暗号解読シリーズ

キルアは行ったよ。

トレゾールに迎えに来たイルミと共に、飛行船に乗った帰り道。
ふとそう告げたイルミに、コウは「そうですか」と返した。
窓の向こうへと視線を向ける彼。
その背中が寂しそうだと感じるのは、コウの気のせいなのだろうか。

「…寂しいですか?」

ぽつりと零れ落ちた言葉に、返ってくるのは沈黙だ。
それがコウにとっては意外にも思えた。
そんなことはない、と否定の言葉が返されると思っていたから。

イルミは寂しいのかもしれない―――けれど、それを誰かに打ち明けることはないだろう。

それなのに、言葉にしないにしても自分にはその片鱗を見せている。
そんな彼が、自らの感情を制御できない子供に見えた。

「たとえ離れていても、家族は家族ですよ」

普段であればこんなことをしなかっただろう。
けれど、コウはイルミの隣へと移動し、そっとその頭に触れた。
怒られるかな―――彼に怒られたことはないけれど、そんなことを考える。
しかし、彼は何も言わずにコウの手の平を受け入れた。

「(これは…寂しいんだろうなぁ………どうしよう、可愛いかもしれない)」

女性と言うのは、こういう時に母性本能をくすぐられてしまうから困る。
彼が暗殺者だということを忘れてしまいそうだ。
可愛い、と口に出してしまわないように唇を結ぶコウを他所に、イルミが動き出す。
彼の頭が、コウの肩に乗った。

「…少しだけ、寝る」
「………はい、おやすみなさい」

これは…間違いなく、甘えている。
普段から人の話や予定など全部無視して好き勝手に生きている彼だけれど、これはその類とは全く別だ。
イルミ=ゾルディックが可愛く見えてしまうなんて、と思いながらも振りほどけない。
絆されていると自覚するには、十分だった。






本当に寝息を立てだしたイルミの顔を盗み見ると、少し顔色が悪い気がした。

「(…疲れているのかな)」

小さく小さく、囁くような声を吐息と共に吐き出す。
それは、昔に聞いた子守歌だ。
鼓膜から入った声が、全身の隅々まで行き渡るように。
そんな流れを想像しながら、声に自らのオーラを乗せる。
念を使ったら起きてしまうだろうか、と心配したけれど、彼は身じろぎ一つせず眠り続けていた。














「――――」

ふと、挿し込む西日に目を覚ます。
既に飛行船は敷地の中に入っているらしく、見覚えのある景色が窓の外に見えた。
身体を起こしたイルミは、その反動でぐらりと揺れたコウの身体を自分へと寄り掛からせる。
肩を借りている間に、彼女もまた睡魔に負けてしまったようだ。
そこまで考えたところで、自身の中にめぐる彼女のオーラを感じ取った。

「………」

ここまで自分の中を侵略されながら、起きなかったらしい。
気を許しすぎているな、と自らを諫めた。

彼女の能力は、自分の声にオーラを乗せて対象者の体内に入り込む。
どこで学んだのかは聞いていないけれど、彼女は人間の肉体について詳しいらしい。
イルミも暗殺者として急所には詳しいが、全般的なことで言えば彼女の方が一枚上手だろう。
そうして対象者の内部へと入り込んだオーラを操作し、体内の循環を正常に戻すことができる。
もちろん、その逆も然りだ。
ある程度の制約はあるけれど、彼女の能力は状況によっては除念すらも行えてしまう。
この効果についてはシルバすらも「良い能力だ」と高く評価した。
とは言え、彼女が除念を行う機会などないに等しく、その能力は専ら疲労回復に使われている。
聞く者が聞けば「宝の持ち腐れ」だと言うかもしれないが、彼女はそれで十分満足していた。

「イルミ様、お帰りなさいませ」
「うん。コウの荷物だけ彼女の部屋に運んでおいて」

執事からの声に頷くと、イルミはコウの身体をひょいと抱き上げて飛行船を下りていく。
これだけ動かしても起きないと言うことは、かなり長い間、その能力を使っていたのだろう。
イルミが眠る前に感じていた疲労感は微塵も残っていない。

「…体力ないね」

コウが聞けば「平均的です!」と口を尖らせるようなことを呟く彼。
彼にとっての彼女は、どこまでもか弱い存在だ。
それなのに、この存在感は何だろう。
屋敷の中に囲ってどこにも出したくないと思うその一方で、喫茶店で笑う彼女の表情が好ましくもある。
矛盾した感情を抱えながら、イルミは彼女が自由であることを許した。














(―――…ん、よく寝た………!!?)

