暗号解読シリーズ

このホテルを一週間取っておいたから。
あっさりとそう告げられて渡されたのは、それはもう独特の雰囲気を滲みだすカードキーだ。
いかにも高級です、と言いたげなフォルムに怯むコウを見て、一度は渡したカードを彼女の指から奪うイルミ。

「持ちたくなければ持たなくていいよ」
「そう、なんですか?」
「このキーでも、パスワードでも入れるから」

パスワードで客室に入れるホテルに泊まったことはないけれど、そういうホテルもあるらしい。
室内の豪華な造りや諸々を見れば、そのセキュリティも納得できてしまうというものだ。

「あ、イルミさん、そろそろ時間ですね。もう出ますか?」
「―――そうだね」

その返事を聞くだけで不満な感情を読み取ることができてしまって、コウはクスリと笑った。



数日前、急遽入った依頼は、イルミが断ることを僅かに悩む程度には馴染の客からだった。
ほんの僅かに悩む様子に気付いたコウが、行ってください、と彼を説得し、渋々ながら受けた依頼。
電話を受けたときにコウが居なければ断っていたことは間違いない。
その分、料金は上乗せしてみたけれど、それでも構わないと頷かれては反故にするわけにもいかず。
ヨークシンシティに入った今日という日に、彼女と別行動を取ることになってしまったというわけである。

「このあとクロロさんと合流するところまでは一緒にいてくれるんですよね?」
「うん。この時期はマフィアとか色々集まるからね」
「ありがとうございます」

旅行鞄を開いて必要なものをウエストポーチに移し、手早く準備を済ませるコウ。
そんな彼女を眺めていたイルミの元へと駆け寄ると、行きましょう、と頷いた。
忘れ物がないかどうかをもう一度確認して、その豪華な部屋を後にする。












ホテルから歩いて数分の小さな公園の中。
ベンチに腰を下ろし、厚みのある本を開くその姿は、公園内の女性の視線を攫っていた。
気配には気付いていたのだろう。
コウとイルミが近付くと、クロロはすぐに顔を上げた。

「こんにちは」
「ああ、時間通りだな」
「はい、すみません。予定が前倒しになってしまって」

イルミの仕事が入らなければ、彼と合流するのは明日以降の予定だった。
その間はホテルで大人しく過ごすことも提案したけれど、イルミが頷かなかった結果である。
さて、と見上げた先にある彼の表情が、あまりにも不満げで思わずクスリと笑う。
もちろん、コウ以外の人間からすれば、いつもとどう違うのだと悩むような無表情が浮かんでいる。

「イルミさん。不満なのはわかりますけど、仕事は仕事です」
「やり損ねたりしないから大丈夫」
「そうじゃなくて。あなたの強さはわかっていますけど、いつも心配してます。
だから、仕事のときは集中してください。私、ちゃんと待ってますから」

ね?と説得とも言えないようなセリフだが、その効果は間違いなく。
わかったよ、と頷く彼に、コウは嬉しそうに笑う。

そんな二人の様子を見ていたクロロもまた、楽しげだ。

「骨抜きだな」
「コウを危険な目にあわせないでね」
「ああ、わかった。こちらも依頼を白紙にされたら支障が出る。仲間にも“ちゃんと”紹介しておく」

「―――じゃあ、行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」

ひらりと手を振って見送る彼女に、彼が手を振り返すことは―――もちろん、ない。



「こういうのを新婚夫婦の会話とでも言うんだろうな」
「あはは、クロロさんでもそういう冗談を言うんですね」
「冗談…か。相変わらず―――」

コウとイルミ、そのどちらとも多少の付き合いがあり、更に人を見る目には優れているクロロだ。
少なくとも、二人の感情の方向性とその種類は正しく理解しており、尚且つそれを楽しんでいる。
さて、この状況を正しく理解できたとき―――彼女は、どうするのだろうか。
イルミの感情を受け入れられるのか、それとも。
まったく、これだからこの二人に関わることをやめられない。

「とりあえず、さっきも話したように仲間と合流したいんだけど」
「あ、わかりました」
「先に言っておくが、これから向かう場所は蜘蛛のアジトだ。意味はわかるか?」

クロロの持つ雰囲気が変わり、コウが目を瞬かせる。
下した髪も、知的な黒いスーツも何も変わらない。
それなのに、表の雰囲気が消え去って、いかにも、という空気がクロロを包んでいる。
この人は本当に隠すのが上手いなぁ、なんて、場違いな感想が浮かんだ。

「ばらすなってことですか?」
「いや、それは別に構わないが。何なら、情報を売ってみるか?かなり高額で取引されているらしいぞ」
「お金には興味ないです。むしろ、仲間に紹介されるメリットよりもリスクの方が高い気がするのが心配要素ですね」

正直、とんでもないもの(例のカード)を持たされているので、これ以上お金に纏わる諸々には関わりたくない。
溜め息と共にそう告げる彼女に対し、クロロはハハッと笑った。
相変わらず彼女の思考は意味が分からない。

「俺たちが恐くないのか?」
「…他の方はどうかわかりませんけれど、クロロさんは…イルミさんが最低限、信用しているみたいですから」

自分よりも数歩も数十歩も先を読んで行動するイルミが信用するのだから、及ばない自分が悩む時間は無駄だ。
彼が信じているのであれば、それだけでコウが信じる理由には十分である。

「…そうか。まぁ、ゾルディックと全面戦争はこちらとしても極力回避したいところだ。丁重に持て成そう」
「いえ、そこまでは―――」
「とはいえ…今から向かう場所はあまり持て成すには適さない場所だな」
「あぁ、いかにもなアジトって感じですか?廃屋とか」

昔見た映画か何かの印象を伝えれば、彼はふっと口角を持ち上げた。
恐らく、この表情は正解なのだろうと判断する。
期待をしていたわけではないし、今はさておき、元々は一庶民である。
廃屋に住むことは遠慮したいけれど、興味を持たないほど淡白でもなく。
少しだけ視線に輝きを纏う彼女は、クロロからすればやはり不思議な人間だった。

「皆さん、私の知らない人ばかりですか?」
「いや、恐らく知った顔もあるんじゃないか。トレゾールの常連もいる」
「え…本当ですか、それ」
「向こうは知っていたぞ。絶対気付いていないだろうって笑ってたな」
「(どのお客さん…!?もうやだ、どの人もそれっぽく思えてくる…)」

17.06.11