。
甲板のど真ん中で、ぐたりと伸びる黒い何か。
床の上に流れる赤いリボンが、“それ”が何かを教えてくれていた。
焦るでもなくのんびりした足取りで歩きだした彼は、床板の上に寝転がるそれの近くで足を止める。
そして、じっとそれを見下ろした。
わかりにくいけれど、上下に動いていることを確認し、ふぅ、とため息を吐きだす。
「ん?どうした、キャプテン?」
甲板の真ん中で立ち尽くしているように見えたのだろう。
何か困ったことでも?と偶々通りかかったクルーがローの背中に声をかけた。
ひょいとその隣に並んだ所で、ピタリと足を止める彼。
「何だ、コウ。こんな所で昼寝か?」
スヤスヤと暢気な寝息を立てているのは、この船の最少年であり紅一点のコウだ。
黒猫の姿のまま、だらりと四肢を投げ出して甲板の上で伸びている。
こんなに近くに人がいても気付いていないらしい彼女は、相変わらず心地よさそうに寝息を立てていた。
一応包帯が取れた彼女だが、怪我により消耗した体力は回復していない。
それを補うように、暇さえあれば眠っている彼女の姿は、船のあちらこちらで確認できた。
こんな風に甲板のど真ん中で無防備に倒れているのは初めてだが。
「でも、こんな所で寝てたら危なくねぇか?」
「あぁ、そうだな」
そろそろ昼食の時間だ。
この陽気な天気なら、誰かが甲板で食事を、と言い出すだろう。
そうなれば、準備にバタバタと忙しくなる甲板で眠るのは、小さな猫には自殺行為。
踏みつぶされてもおかしくはない。
尤も、そうなるまで寝ていられるような静かな賑わいではない。
「キャプテン、部屋に連れてってやった方がいいんじゃねぇか?」
「だろうな。…お前が連れてってやったらどうだ?」
「え?や、俺は…ほら、準備があるからな!」
思わぬ提案だったのだろうか。
クルーはふと視線をさまよわせ、テーブルを運び出してくる仲間を見てこれ幸いと声を上げる。
不自然さは否めないものの、準備が始まることも事実。
溜め息を一つ吐き出したローが腰を屈め、ひょいと黒猫の身体を抱きあげた。
日光を浴び続けた毛並みは、ほこほこと温かい。
相変わらず起きようとしない彼女を片腕で抱き上げて、ローが船の中へと戻っていった。
そんな彼らの横を通り過ぎたクルーの一人が、甲板で二人を見送った彼の元へと歩く。
「お前、猫好きじゃなかったっけか?」
「いや、そうなんだけどな。…コウって、人が近付くと起きるだろ」
「あ、そうだったな。お前があと一歩近付けば起きたよな」
「いいなぁ、キャプテン。あんだけ近付いても起きないんだよなー…」
「仕方ないって。付きっ切りで手当てしたのが船長なんだからよ」
羨ましそうに閉じられた船室への扉を見つめる彼に、仲間の同情めいた励ましが向けられた。
「…んにゃ…」
抱えていたコウから小さな鳴き声が聞こえた。
腕の中でぐぐっと控えめな伸びをした彼女は、やがてゆっくりと目を開く。
焦点の合わない金色の眼が宙を彷徨い、程なくして自分を見下ろすローに固定された。
「…ローさん?」
「起きたか」
「……………んー…うん」
暫くぼんやりとしていたコウは、ごそごそと腕の中で姿勢を直し、トンと床に下りる。
その時には人間の姿に戻っており、少し寝乱れた髪を手櫛で整えていた。
強張った身体を伸ばす仕草は猫のときのそれを思い出させる。
「…所で、私は何でこんな所に?」
あともう少しで船室、と言うところまで来ていた。
甲板で寝ていたと言う所までは覚えているのだが、そこから先、起きる所までの記憶がない。
寝ていたのだから無理はないけれど、自分の事なのにわからないと言うのはあまり気持ちの良いものではない。
「甲板なんかで寝てるからだろうが。踏み潰されたかったのか?」
「踏み潰される?」
そう首を傾げたコウの耳に、バタバタと廊下を走ってくる足音が聞こえた。
思わずそちらに視線を向けると、今まさに角を曲がってきたばかりのクルーの姿が見える。
その腕には大きな木箱が抱えられていて、蓋の上には出来上がった料理が大盛で一皿。
「あ、船長にコウ!もうすぐ準備できるぞー!」
追い越し様に元気にそう言い残し、足音荒く甲板へと走っていく背中を見送る。
言葉で説明されるまでもない。
「…アリガトウゴザイマス、ロー船長」
あんな大きな荷物を運びながら甲板を移動していれば、踏み潰されても不思議ではない。
いつまでも寝ているとは思わないけれど、ありえないとは言い切れないのが事実だ。
軽く口元を引きつらせた彼女を見て苦笑を浮かべたローが、ぽんとその頭を撫でた。
「好きに寝て構わないが、あんまり危ないところで寝るなよ」
「はぁい」
「目が覚めたなら、甲板に行って手伝って来い」
「了解、キャプテン」
ピッと手を上げて敬礼してみせると、コウはローが歩いてきた道を駆けていく。
チリリ、と首元の鈴が響かせる音も、次第に小さくなっていった。
一旦自室に寄ってから甲板に戻ったロー。
コウは既に準備メンバーの中に馴染んでおり、時折甲板で転寝していた事をからかわれていた。
感情豊かにクルクル動き回る様子は、いつまで見ていても飽きない。
陽気な太陽の下での昼食が始まるまで、あと数分。
翌日。
甲板で数人のクルーが額に手で庇を作って何かを見上げている。
そんな場面に遭遇したローは、彼らの様子に首を傾げた。
同じように彼らが見上げている所に目を向けて、その行動に納得した。
「あ、キャプテン。丁度いいところに」
「…何だ、アレは」
「いやー…どうも寝てるみたいで。確かに、踏まれる心配はないがな!」
「だからと言って見張り台はないだろ…」
マストに作られた見張り台の所からちょろりと垂れ下がる黒い尻尾。
この船の中で尻尾を持っているのは二人。
内一人は熊なので、垂れ下がるような長い尻尾は持ち合わせていない。
となれば、残るは一人。
確かに踏まれる心配はないけれど、今度は落下の心配がある。
猫だから落ちても大丈夫なのかもしれないが、能力者にどこまで動物の本能が備わっているのか。
何でこう妙なところで寝たがるんだ―――ローは溜め息を吐きながら眉間を押さえた。
09.07.27