暗号解読シリーズ

そう言えば、と思い出したように言葉を始めたイルミに、ふと作業の手を止める。

「親父がキルアに許可を出すらしいよ」

何の、と言う説明はなかった。
するつもりがなかったのか、コウならば必要ないと考えたのかはわからない。
しかし、彼女はその意味を正しく読み取り、沈黙した。

「…あの…会えますか?キルアに」
「会いたいの?」

そう問いかけられ、自問するように黙り込み…やがて、小さく頷く。
会えるのであれば、会っておきたい。
そう思えるだけの頭の整理はできているつもりだ。
この機会を逃してしまえば、彼はこの家には戻ってこない。

「それなら、今から行こうか」

そう言って、ソファーから立ち上がる彼に続き、コウもまた作業台の前から離れた。












独房など、コウにとっては初めての経験である。
もう少しじめじめしていてかび臭くて―――そんなイメージを持っていたけれど、現実は異なっていた。

「(ゾルディックの敷地内だもんね、当然か…)」

あれだけ仕事熱心な執事が守る屋敷だ。
恐らくはその下で働くハウスメイドなども、万事抜かりなく仕事をこなしているのだろう。
多少、雰囲気を出すためなのか石壁から隙間風などを感じるけれど、それ以上の不快感はないに等しい。
そうしていくつかの扉を抜けて、階段を下りた先。
イルミの背中の向こうに、揺れる鎖を見た。

「キルア」
「―――…兄貴」
「お前に客だよ」

イルミがその場を譲れば、その身体に隠れていたキルアの姿がコウの目の前に現れた。
イルミに気を取られて気付いていなかったのか、キルアは驚いたように目を見開く。

「…イルミさん」
「駄目」
「お願い、大丈夫ですから」

お願い、駄目だ、と押し問答を繰り返す。
いつもならば折れるのはコウの役目だけれど、こればかりは譲れない。
イルミがいては、キルアとはちゃんと話ができないから。
今回ばかりは、と言いたげに強くイルミを見上げる彼女に、その意志の強さを悟ったのだろうか。
ほんの僅かに表情を動かし、小さく溜め息を零してから来た道を戻っていく。

「扉の外で待つよ」
「ありがとうございます」

急ぐでもなく歩いて行った背中が、薄く開かれた扉の向こうに消えた。

「…見た?今の表情。拗ねていたわね」
「…は?っつーか、表情とか変わってねーし」
「えー?すごく変わったよ、不快感を前面に押し出した感じに。すごく嫌々だけど、渋々って感じ」
「兄貴の表情なんてわかんねーって!」

絶対変わってない!と言い切る彼に、コウはくすくすと笑う。
良かった、いつも通りの元気なキルアだ。
コウのそんな心境を感じ取ったのか、彼は居心地悪そうに顔をそむけた。

「コウ、俺―――ごめ」
「私ね、キルア」

キルアからの謝罪を遮り、コウは言葉を始めた。

「イルミさんとは、住み込みで働いている喫茶店で出会ったの。常連客の一人で」

始めは、変わらない表情だとか、声のトーンだとか。
色々なものが不審に思えて、少しだけ怖かった。
本当は名前を知ってからの彼は、“イルミ=ゾルディック”だから怖かったのだが、そこはあえて説明せず。
そうして静かに語り出すコウに、キルアの視線は彼女へと戻ってきた。

「ハンター試験は、受けるつもりなんてなかったんだけど…彼が、強引に。
でも、ちゃんと合格するためにサポートしてくれたわ。修行もしてくれたし」
「…兄貴が…?」
「信じられない?でも、事実だからこればかりはそうなの、としか言えないわ。
何が彼をそこまでさせていたのかわからないけれど、彼は私に対しては親切なの。私も…信頼しているわ」

もしかすると、この世界においてイルミ以上に信頼できる人はいないかもしれない。
そう、刷り込みのように思ってしまえるほどに、彼はコウに尽くしてくれた。

「だから、私は試験で出会ったキルアより、イルミさんを優先したの。
尤も、私はイルミさんがキルアの事が大好きだって知っているからなんだけど」
「大好きって…何言ってんだよ!」
「うん、今はわからなくていいよ。それでも、イルミは間違いなくキルアのお兄ちゃんだから」

それだけは、覚えておいてあげて。
そう告げるコウの表情があまりにも優しくて。
嘘偽りなど微塵も感じさせないその笑顔に、キルアは何も言えなかった。

「つまり、何が言いたいかと言うと…謝らなくていいよ。それぞれに、思うように行動した結果だし」
「……変だろ、それ…」
「そうかな?私はイルミさんのお蔭でキルアに殺されていないし、終わりよければ…ってことにはならない?」
「怖く、なかったのか?」

キルアの問いかけに、コウは小さく微笑んだ。
その笑顔は、あの瞬間に彼女が見せたそれと全く同じもので。

「…イルミさんを信じているの。“死なせない”って約束してくれたから」

だから、怖くなかったよ。
その微笑みには、ほんの少しの恐怖も浮かんでいない。
これは間違いなく彼女の本音なのだろう。

「私は謝らない。だから、キルアも謝らなくていいよ」
「……………」
「んー…納得できないかなぁ…じゃあ…」

少し悩んだコウは、離れた距離を詰めるようにキルアの前に進み出る。
真正面からじっと見つめられ、キルアは何だよ、と小さく呻く。

「もう話もしてくれないかと思ってた。だから“ありがとう”」

笑顔と共に強調されたその言葉。
彼女の言いたいことを理解し、キルアは悩むように視線を逸らす。

「………俺も、話してくれて………“ありがと”」

小さく小さく、けれど確かにコウに届いたその声に、彼女はにこりと笑う。
そして、伸ばした手で彼の頭を撫でた。
普段なら子ども扱いするな、と言うところだが、この時ばかりはその手の平が心地よく感じてしまう。

「(…兄貴がこいつを大事にする理由、ちょっとだけ…わかる)」

ヒソカに対してもそうであったように、コウには他者からの与えられる先入観がないのだろう。
目の前で自分が見たこと聞いたこと、感じたことを自らの感覚で判断する。
だから、彼女はどこまでも人に対して誠実だ。

お人好し―――とも言えるかもしれないけれど。

ゴンと同じようで違う、陽だまりのような人。

「下してあげたいんだけど…こればかりは居候の私にはどうしようもないかなぁ…」

うーん、と悩むコウに必要ないと告げると、彼女は少し間をおいてから、そう、と頷いた。

「じゃあ、イルミさんが痺れを切らせるといけないから行くわ」
「ああ。………兄貴によろしく」

本当はこんなことを言うつもりはなかったのに、口をついて出てしまった言葉。
うん、と返事をされてしまえばそれを取り消すことなどできず。

コウと仲直りできたのはイルミが連れてきてくれたおかげだからと、自分自身を納得させた。

16.06.26