ふ、と意識が浮上して、ぼんやりと目を開く。
よく寝た、と感じる程度に爽やかな目覚めの中、開いた視界に映りこんだものに、コウは思わず息を飲んだ。

(な、な、な…何故に、イルミさんがここに!?)

声を出さなかったのは奇跡と言えるかもしれない。
起こしてしまうからと、本能的に身を固くした彼女は、横たわったままの姿勢で冷や汗を流した。

(いったい何が…というか、ベッド…?)

手に触れる感触がシーツのそれで、自分の置かれている状況を少しずつ理解する。
しかし、頭の下にある枕とは違う、柔らかくも硬いこの感触が何なのか―――考えることをやめた。

(………寝てる、よね?)

規則的に揺れる胸元が、彼の生命を感じさせる。
本来であれば眠っている人と言うのは多少なりとも呼吸音だとかそういうものもあるのだろう。
しかし、彼からはそれを感じ取ることができず、思わず口元に手を当てて呼吸を確認したくなる。
暗殺者と言うのは、寝ている間の呼吸音すらも自分でどうにかできてしまうのだろうか。
最早、人間ではないな―――などと失礼なことを考えられる程度には、頭も覚醒してきた。

(…起きよう)

動いたら起こしてしまうかもしれない。
けれど、この距離で彼が起きるのを待っていたら、寿命がどれだけ縮まってしまうのか。
落ち着いてきた今でもドキドキと煩い心臓を救うべく、コウはそろり、と動き出した。

「…起きたの?」
「…ヒッ!!」

起こしてしまうだろうとわかっていたはずだ。
それなのに、幽霊でも見たような声を発してしまった。
眠っていたとは思えない黒曜の目が、驚いたように少しだけ見開かれているのが痛い。

「………」
「………」
「………おはよう、ございます」
「…うん」

彼を起こしてしまうから、とゆっくり起き上がる必要もなくなり、コウは身体を起こした。
この数分の間に随分と緊張してしまった身体をほぐすように小さく伸びをする。
そうして、ここはどこだろう、と周囲を見回すその隣で、彼が身体を起こすのを感じた。

「大丈夫?」
「え?」
「なかなか起きないから」
「ああ…はい。すみません、飛行船の中で眠ってしまったんですね」

この場所が飛行船の中ではないことはすぐにわかった。
となれば、この部屋に運んでくれたのは間違いなく彼なのだろう。

「ここは…イルミさんの?」
「ん」

短く問いかけると、同じく短い回答が返ってきた。
ふぁ、とあくびをする彼はまるで猫のように思えて、少し新鮮だ。
そういえば、彼がこんな風に室内でリラックスしている様子を見るのは初めてかもしれない。
そもそも、自分と彼はこんな風にベッドを共にする間柄ではないのだから。

「すみません、ベッドを借りてしまって…狭く………はなさそうですけれど」

狭かったですよね、とは言えない広さのベッドに思わず苦笑する。
コウが借りている部屋のベッドも十分に広いけれど、それ以上だ。
一体、何が寝るためのベッドなのだろうと悩んでしまうほどに。

「―――俺。うん、起きたから部屋に運んで」

ベッドから降りるにしても、その上を随分と移動しなければ端まで到達できそうにない。
どうしようか、と悩んでいたコウの隣で、彼が頭上の受話器に何かを話しかけていた。

「お腹空いてるでしょ。持ってくるように言ったから」
「え、運んでもらわなくても、食堂に行きますけれど…」
「今、夜中」
「(何時間寝てたんだ、自分は!?)………ありがとうございます」

返す言葉が見つからず、深々と頭を下げた。

16.07.17