暗号解読シリーズ
「コウはどうする?」
クロロは暇を持て余すだろうと、持ち込んでいた本を置いている部屋にコウを招いていた。
意外にも読書家である彼女は、幅広いジャンルの本の中から目当てのものを物色している。
そんな中、問われた質問に手に持っていた本をそのままに、首だけを振り向かせた。
「どう、とは?」
「今夜、俺たちは仕事なんだ。参加してみたいというなら、止めはしないが」
「遠慮します。皆さん不在になるんですか?」
「いや、それならイルミから預かったりはしない。俺はここで待機する」
あっさりとそう答える彼に、開いたままだった本を閉じて身体ごと彼を振り向いた。
「クロロさん、一度、聞きたいと思っていました。…あなたは私をどうしたいんですか?」
「…おかしなことを聞くな。どうしたい…とは?」
まるで、先ほどのコウの返事のような返し方だ。
しかし、コウはその部分には触れず、沈黙のまま彼を見つめ返した。
彼が、自分の質問の意図に気付いていないとは思えなかったからである。
「―――なるほど…適当な答えでは納得してくれそうにないな」
コウの表情からそれを察したのだろう。
「別に、これと言って何かを求めるつもりはない。これは事実だ」
さて、どう説明したものか―――クロロは天井を仰いだ。
「だが、まぁ…お前の能力に興味があることは否定しない。あとは、その潜在能力も」
「蜘蛛の団長であるあなたの興味を惹くほどに、私の能力に奥行きなんてありませんよ」
潜在能力と言われたって、コウが身に着けたのは自分自身を守る程度の力である。
ハンター試験を通過できたのだって、運やイルミの助力が大部分を占めるのだ。
それを理解しているからこそ、コウは自分自身を過大評価しない。
「メンバーに欠員があれば勧誘したいと思う程度には、俺はお前を評価している」
「それこそ全力で遠慮します」
「…だろうな。その点については、半分諦めがついている」
「(…半分…)」
「だが、その能力については興味が残っている」
膝の上でに両肘を乗せ、手を組む。
そうして彼の口元が手によって隠されると、射抜くような眼光だけがより強く感じられた。
「お前の言動には、色々と違和感を持っている。コウ、お前は何を“知っている”?」
「―――――」
本を持つ手に力がこもる。
「一番初めに出会った時のことを覚えているか?」
クロロの言葉に促され、コウは彼との初めての出会いを思い出す。
「いらっしゃいませ」
「やぁ、新しい店員かな?“初めまして”」
「はい、コウと言います。初めまして」
どうぞこちらへ、とテーブルへ促す彼女の顔に、何の違和感もなかった。
彼女は、クロロの言葉を全く疑っていないことは明らかだった。
「“初めまして”と言ったんだ」
「…それが、何か…?」
「正確に言うと、顔を合わせたのは二度目だった」
クロロは口元の手を離した。
その口元には笑みが浮かんでいるけれど、彼の纏う強い空気は消えていない。
「“あの日”、俺は“この姿”でトレゾールを訪れた。ダンテから情報を得るためにな」
カランコロン、と鳴ったベル。
条件反射的に振り向いた彼女は、笑顔を浮かべていた。
しかし、いらっしゃいませ、と紡ごうとしたその表情は固まり、瞬く間に蒼褪めた。
何も言えずに震え出した彼女を見かねたダンテが、大丈夫か、とその肩を叩いたことがきっかけだった。
彼女は声なく悲鳴を上げて、意識を失った。
「お前は俺を知っていたんだろう。幻影旅団を」
「………、」
思い、出した。
そうだ、あの日、クロロはこの姿で店へとやってきた。
恐怖でしかなかった―――あの日は、コウがまだ、多くのことを“覚えていた”頃だ。
それを忘れていることすら、今のコウは忘れてしまっている。
いや、正確に言うと、忘れていた。
彼の言葉によって、無意識のうちに封印された多くの記憶がよみがえってきた。
ヨークシンシティ、オークション、幻影旅団。
浮かんだキーワードが全て、自分のすぐ傍らにあることに絶望する。
目の前のクロロに対していくらかの恐怖が生まれ、耳のピアスがチリチリと痛む気がした。
「…どうやら、思い出したようだな」
フッと。
クロロの纏うオーラが消えた。
重苦しい空気から解放され、思わず肩で息をする。
「安心しろ。別に、俺のことを知っているからと言って困ることはない。ただ―――」
「………ただ?」
「“ヨークシン”、“オークション”、“幻影旅団”―――気を失う寸前にお前が呟いた言葉だ」
なるほど、それを聞き留めていたのであれば、コウに対して違和感を持つのも無理はない。
クロロがいつから今日の決行を考えていたのかはわからないけれど、少なくともあの時はまだだったのだろう。
「多少なりとも未来が見える能力ならば、面白いと思っただけだ。
イルミにも釘を刺されているからな―――盗ったりはしない」
「………あの」
「どうした?何か話してくれるのか?」
「…すごく今更なんですが…私、あなたと一緒にいる方が危ない気がしてきた…んですが…」
今日、蜘蛛の仕事があるんですよね。
と、本当に今更としか言えないことを確認する彼女に、思わず笑い声が零れた。
「ああ、全くもって、今更だな。幸い、俺はこの場所に残る側だ。俺の傍を離れなければ、そう危険はないさ」
「………」
「しかし、幻影旅団について知っているなら、俺自身に対してもっと恐怖するべきじゃないか?」
「そう、なんですけれど…恐くないわけじゃないんですけれど、物凄く恐くて傍にいられないほどでもなくて」
先ほどは、本当に恐いと感じたのだ。
いつの間にか、ピアスが痛いと感じていた感覚も消えた。
恐くないわけではないけれど、どちらかというと、その辺りにいるだろうマフィアの方が恐い。
言葉で説明することは難しいが、彼が自分を殺そうとするとは思えないことが、一番の理由なのかもしれない。
「まったく…理解不能だな、お前は。ところで、俺に何か話しておきたいことはあるか?」
「え?」
「今日の事でも、明日の事でも。やめろと言う話なら聞くつもりはないが、それ以外なら聞くだけは聞いてやろう」
彼は、コウがどこまで何を知っているのか、わかっていないはずなのに、コウが未来を知っている前提で話す。
コウ自身もすべての記憶を思い出したわけではないけれど、何か言うべき言葉があるだろうかと考えた。
「―――先ほど言っていた、未来を見る能力は、もうすぐ得られると思います」
「ほぅ、そうなのか」
「…………他は、秘密、です」
ウボォーギンやパクノダのこと、クラピカのこと―――伝えようと思えば、いくらでも伝えられる。
それでも、コウは語らないという選択肢を選んだ。
考えて考えて、どれが答えかわからないけれど、コウはその道を選んだ。
そうして告げられたコウの言葉は、クロロを楽しませるものだったらしい。
「…秘密、か。色々と知っていることは認めるんだな。まぁ、それでいい。全てを知ることに興味はない」
クツクツと喉を鳴らした彼は、楽しげに口角を緩めた。
17.07.23