暗号解読シリーズ

空の上で揺られ、3日。
イルミのお蔭で仰ぐような大きな試しの門を開く必要もなく、屋敷へと招かれる。
自分が試しの門を押したなら、どこまで開くのだろうか。
既に小さくなったその門へと視線を投げ、そんなことを考えている間に、飛行船は目的地へと到着した。
店長への連絡はすでに終えていて、おめでとうとお疲れさまの言葉と共に、暫くの休みをもらっている。

「お帰りなさい、イルミ。コウさんも」

屋敷に入るなり、緩やかな笑みを浮かべたキキョウに迎えられた。
その後ろにズラリと並ぶ執事たちには、まだ慣れそうにない。

「ただいま」
「た、ただいま帰りました」

ただいまと返すのは、まだ少し違和感がある。
けれど、ゾルディックの人はみんな、いつだっておかえりとコウを出迎えてくれる。
だから、コウもまた、ただいま、と返すのだ。
どうして、と言う疑問は、イルミにしか投げかけていない。
その唯一の彼すらも、未だコウが納得できる答えを返してはくれなかった。

「コウさん、ゆっくりできなかったでしょう?報告は後でいいから、先にお風呂に入るといいわ」
「でも―――いえ、そうですね。お言葉に甘えます」

そうはいかない、と思ったけれど、ハンター試験の間は軽くシャワーを浴びた程度だ。
それでシルバの前に立つと言うのも気が引けてしまい、キキョウの申し出を素直に受けることにした。

「あとで迎えに行くよ」
「あ…はい。お願いします」
「コウ様のお部屋の浴室はすでに準備を整えておりますので―――」

馴染の執事に促され、自分に与えられた部屋へと向かう。
その背中を見送ってから、イルミはキキョウへと向き直った。

「キルは?」
「帰ってきているわ。今は独房よ」
「そう。コウが会いたがったら、会わせてあげて。気にしてるみたいだから」
「イルミ」

彼女は、歩き出そうとするイルミの背中を呼び止める。

「コウさんは、どうだったの?」
「…試験中に1人、本人は知らないけど。俺なら瞬殺程度の奴だけど…随分、念の使い方にも慣れてきたかな」
「………それでも、あなたはコウさんを望むのね?」
「コウ以外なら要らない」
「…そう。それなら、私はもう何も言いません」

あなたの好きにしなさい、と言う言葉に頷き、今度こそその場を後にする。
キキョウはその背中を見つめ、そっと口元に笑みを浮かべた。
機械と包帯に隠された顔から表情を読み取ることは難しい。
その少ない表情の中から喜びの感情を読み取ったのは、長い付き合いになるゴトーだけであった。










ゆっくりと風呂に浸かり、身体の緊張を解す。
いつの間にか用意されたクローゼットの中には、知らぬ間に大量の洋服が収められている。
その大半はドレスや着物と言った日常的に使うには不向きなもので、誰の趣味なのかは考える必要もなかった。

「…また増えてる…」

申し訳なさに苦笑を浮かべ、無難なワンピースタイプを選んで腕を通した。
鏡に映る自分の姿を見て、改めて信じられないな、と思う。
どこにでもいる、普通の人間なのに―――ハンター試験に、合格してしまった。
ウエストポーチからハンター証を取り出し、恐々とそれを見つめる。
この1枚が、ありとあらゆる権利を与えてくれる。
たった1枚によって、コウと言う人間が、この世界に存在することを認められた気がした。


不意に、ハッと気付く。

「売れば、人生を7回は遊べる…」

人生を遊んで暮らす金額は、コウには想像もつかない世界だ。
けれど、それを7回は、と言われれば、それが途轍もないものであるということは理解できる。

そう理解した途端に、彼女はオロオロと右へ左へ視線を動かした。
何だか、持っていることがすごく不安だ、不安で仕方ない。
銀行口座で普段はあり得ない大金を引き出し、やや挙動不審になる人間はこういう心境なのだろうか。
身に着けているのも不安だし、置いておくのはもっと不安だ。
色々と考えると、放り出してしまいたいけれど、そんなことができるはずもなく。

「ど、どうしよう…これ…身分証として、持ち歩くべきなの?」

かつての身分証と言えば、コウの場合は運転免許証だった。
それはあくまでも個人を証明する情報であり、これほどの価値はない。
普通に財布に入れて持ち歩いていた過去の自分が恋しいと思った。
一体、ハンターと言う連中はどういう心臓をしているのだろうか。






小さな小さなカード1枚を見つめ、いくらかの時間を過ぎた頃。
部屋のドアがノックされる。

「あ―――はい、開いています」

そう返事を返せば、あっさりと開かれるドア。

「用意できた?」
「えっと…はい」

用意はできている。
けれど、指先で握りしめているこれをどうすればいいのか、その結論が出ていない。
そのままの姿勢で振り向いたコウに、イルミはきょとんと首を傾げた。

「親父に見せるの?」
「え?いや、そう言うつもりでは…ない…んですが」

持っているだけで、呪われてしまうような錯覚すら感じるこのカードの取り扱いに困っている。
どう伝えれば、彼に正しく伝わるだろうか。
流石に、ハンター証を持っていることが恐いのだとは、言いにくい。
呪いのカード…と思い始めたところで、ゆったり歩いてきたイルミがコウのすぐ傍で止まる。

「持ってるのが嫌なの?」
「……あの…」
「嫌なら、預かる?コウが一人で出歩いて、それが必要になる機会なんて、たぶんないだろうし」
「………だから…」
「恐いんでしょ?」

何を言うまでもなく、筒抜けだった。
甘い甘い誘惑の声に逆らうことができず、まるで自分の名刺を差し出すように彼の前へとそれを運ぶ。
躊躇うこともなくそれを受け取った彼は、そのまま服の胸ポケットに挿し込んだ。
間違って洗濯してしまったりしないのだろうか―――と考え、ここの執事がとてつもなく優秀であることを思い出す。
そんなミス、起るはずがない。

「行くよ」
「…はい」

結局、何一つ成長できていないのでは…と落ち込む心に、背中を向けた。

16.03.31