暗号解読シリーズ

チリチリ、ザワザワ。

この感覚をどう表現すればいいのかわからないけれど、何だか落ち着かない。
監視しているらしい人の気配の他に、感じるそれ。
島に入って数分後からずっと、その気配はコウの察知範囲の中にいた。

前の世界の記憶と、この世界の記憶を合わせたとしても、こんな風に誰かにつけ狙われることなど初めてだ。
数秒すらも、数十分に感じているようで、耳鳴りすら聞こえそうなほどに全神経がそちらに集中している。
耳元が異様に熱く感じて、頭の芯の方がぼんやりとして来ているのは、頭に血が上ってしまっているからだろうか。
いけないと分かっているのに、思考が自らの身体を離れて動いているような。
自分の身体がままならない感覚は、恐らくは極度の緊張のせいなのだろうと思う。



いつまでこんなことを続ければいいのか―――ごくり、と乾いた喉を動かしたところで、その時は来た。
勢いをつけた踏み切り、大きな跳躍、そしてコウの目の前への着地。
絶えず相手の気配を感じていたコウは、刹那のその動きすら、正しく認識できていた。

その姿を初めて眼前に捉え、同時に繰り出される攻撃。
一撃、二撃を避けて距離を取り、追撃を逃れる。
速度的には、イルミよりも遥かに遅い。
彼の動きに慣らされていたコウにとっては、十二分に反応できる速度だった。
その時、不意に攻撃の気配が変化したことに気付き、咄嗟の判断でガードに念を使う。

それは、ある種の合図となった。

「へぇ、アンタは能力者か」

追撃することなくコウが距離を開けるのを見送った男。

「じゃあ、こっちも遠慮せずに行くかな。あぁ、もうわかっていると思うけど、俺が四次試験の“狩る者”。
俺からプレートを守り切れば、アンタはその1枚で試験クリアだ。もちろん、他の受験生に取られるのもアウト」

背は、イルミよりも少し低い。
けれどコウよりは十分高く、体つきはしっかりしている。
先ほどの動きから察するに、体術の心得があるのだろう。

「それからこの試験―――俺の命もアンタの命も、保証されてない」

ニィ、と歪む口元―――その表情と、彼の持つ空気に嫌悪感を覚えた。

「能力者と殺り合うの久々だからさ…すぐに終わらないでくれよ?」

彼の目、言葉、態度、空気。
全てが、コウの感覚を震わせた。
そうして、理解する―――

「(これは…―――)」

世界が、内側からぐるりと反転した。










自分のターゲットを片付けるのは、そう難しいことではなかった。

「行くのかい?」
「うん。この試験中なら接触しても問題ないと思うし。一人にしておけない。
受験生の中で殺せる奴がいるとは思えないけど…ターゲット次第では、落ちるかもしれないし」
「彼女は優しいからね」

行ってらっしゃい、とヒラヒラ手を振るヒソカもまた、コウを気にかけている一人だ。
恐らくは彼女の才能よりも、その人間性を気に入っているのだろう。
ヒソカにしては珍しいことだと言えるけれど、イルミにとっては彼が敵に回らないことはありがたい。

「…あ」
「どうかしたのかい?」
「…発動した」

何が、と問う前に、イルミがその場から消えた。
あっという間にヒソカの感覚の外まで走り去った彼に、やれやれと肩を竦める。
彼があんな風に動く理由は一つ。

「…何かあったのかな」

発動した、と言うのは念能力のことだろう。
恐らくはイルミが万が一のために何かをしていたのだろうなと察する。
そうなのだとすれば、少なくともコウの命は無事だ。
そこに行きつくと、ヒソカは彼らのことを考えるのをやめた。











冷たい何かの中を揺らぐ感覚。
重力が身体から消えて、そこが水の中なのだと朧気に理解した。

「―――っ」

瞼を開き、世界を映す。
ここがどこで、今まで何をしていたのか。
それを考えるよりも先に伝わった視覚情報に、瞬きを三度。

「…イルミ、さん?」
「寝てていいよ。終わったらちゃんと連れて行ってあげるから。…疲れてるでしょ」

どこに、だとか、何故ここに、だとか。
聞きたいことはあるはずなのに、彼の言葉の通り、コウは酷く疲れていた。
何かを考えること、更には指先一つを動かすことすらも拒みたくなるような倦怠感が全身を包んでいる。
優しい言葉と、頬を撫でる手の平、身体を支える腕。
そのすべてに安心して、彼女の思考は瞼を閉じると同時に、深いところへと沈んだ。


再び彼女がその意識を失い、身体が脱力する。
水の中に沈めてしまわないようにその身体を抱えなおして、先ほどまでの作業を再開した。
二人がいるのは島の中にいくつか存在する湖の中。
彼女は気付かなかったけれど、二人の周辺の水は赤い。
その原因は、彼女の身体に付着した赤―――返り血だ。

「…ハンター試験程度で発動しないと思ったんだけどな…」

イルミはそっとコウの耳元に触れる。
彼女にプレゼントしてから、そのピアスが外されているのを見たことはなかった。
もちろん、彼女がそうしてくれるだろうとわかった上で渡したそれは、万が一のためのもの。
彼女のために作ったイルミの念能力、彼の持つ針の応用だ。
まさか、ハンター試験の中でこの念が発動するような事態にはならないだろうと思っていたけれど。
それでも、自分の予想よりも彼女の命を優先して、念のためにと作って渡していた。
今回はそれが幸いしたと言えるだろう。


一頻り、コウの身体についた血を洗い流したイルミは、湖の中を歩いて陸地に戻る。
まだ日は高く、無理に火を使って服を乾かす必要はないだろう。
抱き上げて歩き、その身を横たえても起きる気配のない彼女は、穏やかな表情で眠っている。
水に濡れた髪を絞って、起こしてしまわないように頭を一撫で。
触れた頬の下に彼女自身の熱を感じ、安堵している自分に気付く。
初めての感情にほんの少し戸惑いを抱くも、何故か自然なことのように受け入れられた。

「…無事でよかったよ」

呟いた声はあまりに小さく、彼女の意識を呼び起こすには至らなかった。

15.09.29