Black Cat
ハートの海賊団

天気は快晴、航路は良好。
指し当たって警戒すべき事もなく、船は“偉大なる航路”を進んでいく。
そんな、概ね順調な航海の最中に立ち寄ることとなったとある春島。
この島で一週間を過ごす事となったハートの海賊団は、入江に碇を下ろし、二日目の朝を迎えていた。

「キャプテン~!!」

騒がしい声に起こされ、寝覚めは最悪。
気のせいだと思い込むかのようにシーツを抱え込む。

「キャプテン~ッ!!!」

どたどたと言う足音が近付いてくる。
このまま無視を決め込むと、自室に被害が出そうな勢いだ。
まだ眠ると訴えてくる身体を無理やり起こし、壁の時計を見上げる。
時刻は早朝と証するに相応しい、5時。

―――大した用じゃなかったらただじゃおかねぇ。

覚醒しきらぬ頭でそんな事を考えながら、廊下へと続くドアを開いた。
すると、丁度良く廊下の角を曲がってきた騒音の主、ベポが足音も荒々しく駆け寄ってくる。
何があった、と問う必要はなかった。
彼の手の中に抱かれている黒い何かから、ポタリと赤い液体が流れ落ちる。

「キャプテン、この子を助けて!!」

その“何か”は生き物だった。
大きさ、形から見ても、人間ではない。
動物は専門じゃない―――そう思いつつも口に出さないのは、医者の性だろうか。

「…連れて来い」

設備も何もない場所では、手当てどころか様子を診る事も出来ない。
踵を返す背中に続き、ベポが慌てて走り寄った。
オペ室へと運び込まれたそれは、猫だ。
血を吸ってどす黒い色へと変化しているが、恐らく洗い流せば美しい毛並みなのだろう。
その小さな身体には似合わぬ、大きな傷が一つ。
そこから溢れ出た血が、じわりじわりとその猫の生命を脅かしていた。
間に合うか―――微妙ラインだった。
しかし、この小さな身体は、生きることを諦めていない。

これならば、あるいは。

死の外科医と謳われる、トラファルガー・ローは、無言で医療具を握った。














気が付くと、暗くて寒い場所に居た。
寂しくて誰かを呼ぼうとしても、開いた唇から声は出ない。
それでも、必死に喉を震わせて、助けて、って叫んでいた。
そんな時だ、ふわりとしたあたたかさを感じたのは。


―――ね、早く起きて!

―――起きろよ。

―――皆、待ちくたびれてるぞ。さっさと起きろー。



聞こえてくる声は、一つではなかった。
明るくて、優しくて―――大好きだったあの人たちに、よく似ていた。
知らない声ばかりだから、あの人たちじゃないことくらいはわかってる。
信じていいの?―――それが、わからなかった。
独りは嫌なのに、信じられないから起きない。
自分が起きようとすれば目が覚めるんだって、わかっていたのに。
信じて、裏切られることが恐くて。
臆病な私は、暗闇で一人、膝を抱えた。

―――おい。いつまで寝てる気だ。

今日もまた、知らない声が聞こえた。

―――俺はこれ以上何も出来ねぇ。あとはテメェで起きて来い。

いつも聞こえてくる明るくて騒がしい声じゃない。
低くて、ぶっきら棒で―――でも、優しいと感じる声。
何も考えなかった。
この人に会いたい―――ただ、それだけ。














薄く目を開く。
長く閉ざしていた視界に光が差し込み、眩しさに瞳孔が収縮する。
身体は腕に刺さった点滴の所為で自由に動かなかったけれど、目の動きまでは制限されていない。
きょろきょろと周囲を見回してみる。

一つの壁の半分ほどを使った大きな本棚と、机、ベッドがそれぞれ一つずつ。
整理に使われているらしき箱が複数あって、ここはその内の一つの上に置かれた蓋なしの小箱の中。
下にはクッションとなる布が敷き詰められていて、木特有の硬さはない。
身体に感じる独特の揺れ―――それが、この場所が船の上だと教えてくれる。
即座にそれに結びついたのは、それを知っているからだ。

一頻り周囲の状況を見回し、最後の自分自身を見下ろす。
どうやら、姿は猫のままのようだ。
猫と人間、どちらも本当の自分で、怪我をしたりするとその境界線が曖昧になる。
意思とは無関係に、変化してしまう事もあるのだ。
ズキン、と痛む背中。
この傷の原因を思い出し、小さく息を吐き出す。
まだ動けそうにはない。



がちゃ、と扉が鳴った。
点滴につられるように落ちてきていた瞼がぱちりと開く。
顔を上げてそちらを見れば、今まさに室内に入ってきたその人と視線が絡んだ。

「…漸く起きたか。3日の寝坊だ」

―――この声だ。

起きたいと思わせてくれた、声。
近付いてきたその人は、点滴の具合を確認してから傍に置いてあったペンライトを手に取る。
くい、と顎を持ち上げられ、視界にライトを当てられた。
眩しさに軽い抵抗をすれば、あっさり拘束が外れる。

「特にショック症状もなさそうだな。傷は痛むか?」
「…少し」
「―――2~3日は痛むぞ。耐えられないなら鎮痛剤を打ってやる。何か食えそうか?」
「…いらない」
「だろうな。まぁ、今日の所は水分だけでいい。明日からは食べろ」
「…はい」

身じろぎをすると、それを制するように身体に手を添えられた。

「動くなよ、包帯を替える」

そう言って、傷に障らない様にゆっくりしたペースで解かれる包帯。
中のガーゼも新しいものが宛がわれ、その上に真っ白な包帯が巻かれた。
刺青ばかりの手は、酷く優しく、そして繊細に動く。
端の始末を終えた彼を見上げていると、その骨ばった手が優しく頭を撫でた。

「ただの猫じゃないとは思ったが…能力者か」
「………?」

言ったっけ?とでも言いたげに首を傾げると、彼は「おいおい」と笑う。

「さっきから会話が成り立ってるぞ。気付かなかったのか?」

そう指摘されて、初めて気付く。
あっさりと人語を使ってしまっているではないか。
いつもならばこんな事はないと言うのに―――驚く彼女を他所に、彼が口を開いた。

「お前、名前は?」
「私、は―――」

これが、彼―――ハートの海賊団船長、トラファルガー・ローとの出会い。

09.05.21