Black Cat
ハートの海賊団
ハートの海賊団に保護された五日後。
寝続けなくても良くなったところで、部屋に入ってきたローがコウを呼ぶ。
とはいっても、絶対安静と言ってある彼は、彼女を呼び寄せようとしたわけではない。
意識をこちらに向けさせるためだけの呼びかけに、コウは顔を上げた。
「お前を連れてきた奴が会いたがってるんだが…どうする?」
「私も会いたい!お礼、言わないと…」
お願いします、と頭を下げた彼女に、彼はそうか、と頷いた。
「驚くなよ」
「?」
この数分後、コウは彼の言葉の意味を理解した。
「う、わぁ…」
驚きではない。
表現するならば、彼女の反応は“感動”だ。
いや、“感激”でもいいのかもしれない。
その目はとても生き生きと輝いており、隣のローの存在に気付いているのかさえ危うい。
ただ、そこにいる熊―――ベポの姿に、目を輝かせていた。
「ね、触っていい?」
窺うようにベポを見上げて問いかけたコウ。
あからさまに驚くか、人ならぬものに警戒するか。
大きく二つに分かれる反応ばかりに直面してきたベポは、彼女の反応に戸惑った。
しかし、こくり、と頷き、熊の手をそっと差し出す。
まるで壊れ物に触れるかのように、その手に触れるコウ。
「ふわふわ、もこもこ」
ふにゃり、とコウが破顔した。
そんな彼女の笑みに緊張を解き始めたのか、ベポの手がぎゅっとコウの手を握る。
彼女は、触れた肉球にクスリと笑った。
「怪我は大丈夫?」
「あ、うん。ありがとう。助けてくれたって聞いた」
「ううん。キャプテンは腕がいいから、きっとすぐに治るよ!」
まるで自分のことのように胸を張るベポ。
コウは、うん、と頷いた。
「私、コウって言うの」
「俺はベポ!」
「ベポか。よろしくね」
動物同士通じる所があるのか、二人が打ち解けあうのにさほど時間は必要なかった。
二人の様子を見ていたローは、人知れず笑みを噛み殺す。
どうやら、彼女はふわふわでもこもこのものが好きらしい。
自分が猫の姿になればいいと思う。
けれど、よく考えれば、猫の姿に触れても、それは自分の体に触れると言うだけ。
愛玩すると言うには程遠い行動だ。
雑談まで交わすようになったところで、ふと思い出したように声を上げるコウ。
「そう言えば、どうして私のことを見つけられたの?」
発見されたのは、崖の下だったと聞く。
ごつごつとした岩に打ち付けられなかったのは不幸中の幸いだったと、ローが話してくれた。
「その赤いリボンが波に揺れてるのが見えたんだ。何だろうと思って近づいたら、岩の隙間に猫が倒れてて」
そして、慌てて船に連れ帰り、ローに治療を頼んだのだと言う。
それを聞いたコウは、自分の首で揺れるリボンを見下ろした。
コウを攫った連中は、金にならないリボンには手を付けようとしなかった。
ある意味、それはコウにとって不幸中の幸いだったと言えるだろう。
逃げたくても逃げられない孤独な彼女を支えてきたのは、赤いリボンと記憶だけ。
「…また、助けられたんだね」
言葉に出すことにより、より深く実感する。
ほんのりと胸の辺りがあたたかくなるのを感じながら、寂しげに、けれでも美しく微笑んだ。
「コウの大切なもの?」
ベポがコウの様子を見てそう問いかける。
「うん。とても大切な…宝物」
そう答えた彼女の表情が、言葉以上にそれを伝えている。
「よく連中に取られずにすんだな」
「うん。リボンみたいにお金にならないものには興味を示さなかったの。それに―――耐えた、から」
一度だけ、連中の一人がコウのリボンに興味を示したことがあった。
そこで派手に反応していたならば、リボンを人質のように扱われていただろう。
最悪、二度とこのリボンを取り戻す事は出来なかったかもしれない。
幼いながらもそれを理解していたコウは、見えないところで唇をかみ締めた。
薄汚れているだの、血のような色だのと馬鹿にされても、下を向いた姿勢を変えることなく、必死に耐えたのだ。
「本当は、触られるのも嫌だったけど。なくなるよりは、ずっとマシ、だから」
その時のことを思い返すと、どうしようもない不快感が胸を支配していく。
表情にそれが出てくると、ベポがローを見た。
どうすればいいのか、と訴えてくる視線に、彼は小さく息を吐く。
「よく頑張ったな」
ポン、と一度だけ、彼女の頭を撫でながらそう告げるロー。
驚いたように顔を上げたコウは、やがて小さく笑みを浮かべて、うん、と頷いた。
それから暫くして、仲間に呼ばれてローが部屋を出て行った。
一人ではつまらないだろうと残ることを提案したベポ。
「動かずにじっとしてるなら、好きにしろ」
そういい残して、彼は部屋を去る。
残ったコウは扉が閉じるのと同時に、ふとあることを思い出す。
「ねぇ、ベポ」
「ん?何?」
「あの人、何て言うの?」
「え?」
彼は驚いたように丸い目をコウに向ける。
その反応も無理はない。
彼女がこの船に保護されて数日。
その間ずっと手当てをしてくれている人の名前を知らないとなれば、驚くのも当然だろう。
「もしかして、キャプテン…名乗ってないの?」
「たぶん、聞いてないと思う。あの人が船長だって言う事はわかるんだけど」
肩を落とす彼女に、ベポはやれやれと思った。
ローはそれなりに名前も売れてきている海賊のルーキーだ。
名乗らなくても向こうが知っている所為で、名乗るのを忘れてしまったのだろう。
「ロー船長だよ。トラファルガー・ロー。この船はハートの海賊団」
「ロー、さん」
初めて恩人の名前を紡いだ瞬間だった。
09.07.11