Black Cat
ハートの海賊団
コウが助けられた船は、ハートの海賊団と言うらしい。
彼女の手当てをしてくれた人―――それが、トラファルガー・ロー船長。
船は、偉大なる航路を進んでいる最中らしい。
これらは、コウを助けてくれたと言う熊、ベポから与えられた情報だ。
能力者なのか、それとも生まれつきなのかはわからないが、人語を操る熊だ。
同じ動物同士気が合うのか、コウはベポに一番よく懐いた。
瀕死の彼女を船まで運び、船長に治療を頼んだ本人なのだから、警戒する要素がなかったと言うのも一つだろう。
とりあえず傷が塞がり始め、毎日の点滴が必要なくなった頃。
コウは定位置となった箱の中で安静第一の生活を送っていた。
そんな彼女がピクリと耳を動かす。
優れた聴覚が足音を拾ったのだ。
顔を上げてドアを見つめること10秒と少し。
ドアノブが動き、この部屋の主が姿を見せた。
「コウ。起きてるか?」
「うん、ローさん」
ベポから名前を聞き、その後、本人の口からもその名前を聞いた。
“船長”と呼ばないのは、彼女はこの船でお世話になっているだけだからだ。
傷が癒えれば、いずれは別れる人たちなのだと理解するためにも、船長と呼ぶことを避けていた。
ローが戻ってきたことに気付いて顔を上げた彼女だが、箱から出ようとはしない。
と言うより、顔以外を動かそうとはしなかった。
怠けているわけではなく、ローに「傷が開くから不必要に動くな」と叱られたからである。
小さな身体には大きすぎた傷は、少しの動きでも開いてしまう。
他の船員から、「船長は無理をすれば傷が綺麗に治らず残ってしまう事を気にしてるんだよ」と聞かされた。
それからは、一日の大部分を寝心地のよい箱の中で過ごすようになったのだ。
「痛みはないか?」
「大丈夫」
短く答えれば、彼はそうか、と言ってその大きな手で彼女の頭を撫でる。
成猫とそう変わらない大きさのコウだが、猫の頭は小さい。
大きさに合わない彼の手で頭を撫でられると、意識していなくても喉がゴロゴロと鳴った。
そんな彼女を見て、彼は小さく笑う。
「お前に土産だが、その前に―――」
ローはそう言うと、傷に障らないよう気をつけながら彼女の身体を抱き上げる。
そして、そのまま床に座らせた。
「戻っていいぞ」
彼の言葉に、コウは一度頷き、意識を集中させる。
もう痛みはないけれど、やはりそこに傷があることに変わりはない。
少しだけ時間をかけて人間に戻った彼女は、寝乱れた髪を手の平で撫でた。
「戻ったけど…?」
わざわざ戻らせたと言う事は、それ自体に何か意味があるのだろうと推測する。
「お前、村から連れ出されて何年になる?」
「んーと…2年…3年、かな」
壁にかかっているカレンダーの暦から年数を導き出す。
答えを出した彼女に、彼はそうか、と呟いた。
「幼馴染の名前はルフィ、っつったな」
「うん」
「モンキー・D・ルフィか」
「知ってるの!?」
紡ぎだされた彼のフルネームを聞いて、コウは目の色を変えた。
驚くコウに、ローが丸めて腰に挿していた新聞を差し出す。
それを受け取った彼女は無言で促す彼に従い、新聞を開いた。
同時に、ひらり、と舞い落ちてきた複数の紙。
咄嗟に、ごめんなさいと呟いてそれを拾った彼女は、そのままの姿勢で固まった。
表情を驚愕一色に染めた彼女は、数秒経っても動こうとしない。
「―――間違いはないらしいな」
コウが拾い上げた紙は、WANTEDと書かれた手配書だ。
海軍が発行する、海賊の手配書。
そこに映っていた屈託なく笑った青年は、顔立ちこそ少し大人びているものの、見紛うことなどない。
「ルフィ…」
彼が、そこにいた。
「名前を聞いた時からもしかしたら、とは思っていたが…当たりか」
ガタン、と音を立てて引いた椅子に腰掛け、ローがそう呟く。
