猫にまたたび

「はい、じゃあ今日の練習はここまでにしよう。みんなお疲れさん」

監督の声に集まっていた全員が「ありがとうございました」と頭を下げる。
部活終わりのいつもの光景だ。
そこから、それぞれが自主練や帰宅のために動き出す。
紅もまた、空になったドリンクボトルをかごに入れて体育館を後にした。

「研磨さん、トスあげてください!」
「えー…」

早々に部室に引っ込もうとしていた孤爪が灰羽に捕まった。
ジャージをしっかりと掴まれてしまっては身動きが取れない。
いやです、という表情を隠しもしない孤爪に、三年生が小さく笑う。
そして、黒尾が孤爪にとっては鶴の一声となるであろう手助けの声を一つ。

「研磨ー、紅は自主練参加の日だぞ」
「………レシーブ練習、終わってからね」
「!!即行で終わらせます!!」
「そうと決まればやるぞー。リエーフ、早く位置につけ!」

孤爪はジャージを掴む手が緩むのを見逃さず、さっとベンチへと引き上げる。
ベンチの近くで汗をぬぐい、キョロ、と周囲を見回す。
その時ちょうど、体育館の入り口に紅の姿が見えた。
重そうなドリンクジャグを持ち、こちらへと向かってくる。
孤爪はタオルを荷物のところにおいて彼女の方へと歩いた。

「持つよ」
「うん、ありがとう」

部活中であれば断るところだが、今は自主練の時間だ。
厚意を素直に受け取り、ドリンクジャグを手渡す。
それなりの重量だというのに、危なげない様子で運んでいく彼に、やっぱり男の子だなぁと思う。

「今日は参加する日?」
「リエーフに絡まれた」
「それはそれは。可愛い後輩が喜ぶねぇ」

その時のやり取りが頭に浮かび、クスクスと笑い声がこぼれる。
ベンチに置いたジャグの横にプラスチックのコップの山を置いておく。
ここまで準備しておけばみんな適当に水分補給していくだろう。
コートの中では夜久のスパルタ練習が繰り広げられていて、自分の出番はまだ先だ。
エナメルバッグからゲーム機を取り出し、ベンチに腰かける。

「やっぱり夜久さんのレシーブって綺麗だなぁ」
「うん、上手いよね。リエーフは見習ってほしい」
「まぁ、彼も頑張ってるので」

現在進行形で頑張っている灰羽の姿にクスクス笑いながら答える。
とん、と肩に紅の頭が触れた。

「ちょっと。一旦頭退けて。汗かいてるしタオルくらい挟みなよ」
「はーい」

ひょいと頭を持ち上げて空いたスペースに孤爪のタオルが差し込まれる。
改めて頭をそこに預け、彼の手元へと視線を落とした。

「紅ー、今日の紅白戦のスコアあるか?」
「とってあるよ。そこのノート」
「さんきゅ」

いつの間にか、先ほどまでレシーブ練習の中でスパイクを打っていたはずの黒尾が側に来ていた。
スパイカーは山本に交代したらしい。
体勢を変えずにノートを指さすと、彼はパラパラとそれをめくっていく。

「ところでお二人さん。ここは体育館なんですがね」
「うん」
「“うん”、じゃないんだなぁ…家じゃねぇんだからちょっとは距離感考えろよ」
「今更」
「今更だけどな?言わなきゃずーっとその距離感でしょーが」

こうして言葉を交わしている間も二人の体勢は変わらない。
距離感について言われるのはこれで何度目だっただろうか。
そんなことを考えていると、コート内から孤爪を呼ぶ元気な声が飛んできた。

「研磨さん!トスあげてください!!」
「はーい…」

約束は約束だ。
素直にうなずいてゲームを中断する彼に、紅も彼に預けていた身体を起こして姿勢を正す。
立ち上がった彼はぐっと一度伸びをしてからゲーム機とタオルを紅の膝に置いた。
そうして、紅の頭を撫で、ベンチを離れて行く。
紅は受け取ったゲーム機をケースの中に戻してエナメルバッグに入れる。

「部活終わりなのにみんな元気よねぇ。リエーフだけじゃなくて犬岡も並んでる」
「見ろよ、あの研磨の嫌そうな顔」
「スパイカーのワクワク顔との対比が面白いね」
「あいつが自主練に参加することがレアだからな、仕方ねぇわ」
「なんだかんだ言っても付き合うから研磨って優しいよね」
「今日は逃げられない理由がいるからな」
「そんな顔で見ても無理なものは無理でーす」
「わかってるって。いつもありがとな」
「私も楽しんでるからwin-winだけど…どういたしまして!」

2024.07.28