暗号解読シリーズ
ゴンたちから離れ、廊下を進むイルミに続いて歩いていく。
「…どこに行くんですか?」
「どこって…帰るんだよ」
当然のように返された返事に、帰る…と鸚鵡返しをする。
「俺とは最終試験で当たらなかったから、帰らない?」
二つ返事で了承しないコウに、イルミが首を傾げてそう問いかけた。
そんな彼の行動に、そういえば、とネテロとの面談後のやり取りを思い出す。
最終試験で無条件降伏をしないことを条件に、イルミと帰る約束をした。
確かに、その条件は満たされていない。
「いいえ…でも…」
「キルアがいるから?うちは広いし、会いたくなければ会わなければいい」
裏を返せば、会いたいのならば会えばいいということでもあり。
人の感情を読み取ることを必要としない彼だが、この時ばかりはコウの意思を汲み取ってくれている。
小さく頷いて返事をすると、イルミはそれ以上何も言わずに再び前を向いて歩きだした。
ゾルディック家御用達の飛行船に乗せてもらうのはこれが初めてではない。
ゆったりとした座り心地の良いソファーに身体を委ね、用意されたココアを手の平で包み込む。
普段はコーヒーを用意してもらうことが多いけれど、疲れた体は糖分を欲していて、甘いココアが丁度よい。
何も言わなくてもそれを用意してくれるあたり、ゾルディック家の執事は流石だ。
「そう言えば」
ふと、窓の外に視線を投げていたイルミがこちらを向いた。
何だろう、とカップを持つ手を膝に置き、言葉の続きを待つ。
「あの時、諦めた?」
「…あの時?」
「キルアに、刺されそうになった時」
ドキン、と心臓が音を立てる。
彼の言葉が図星だったのではなく、あの時のことを思い出してしまった。
冷酷なまでの無表情の中に浮かぶ、涙に揺れた悲しい感情を宿した眼。
「諦めたというか―――わかっていたんだと、思います」
既に治療され、包帯に包まれた彼の腕を見て心が痛む。
眉を顰める彼女の返事に対し、イルミは沈黙と共に続きを促す。
「死のうと思ったわけではないんです。ただ…イルミさんがどうにかしてくれるって、わかっていたのかなって」
そうわかっていたから、何もしなかったのかもしれない。
それが一番正しい気がして、コウは困ったように笑う。
依存してはいけないとわかっているはずなのに、身体も心も正直だ。
守ってくれる彼の存在に、馴染み始めている。
「たぶん、あと一瞬遅かったら―――」
「え?」
「…何でもない。コーヒー」
呟く声に反応した彼女を視界の外に追いやり、控えていた執事に声をかけた。
空になったカップに変わり、湯気立つそれが差し出される。
その湯気の向こうに、窓の向こうへと視線を変えたコウを映した。
彼女の耳元に揺れる赤いピアスを見つめながら、あの時の事を思い出す。
あと一瞬、コウを“押さえ込む”のが遅ければ。
恐らく、血溜まりに伏したのはキルアだった。
キルアとの実力差は、彼女自身が思うほど大きくはない。
殺されようとしていたとしても、本気になれば彼女にだって押さえ込むことくらいはできるのだ。
本人の意思をもってそれをしなかったからこそ、彼女は“そう”反応しかけていた。
無理はない―――彼女を“そう”したのは、他でもないイルミなのだから。
イルミが彼女に渡したピアスは、ただの装飾品ではない。
操作系の能力を使ったそれに籠めたのは、一つ。
命の危険に晒された時、彼女自身のリミッターを外してしまうこと。
道徳であり、倫理観であり、理性であるそれら全てを取り払う。
彼女はそう言った柵さえなければ、よほどの手練を相手にしない限りは生き延びられるだけの実力を備えている。
四次試験で彼女が“狩る者”に負けなかった理由は、ここにあった。
キルアには、強者から逃げるようにと針を打ち。
コウには、自らの能力の全てを解放させる。
形は違えど、そこに込めた思いはどちらも同じだ。
「コウ」
「はい?」
名前を呼ばれ、彼女は視線をイルミへと向ける。
「俺は、コウが死んだら“悲しむ”よ」
―――あなたが死んで、悲しむ人はいませんか?
―――どうしようもないこと以外で、生きることを諦めるのは駄目なんです。
「だから、諦めたら駄目だよ」
脳裏に思い出されたその声に後押しされるようにして、その言葉を紡いでいた。
「だから、諦めたら駄目だよ」
真正面から向けられるその言葉は、どこか聞き覚えのあるものだった。
―――どこで聞いたんだっけ…思い出せない。
「…そう、ですね。ごめんなさい。諦めたつもりはないんですけれど…」
イルミがこう言うのだから、そのように見えてしまったのかもしれない。
素直に非を認めたコウに、彼はそれ以上何も言わなかった。
「(…意外、だなぁ…イルミさんが諦めちゃ駄目なんて―――)」
コウの持つイメージとは少しだけ違っていた。
けれど、改めて考えてみれば、キルアが生き残るようにと針を埋め込むような人なのだ。
根本的に、生きることを求める人なのかもしれない。
そう納得して、それ以上深くは考えないことにした。
16.03.11