暗号解読シリーズ
制限時間72時間、生きて下までおりてくること。
どうしようか。
この試験に関して、コウの知識は全く生かされない。
コウが知るストーリーはあくまで主人公であるゴンを主体にしたものだ。
彼に関わらない部分は、それこそヒソカのシーン程度しか描かれていない。
小説でいうならば行間に位置する他の試験の内容については、一切わからないのだ。
「………」
足元に落としていた視線を上げ、ちらり、とそこを見る。
既に意気投合している4人は、少しだけ離れたところで頭を突き合わせて何かを話しているようだった。
様子から察するに、まだ隠し扉の存在には気付いていないらしい。
「(……彼らと行動を共にするなら、内容はわかるけれど…)」
そこは是が非でも避けたいところでもある。
あの4人が通るルートにコウが組み込まれてしまえば、それは原作のストーリーから外れてしまうからだ。
コウ一人がどう足掻いたところでストーリーは変わらないかもしれない。
けれど、これはどう考えても“黒”、自分の取るべき行動ではないと理解していた。
「…うん、これはなしね」
ストーリー展開が分からない不安はあるが、そうと決めてしまえば何だかすっきりした。
納得のいく結論を出したところで、コウはぐるりと周囲を見回した。
受験生の数は随分と減ってきている。
ヒソカやギタラクルの姿もない。
そろそろ、足元にちりばめられた隠し扉の存在に気付く受験生が増える頃だろう。
人間観察というほどではないけれど、誰ともなく視線を投げる。
そうして少しの時間を過ごしていた、その時。
コウはあり得ない―――あってはならない光景を、目の当たりにした。
「………ちょっと待って。おかしい」
誰に向けた言葉でもなく呟き、弾かれたように振り向く。
4人はまだ、そこにいた。
もう一度視線を戻す。
何となく向けていた視線を、今度は一人ひとり確認するように受験生へと巡らせる。
やはり、“あの男”がいない。
「待って待って待って―――おかしいじゃない」
誰か、嘘だと言ってほしい。
まさか――― 一次試験の時にルーキーに対してジュースを配っていたあの男が、別のルートを進んでしまうなんて。
そうこうしている間に、4人が一斉に姿を消した。
その一瞬を目の当たりにした彼女の焦りはピークへと向かう。
「………嘘でしょう…?」
足元に視線を落とす。
少しだけ足を動かせば、ガコ、と小さく床石が動く音がした。
ここにも隠し扉はある。
あの4人からは距離が離れているので、彼らと運命を共にするルートではない。
この時点で、隠し扉がなくてこの試験に落ちるという可能性は消えた。
このルートがどういうルートなのかはわらかないけれど。
「(でも、このまま私がこのルートを選んでしまったら…)」
彼らが進む多数決の道の、最後の一人はどうなるのだろうか。
本来であれば5人で進むその道の最後を埋めるのはあの男の役目だった。
それを無意識とはいえ放棄した男に、その場に蹲りながら内心で恨み節が浮かぶ。
「(あなたがちゃんとストーリー通りに動いていればこんなことには…!)」
まさに混乱の極みだ。
自分が取るべき行動ではないと納得した。
それなのに、今はその道を選ぶことに激しい抵抗を覚える。
「(…最後の一人が消えるまで待つ?もし誰も行かないなら―――)」
いや、駄目だ。
屋上にはまだ15人程度の受験生がいて、それでは時間がかかりすぎてしまう。
彼らのルートはストーリー上、かなりの時間を費やすものだったはずだ。
そんなにも時間をかけていられない。
どうする―――誰に問うでもなくそう投げかけながら、答えは殆ど決まっていたのだろう。
膝に埋めていた顔を上げれば、その表情には覚悟が浮かんでいた。
スクッと立ち上がり、足元の隠し扉を睨み付ける。
けれど、そこに落ちることなく、また他の隠し扉に落ちないように気を付けながら、ゆっくりと床石を進む。
密接した5つの入口、その内の使われていなかった扉のすぐ脇に立つ。
「…関わりたくないの。でも…あなたは“主人公”だから」
この試験に落ちたって、彼はきっと挫けることなく前を向いていくのだろう。
でも、それでも―――彼をストーリーのレールに乗せることは、“知る”者の義務のようだと思った。
何よりも―――
「…あなたは、こんな所で立ち止まっちゃいけない」
一方的にでも、彼の人となりを知っている。
こんなところで、合格するはずの試験に弾かれてしまってほしくない。
深呼吸一つと共に意を決して、コウは床石を踏んだ。
多数決の道であることと、もう一人の参加が必要だということ。
それを理解し、来るのかもわからない誰かを待つことへの溜め息を吐いた、その時。
ガコン、と天井の隠し扉が動いた。
重力を感じさせない様子で、足音もなく着地する。
反動を消すために折った上半身を戻す動作に合わせ、少し赤い黒髪がふわりと揺れた。
4人分の視線を真正面から受け止めた彼女は、きょとんと瞬きをする。
それから、状況を確認するように部屋の中と4人、順に視線を動かした。
「とりあえず…初めまして?」
彼女は、まるで「いらっしゃいませ、ご注文は?」とでも言うように、にこりと笑顔を浮かべた。
「あなたは…二次試験の」
そう呟いたのはクラピカだった。
彼だけではなく、4人全員が彼女を知っている。
なぜなら、彼女はあの二次試験後半の唯一の合格者だから。
―――この子の合格に“私が”納得したの。これに関しての文句は言わせないわ。
あのメンチにそこまで言わせた女性。
クラピカの言葉に苦笑を浮かべる姿に、唯一であることを自慢している様子は感じられない。
彼女はメンチが本部に連絡を取っている間もずっと、肩身狭そうにしていたことを思い出す。
彼女は、ハンター試験には不似合いな―――言うならば、普通の女性だった。
「コウ、と言います。皆さんの名前を伺っても?」
狭い室内に5人。
この状況を見て、彼女は瞬時にほかの4人との関わりを理解したようだ。
自分だけが新参者であることを正しく理解し、まずは名乗る。
「俺はゴン!お姉さん、あのスシの試験を合格したんだよね。すごいね」
「レオリオだ」
「私はクラピカだ」
「…キルア」
順に名を告げられ、よろしくお願いします、と頭を下げた彼女。
そうして4人の警戒心をほんの少し和らげたところでようやく、壁に掛けられた説明書きに目を向けた。
15.08.03