暗号解読シリーズ
本を読む振りをしながら、クロロとのやり取りを振り返る。
クロロに対して抱いた恐怖は本物だったと思う。
けれど、それ以降の彼に対して、どうしても警戒心を抱けないのは何故だろう。
コウはその答えを考えていた。
「(そもそも、幻影旅団の恐い部分を自分の目で見たことがないのよね)」
恐らくは、それが原因なのだろう。
漫画としての知識の一部を取り戻した今、彼らの行いが善行ばかりではないことは言うまでもない。
しかしそれは、あくまでも知っているだけのものであり、自分が体験したものではないのだ。
現実味がない、というのが一番近い表現だろうか。
「コウ、コーヒーのお代わりは?」
不意にかけられた声により、コウの思考は途絶えた。
ある程度結論に近いところまでは進んでいたから、問題はない。
「あ、お願いします」
「あなたが淹れたものほど美味しくはないだろうけれど」
「そんなことはないです。淹れてもらえるのは嬉しいですから」
そう答えれば、パクノダは小さく微笑んでキッチンスペースへと姿を消す。
その背中を見送り、コウは少しだけ考えた。
やがて、何かを決意した表情で立ち上がると、彼女を追って早足に動き出す。
「パクノダさん」
「あら、取りに来てくれたの?もうすぐ出来上がるわ」
ケトルを持つ手に手を添えると、パクノダは驚いたようにコウを見た。
コウは何も言わずケトルを手放すように促し、彼女と向き直る。
そして、一度離したその手を、彼女へと差し出した。
「―――何かしら?」
「私の、記憶を読んでください。“あなたに関わる未来を”」
「!?」
何故、彼女が自分の能力について知っているのか。
驚きに表情を染めるパクノダの前で、コウはその手を差し出し続ける。
「クロロさんから聞いたわけではありません。私は、これから起こるかもしれない未来の一部を知っています」
「―――」
「関わりたくないと、そう思っていました」
でも、自分に救える命があることを知っている。
ハンター試験で、ボドロの命を救ったのは間違いなくコウの行動だった。
「私は怖がりだから。未来を変えて、自分や自分の大切な人に別の影響があったらと…そう考えてしまう」
今だって、パクノダに未来の記憶を差し出すことで、どれほどの情報を与えてしまうのかわからない。
もしかすると、これから幻影旅団と対立する鎖野郎の正体という情報までも与えてしまうかもしれない。
それによりクラピカが命を落とすようなことになれば、コウは自らの行動を悔やむだろう。
けれど、このまま彼女に何も伝えず、コウの知る通りの未来になったとしたら…それでも、きっと後悔する。
紙面中の彼女のことも、今こうして対面する彼女のことも、決して嫌いではないから。
「どちらにしても後悔するなら、行動して後悔する方が―――」
コウはそれ以上何も言わず、ただただその手を差し出し続けた。
パクノダは彼女を見下ろし、その言葉の真意を探るように沈黙する。
彼女が本当に自分の能力を知っているとしたら、彼女の言っていることは正しいのだろう。
臆病な小動物のような性格らしい彼女が、こうして記憶を読めというのだ。
彼女を行動させるだけの理由になる未来―――きっとその未来は、自分の命に関わるのだろうと推察する。
死を恐れているわけではない、けれど、死を望んでいるわけでもない。
俯き、無言のまま手を差し出して、そうして肩を震わせる彼女の記憶に、どんな光景が映っているのだろうか。
クロロがそれなりの評価をする理由はわかるけれど、こうしてみていると、本当に小動物のようだ。
「―――そうね、じゃあ…折角だから、教えてもらおうかしら」
「………っ」
そっとその手に触れると、ビクリと肩を揺らす彼女。
自分たちのような血生臭い光景には似合わない白く柔らかな手は、女性らしい手だと思った。
まるで判決を待つ罪人のように震えを大きくするコウに、パクノダはクスリと笑った。
「―――“あなたの好きな人は誰”?」
「!?」
「あら―――やっぱり、そうなのね」
「ぱ、ぱ、パクノダさん!?何を―――というか、やっぱりって!?」
漸く状況が理解できたらしい彼女が勢いよく上げた顔は随分と上気している。
最早、真っ赤と言っても差し障りはないだろう。
彼女の頭の中に浮かんだ人物は、ある意味では予想通りではあった。
けれど、この様子であれば、全くの無自覚と言うこともないようだ。
「ふふ…可愛らしいわね。真っ赤よ」
「~~~っ!だから、そうじゃないですよね!?」
「いいのよ」
混乱を極める彼女を黙らせるように、その唇に人差し指を押し当てる。
「知っていても、知らなくても…私は、その道を選ぶから」
いつでも、選ぶ道は最善のものであると思っている。
その先にあるのが自分の死だとしても、それはそれだ。
そう思う覚悟はできている。
「パク、ノダ…さん…」
「知っているというのは辛いわね。でも、あなたが背負わなくていいわ。私の選択は、私だけのものよ」
涙に潤むその目を見たくなくて、細い身体を抱きしめる。
触れた肌から溢れ出すのは、当の昔にどこかに捨ててきたと思っていた庇護欲。
震える彼女の心が、少しでも救われればいいと―――そんなことを考える程度には、彼女のことが好きになった。
「はい、これで冷やしておいて」
冷たく濡らされたハンカチは、濡れても尚ふんわりと優しい香りがした。
「…ありがとうございます」
「これくらいいいのよ。それより、コーヒーは冷めてしまったわね。新しく淹れなおしましょうか」
そう言って準備を始めてしまうパクノダの背中に、これでいいのだろうかと思う。
彼女は、未来を知らないままで後悔しないのだろうか。
「…パクノダさん」
「あ、それはそうと…さっきのこと、マチにも話してあげていいかしら?」
「はい!?」
「マチも色々と心配しているみたいだから。駄目かしら?」
小首を傾げるパクノダは、女性の目から見ても魅力的な女性だ。
しかし、それに騙されてはいけないと首を振る。
「だ、駄目です!」
「…その反応と言うことは、全く自覚がないってことはないのね。どこまでわかっているのかしら?」
「―――、」
どこまで、と言われて言葉に詰まる。
それが何を示しているのかなんて、わかりきっているのだ。
漫画や小説のように、純粋無垢でちょっぴり鈍感な女の子ではない。
人と目を見て言葉を交わせばそこから読み取ることができる感情は多い。
あれだけ表情の動かない彼の感情だって、長く付き合えば自然と読み取れるものだ。
だから、知らない振りをする。
そうしている間は、感情の名前を知らずに済むから。
彼の行動や、周囲の反応が、ただただ純粋な厚意からのものであると、誤解しておけるから。
「―――だって、決めたもの…」
深く関わってはいけないと、決めたのだ。
もうすでにどっぷりと浸かってしまっているけれど、少なくともコウの中ではまだギリギリボーダーだ。
彼との関係に確かな名前がつかない間は、まだ。
「何か言った?」
「いいえ、何も。それより、パクノダさん!」
「わかっているわ。私の口からは話さないから」
はい、コーヒー。
そう言って渡されたコーヒーの湯気越しに見た彼女は、優しく微笑んでいた。
17.08.13