暗号解読シリーズ

「会長…ですか」
「うむ」

朗らかに頷くその人に覚えがある。
二次試験の追試は、谷に巣を作るクモワシの卵を取ってきて、ゆで卵を作ること。
これついては、唯一の合格者ということで谷へのダイブは免除された。

合格者が1名だったこと以外は、ストーリー展開に違いがなくて良かったと、心から思う。
メンチが電話をしている最中、コウに向けられた視線の数々は、口にするのも恐ろしかった。
それがある時を境にピタリと落ち着いたのだが、それでも背中を流れる冷汗はしばらく治まらなかったものだ。


躊躇いなく谷へと落ちていく受験生の多さに唖然としていたコウ。
この追試をクリアできるだけの勇気はなかったな…そんなことを考える彼女の隣に並び立つ人。
飛んでいる飛行船から人が落ちてきた時の衝撃以上に、落ちてきた人物に驚いた。

「…いつもご利用ありがとうございます」
「あの店のコーヒーは絶品じゃからのぅ!」
「(店長…お店のお客さんどうなってるんですか…)」

何だか、知らなかった部分に触れ始めているような、そんな気がした。
とても危険な奇術師に、ハンター協会会長。
常連客の中にはまだまだいろいろな秘密を抱えた人がいるのかもしれない









二次試験追試会場へと向かった時と、今回と。
初めての飛行船は、飛行機よりは自分に合っているなと感じた。
探険というわけではなく、ただ他の受験生と一緒に居るのが嫌で、ホールから離れて数分。
人の気配を避けるようにして進んだ先に、一人の気配を感じた。
コウを誘うようにひっそりと感じ取れるその気配に、少しだけ足を速めてそこへと向かう。

「!」

角を曲がった先にいる。
何の警戒もなく、その角から飛び出したところで、そこにいた人物に驚きを隠せない。
いるのはギタラクルだと思っていた。
けれど、流れる黒髪は間違いなくイルミのもので。

「来たんだ」
「………呼びましたよね?」
「うん、よくわかったね」

気付かないかと思ったよ、と告げる彼の目に感情は映らない。
ゆったりと距離を詰め、手を伸ばせば届く距離で彼を見上げる。

「あの…」
「うん」
「ありがとう、ございました」

助けてくれて、と呟くと、彼は首を傾げた。

知らないふりをしているのか、そもそも助けたという意識なく当然の行動だったのか。

恐らくは後者だな、と思ってそれ以上は何も言わなかった。
針の筵のように受験生たちの視線を受けていたあの時。
中には視線だけではなく殺気を向けてきていた人もいて、思わず身体が逃げ出しそうになっていた。
そんな視線の数々が一斉に消えたあの時。
自分に向けられていない、けれども感じた殺気には覚えがあった。






手を伸ばしたのはコウではなかった。
掬い上げるように顎を持ち上げられ、視線をあげる。
真正面から見つめられることには慣れない―――特に、イルミには。
ギタラクルの姿であった時でさえ、その顔の向こうに彼を思い浮かべてしまったのに、本人だ。
頬が熱を持つことを抑えられず、かといってその手から逃れることもできず。
じっと見つめる視線に耐えるように視線を彷徨わせ、やがて全てから逃げるようにギュッと視界を閉ざす。

「…大丈夫そうだね」
「え?」
「殺気、慣れてないと身体に負担がかかるから」

そう告げられると同時に手が離れていく。
反射的に一歩身を引いてしまったけれど、彼は表情を変えなかった。

「イルミさんのお蔭で、少しは慣れていたんだと思います」

正直なところ、あの時向けられた殺気は、イルミのものとは比べ物にならなかった。
本能的に身体が動きかけたけれど、一次試験のヒソカの時ほど飛ぶようには逃げなかっただろう。
数ヶ月をかけて色々なことを教えてくれたのは目の前の彼であり、その時間は決して無駄ではなかったということだ。

「もう行きなよ。身体を休めた方がいい」

そういって優しく肩を押され、やってきた道へと促される。

踏み出すのに少しの躊躇いを感じたのは、数少ない知人から離れることへの不安だろうか。
それとも、“イルミから”離れることへの不安だろうか。

自分の心が、未だにわからない。






「あ、いたいた!」

廊下を進んでいると、そんな声が聞こえた。
自分、だろうか。
声の主を振り向くと、そこには思った通りにメンチがいて、小走りに駆け寄ってくる。
コウは足を止め、近付いてくるメンチにぺこりと頭を下げた。

「あんたに聞きたいことがあったのよ。もしかして、あんた“トレゾール”の子?」

そう問いかけられる。

「あ…はい。“トレゾール”の店員を少し」

トレゾールとは、コウが勤めている喫茶店の名前だ。
覚えのある名前が飛び出したことに、少しだけ表情が緩む。

「道理で!ダンテが話してたのはあんたのことだったのねー」
「ダンテ…」
「店長の名前よ。知らなかったの?」
「店長としか呼ばなかったので…ダンテって言うんですね」

初めて知りました…と今更ながらに店長の名前を知らなかったのだと気付く。
店長は店長で、お客さんもみんな店長と呼ぶので、違和感すら持ったことがない。

「私もあそこの常連なのよ。あんたが勤めてた頃はちょっと忙しくてね、顔を合わせたことはなかったけど」
「そうだったんですね。いつもご贔屓にしてくださってありがとうございます」

最早、誰が常連だと言われようが驚かない―――かもしれない。
深々と頭を下げれば、そんなことはするなと言われてしまった。
何となく、店長と常連客の関係性が見える一言だ。

「ダンテが随分褒めちぎるから、どんな子かと思ってたけど―――なるほどね」

上から下まで三往復ほど眺め、自己完結するようにうんうんと頷く彼女。
それから、頑張りなさいよ、と言い残して足取り軽く立ち去って行った。

「…店長、色々聞きたいことがあります」

ケータイに登録されている彼の電話番号を見つめ、そう呟いた。
今電話をしてしまったら、長丁場になる気がする。









『よぉ、メンチか。珍しいな』
「あんたの秘蔵っ子、見つけたわよ」
『そーか。お前が電話してくるってことは、二次試験もクリアしたわけだな。嫌がってた割には優秀優秀』
「目に付くほど試験に消極的で、どうしてやろうかと思ったら課題はクリアするし、イライラさせられたわ」
『はは!でも通したんだな。中々イイものを持ってただろ?…無自覚だが』
「否定はしないわ。で、あの子を巻き込んだっていう男は随分と個性的な男ね」
『―――そうかもしれんな(そうか。イル坊は顔を変えてるんだったか)』
「驚くくらいに大事にされてるけど…あの子、他の受験生から睨まれてるわ」
『随分気に入ったんだな。心配してんのか?』
「な…!そんなんじゃないわ。目に付くだけよ!」
『そーかそーか。ま、その辺はナイトが何とかするだろ。それに…そのくらいで潰れねぇさ、アイツは』
「………ま、それも否定しないわ」
『本当に気に入ったんだな。たぶん、アイツも喜ぶぜ』
「…ふん。切るわ。邪魔したわね」

15.07.27