The evolving heart
「怪我…してるの?」
森の中、一人の少女がそう言った。
その少女の足元には小さな子犬。
子犬の足からは赤い血が滲んでいた。
その日、コウはルシアと共にゾルディック家の敷地内を散歩していた。
コウの年齢から考えれば、かなり危険なことであると言える。
だが、それはごく一般の子供を対象とした場合であった。
彼女の育ちを知っているシルバは、コウの申し出に笑みすら浮かべて了承したのである。
ちなみにスノウは部屋で留守番。
森に入って小一時間。
「怪我…してるの?」
コウは巨木の根のあたりに蹲る子犬の姿を見つけた。
かなり警戒しているその子は、牙をむき出してコウを威嚇する。
「――――っ痛」
伸ばしたコウの手に、二筋の爪痕を残す。
足の傷を見て、コウの表情が変わった。
「…自然の怪我じゃないね…」
明らかに銃創であるそれを見て、眼に鋭さを宿す。
だが、それは一瞬の事ですぐに柔らかい表情を浮かべると子犬に手を伸ばした。
一瞬身体を震わせるものの、大人しくコウの腕に納まる。
傷口に触れないように気をつけながら、コウは子犬を抱きかかえて屋敷へと歩き出した。
屋敷まで数キロと近づいた頃。
ルシアが匂いを気にするように空を仰いだ。
それに、コウも反応を示す。
「……侵入者か…」
子犬を抱えなおすと、コウはその場で立ち止まる。
気配を消す事もせずに近づいてくるその人物。
むき出しの殺気に、ルシアが唸った。
太腿に挿してあるナイフを抜き取ると、その方向へ臨戦態勢を取る。
「うわぁぁああぁぁっ!!!」
異様な叫び声を上げ、林から飛び出す一人の男。
蜂蜜色の髪はボサボサでかなり乱れていた。
そのままの勢いでコウに飛び掛ろうとする男に、ナイフを投げる。
寸分狂わずに額を貫こうとした、その瞬間。
――ヒュンッ――
「!」
空を切るように数本の針がコウの後ろから飛んできて、男の顔中を埋め尽くした。
「逃げ足だけは速いね」
振り返っていたコウの目に映ったのは、黒髪の青年。
コウよりもいくらか年上だろう。
数日前にここへやってきたコウには、初対面の人物だった。
「君がコウ?」
「うん」
ルシアが警戒していない事から、コウも肩の力を抜く。
ナイフを投げる為に片手で抱いていた子犬を両腕に抱きなおすと、再びその青年の方を見た。
「俺はイルミ。初めてだと思うから一応名乗っておくよ」
「イルミ……ああ、シルバさんの長男」
名前を復唱し、記憶の中からそれを引き出す。
覚えのある名前は、すぐに答えが出た。
「イルミ…さんはこの男知ってるの?」
「………さんはいらない」
「じゃあ、イルミ」
抑揚のない声、そして感情の読み取れない表情だが、コウはそれを全く気にも留めなかった。
それどころか笑みすら浮かべてイルミに話しかける。
「恐くないの?」
「……恐くないよ。ゾルディック家は意味もなく殺さないし。それに、ルシアが怯えてないから」
「念…だね」
「凄い…一目見て気づいたのってシルバさんとゼノさん以来だよ」
言いながら、コウはイルミの方へと歩き出す。
「ねぇ、この男は?」
「先週くらいからここの森に入ってた賞金稼ぎ。入ったはいいけど、出られなくなってたみたいだね」
「うわー…馬鹿な人…。で、何でイルミがこんな所にいるの?」
「父さんにゴミの始末を頼まれたんだよ」
イルミは地面に横たわる男の傍まで歩き、息がない事を確認する。
そして、黙って歩き出した。
「?どこ行くの?」
コウがそう問うと、イルミは首だけ振り向いて答える。
「屋敷に帰るんだけど?」
「あ、そっか。私も行く」
再び歩き出したイルミを追って、コウも屋敷への道を進み始めた。
「イルミが婚約者?」
シルバの部屋に呼ばれたコウ。
同じく部屋にいるイルミの表情は、いつもの事ながら読めない。
「そうだ。まぁ、形だけのな。お前はしたい事をすればいい。仕事の件も止めはしない」
シルバの手が、コウの頭を撫でる。
気持ちよさ気に表情を緩めて、コウは頷いた。
そして、隣のイルミの方を向き直って言う。
「よろしく、イルミ」
「…よろしく」
「ねー、イルミ。この子の名前付けてあげて」
それからと言うもの、コウはよくイルミに懐いた。
暇さえあればイルミの部屋を訪れ、他愛無い話をしていく。
とは言っても、話すのは殆どコウで、イルミは時折相槌を打つくらいなのだが。
そうしている間に、イルミの方も少しずつだが話すようになってきた。
コウからすれば嬉しい事この上ない。
「何で俺が…コウが拾ってきたんだから自分で決めなよ」
「だってー…シルバさんが番犬にするって言うから…」
「じゃあ、父さんに決めてもらえばいい」
「シルバさん仕事で一週間留守でしょ」
そう言って、コウは子犬を抱えてイルミの膝に乗せる。
溜め息をつきつつも邪険に扱わないのはコウの影響だろう。
「じゃ、お前ミケね」
子犬の鼻先に指を差し出して、イルミがそう言い切る。
「は?ミケって…猫みたい。それにミケ「わんっ!」」
「「…………………」」
初めて子犬が鳴き声をあげた。
それに暫し沈黙する二人。
先に口を開いたのはコウだった。
「とにかくさ、ミケ「わんわんっ!!」」
そこまで言って、コウは何かに気づいた。
恐る恐る子犬に近づき、その言葉を言う。
「ミケ?」
「わんっ!」
「「…………………」」
どうやらすでに自分をミケと判断してしまったらしい。
「…イルミ……」
「…不可抗力だと思うよ」
結局どれだけ教えても結果は同じ。
コウの拾ってきた子犬はミケと命名された。
ミケがゾルディック家敷地内の優秀な番犬となるのはもう少し先の事。
Request [ 120000|沙良様 ]