組んだ足の上に絡めた手を載せて、悪戯に指を遊ばせる。
床に座り込んだままの彼女は、手配書を見下ろしたままだ。
ただ、その指先だけは、まるで確認でもするかのようにゆっくりと写真を撫でる。
「…そっか…。ルフィ、村を出て…頑張ってるんだね」
村から出ていないならば、この手配書が発行されることなどありえない。
フーシャ村を出て、航路を進んで、名を上げて―――そして、彼は“ここ”にいる。
「あんまり嬉しくなさそうだな」
コウの表情を見ていたローがそう告げる。
その声に、彼女はそっと苦笑を零した。
「何だか…知らない人みたい。ルフィに間違いないってわかるのに…変だよね」
歩き続けているルフィと、あの日から立ち止まったままの自分。
既に、彼は遠いところに行ってしまったかのような…そんな錯覚すら起こしてしまった。
他の数枚の手配書にも目を通す。
ルフィの写真は違う場面らしいが、他のものはどれも同じような写真状況だ。
きっと同じ海賊団なのだろう―――ルフィがそこに含まれるのかはわからないけれど。
「そいつらは全員麦わら一味だ。ルーキーの中でも屈指の賞金だな」
今回の一件で賞金が跳ね上がりやがった。
ローはそう呟いた。
「今回の一件?」
「…エニエス・ロビー壊滅。まともな海賊なら、避けて通る所をぶっ潰したんだよ」
エニエス・ロビーの名を聞いても今一ピンと来ない様子の彼女に、彼はそう説明した。
そう…と返事を返した彼女は、そのまま手配書を見下ろす。
「会える?」
「すぐには無理だな。航路が違う」
新聞と言うのは便利なもので、麦わらの一味が辿ってきた航路がつらつらと並べられている。
無数にある航路の組み合わせの中から、一つの海賊を見つける事の難しさ。
海原の広さを思えば、それは当然のことだろう。
ローの言葉に、コウは肩を落とした。
「…そっか」
また、だ。
ローは彼女の表情に軽く眉間に皺を刻んだ。
先ほど『嬉しそうに見えない』と言ったのも、この表情が理由。
年齢に似合わず諦めたような表情は、彼女の持つ陽だまりのような空気すらも消し去っていた。
「―――俺と来るか?」
その言葉に驚いたのは彼女だけではない。
気が付けば、そう口走っていたロー本人もまた、自分の発言に驚いていた。
「…仲間に、って事?」
「あぁ。このまま進めば、シャボンディ諸島で航路がぶつかる。運が良ければ会えるだろうな」
彼女が頷きやすいように言葉を進める。
諦めていたとしても、写真を見下ろす彼女の目は『会いたい』と訴えていた。
それを出せば彼女が頷くとわかっていて、言葉を紡ぐ。
「………ルフィに会いたいから、船に乗せてほしい。こんな不純な動機でも、頷いていいの?」
金を払って乗せてもらう客船でもあるまいし、そんな便利屋のようには扱えない。
コウは彼の誘いに頷くことを躊躇っていた。
「麦わら屋に会ったら、船を下りるか?」
「…わからない」
いつか彼と一緒に海に出るのだと夢見た日もある。
けれど、それはいつの間にか、夢だったと言う過去形の話になってしまった。
コウにはもう、彼との未来を思い描けないのだ。
「どの道、海のど真ん中に能力者を放り出すほど非道じゃないからな。好きな所まで乗っていけばいいが…。
そうなるなら、ただ乗りよりも仲間として働いてくれる方が助かるんだが?」
どうする?と問いかける彼は優しいと思った。
好きな所までと言う逃げ道を用意しながら、頷く理由すらも渡してくれる。
ここまで言ってくれるのならば、その優しさに甘えさせてもらおう。
コウは大きな目に彼を映し、強く頷いた。
「よろしく。ロー船長」
返事の代わりに、刺青を刻んだ手が頭を撫でてくれる。
乱暴なのにどこか優しくて、コウは漸くその顔に笑みを見せた。
09.06.25