狐の嫁入り
「―――翔陽!!」
人波の向こうに見えたオレンジに声を上げる。
スーツケースを引き、足早にそちらへと向かう。
「紅!」
どちらともなく笑顔が咲き、広げられた腕の中へと飛び込む。
記憶にある彼よりも、少しだけ厚みを増した胸に受け止められた。
ぎゅっと強く抱きしめられ、頬でその鼓動を感じる。
「「―――会いたかった」」
呟く声が重なり、そっと視線を合わせる。
同じだ、と笑い合い、落ちてくる唇を素直に迎え入れる。
ここが空港だとか、人前だとか―――そういうことは、頭の片隅にすら存在しなかった。
「ん、これ以上は駄目」
より深くなりそうなキスを鋼の精神で制止した。
流されてしまいたいけれど、そういうわけにはいかない。
「…だな、ごめん」
「口紅ついちゃったね」
艶やかな唇を親指でなぞり、色移りした口紅を拭いとる。
再会の抱擁を交わし、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
ふと周囲に視線を向けるも、自分たちに意識を向ける人はいない。
それどころか、自分たち以上に熱烈なカップルも少なくはなかった。
「さすがブラジルね」
「だよな!俺もまだ慣れない」
「いや、翔陽は割と馴染んでる気がする…まさかあんな自然にキスしてくれると思わなかった」
「…半年ぶりだぞ」
少しだけ拗ねたような声色にくすりと笑い、その腕に自分のそれを絡めた。
「ホテルの場所わかる?」
「調べた!とりあえず荷物をホテルに預けてから案内する!」
行くぞ!と紅の手からスーツケースを受け取り、空港の中を歩きだした。
「初めまして紅です」
「君が紅だね!話はいつも聞いていたよ」
よろしく、とハグを交わし、頬を寄せて挨拶をする彼は加藤ルシオ。
白鳥沢学園の卒業生であり、日向のブラジル修行のバックアップをしてくれている人物だ。
ビデオ通話はしたことがあるけれど、こうして顔を合わせるのは今回が初めてのこと。
「じゃあ、俺練習に混ざってくるな!」
「うん、行ってらっしゃい」
すでに準備運動を終えていた翔陽は元気よくチームメンバーの輪の中へと走っていった。
そんな彼を見送り、改めて加藤へと向き直る。
紅は深々と頭を下げた。
「翔陽を受け入れてくれてありがとうございます。ご挨拶が遅くなり申し訳ありませんでした」
「いいって!事情は日向くんから聞いてるよ」
そういうと、加藤は一旦口を閉ざしてじっと紅を見つめる。
紅もまた、失礼のない範囲で視線を返した。
「日向くんが既婚者だって聞いたときは正直驚いたし、若気の至りかなって思ったりもしたんだけど―――うん、君たちの場合はそういう感じじゃなさそうだね」
「私のわがままです。恋人という浅い関係だけでは遠い異国の地へ彼を送り出してあげられなくて」
世間的にみれば、高校を卒業したばかりの彼との結婚は手放しに受け入れられるものではない。
況してや、彼はビーチバレーの修行のために国外で暮らそうとしている身だ。
紅は今でも、翔陽の家族が結婚を認めてくれたことは奇跡に近いと考えている。
加藤の見つめる彼女の胸元で、見覚えのあるデザインのネックレスがきらりと光った。
何かのときに、翔陽の手元のスマホに映る写真に気づく。
じっとそれを見つめる彼の目が優しくて、相手の女性との関係性は自ずと理解できた。
「それ、恋人かい?」
「はい!あ、じゃなくて…奥さんです!―――何かまだ慣れないんですけど」
「日向くん結婚してるの!?」
「はい!半年くらい前に入籍しました」
「ほぉー…なかなか思い切ったね」
年齢的に言えば彼はまだ19歳だ。
その頃には単身、ブラジルに渡ることも決まっていたはず。
一般的な感覚で言えば、結婚のタイミングとは考えにくい。
加藤のそんな考えを読み取ったのか、翔陽が再び手元の写真に視線を落とす。
「ビーチバレーをやるって決めて、彼女に一番に話したんです。海外だろうがどこだろうがやるって決めてたから、俺のわがままに彼女を巻き込めないし―――別れた方がいいのかなって思ったりもして」
そう考えるのも無理もない話だ。
2年という期限があるとはいえ、一緒に来てくれというのも、待っていてほしいというのも難しい。
「彼女、紅が言ってくれたんです。どこへでもついていくし、一人で行きたいなら日本で待ってるって。そうして背中を押してくれて」
照れたように笑う彼の胸元で、きらりと光るネックレス。
そういうアクセサリーをつけるタイプには見えない彼が、バレーの時以外はいつでも身に着けているそれ。
なんとなく、その意味を理解した。
「いいね!若い二人がそれぞれ思い合ってるのがよくわかるよ!」
加藤の言葉に紅はきょとんと瞬きをして、それから照れたように小さく微笑んだ。
「そういう風に言われるの、照れますけれど…嬉しいですね」
そうして半年間のことやブラジルでの生活のことなどを話していると、チームの練習も休憩時間に差し掛かった。
チームメンバーとともに水分補給をしていた翔陽に呼ばれ、彼女はこの場を離れた。
紹介されたのか、日本人らしく律儀に頭を下げていく彼女の印象は悪くない。
二人が並び立つ姿をみたのは今日が初めてだけれど、それがとても自然な様子に見えた。
それだけで、二人の関係性が理解できる。
「応援したくなるね」
そう呟いて笑うと、加藤もまた賑わいへと足を向けた。
ガラスケースの中にはきらきらと光るアクセサリーの数々。
自分には無縁だと思っていたその光沢は見慣れないけれどどこかワクワクと心躍るものでもあって。
「小さい。失くしそう」
「そっちはピアスだからねぇ」
「穴開けるやつ?穴開けて通すなら失くさないよな」
「それはそうなんだけど…やめた方がいいと思うよ」
「なんで?」
「ピアスは体調とかで炎症起こしたりするって聞くし…ビーチやるときに砂とかで衛生的に保つの難しいんじゃないかな」
自分もピアスホールを開けているわけではないから調べて知った情報ではあるけれど。
今後のことを考えると、ピアスは彼のためにはならないと思う。
紅がそういうと翔陽はそっか、と頷いた。
「バレーやるのに邪魔になるものはやめようね。というか、バレーやるときは外していいからね」
「…わかった」
「不満?」
「んー…付けておきたい気持ちと、失くすか壊すかするよなって気持ちが半々」
自分のことがよくわかっているな、と思わず笑ってしまう。
そんな二人の元へ、しばらく様子を見ていた店員が静かに歩み寄ってきた。
「お求めのアクセサリーの種類はお決まりですか?よろしければ、ペアリングもございますが…」
やわらかい営業スマイルとともにかけられた言葉。
紅が翔陽を見つめると、彼もまた彼女へと視線を向けて。
「何か、お揃いのものが欲しいなって思うんだけど」
入籍の段取りがついた頃、そう提案したのは紅からだった。
「例えばどんなの?」
「アクセサリー、とか」
「ん、わかった。次の誕生日になんか見に行く?」
「うん、そうしたい」
「あ、でも…一個だけ」
そういって、翔陽の手がするりと紅の手を取る。
左手、薬指。
根元から指先へ、その形をなぞるように触れて、きゅっと指を絡めて握りこむ。
「結婚指輪は、俺がちゃんと自分で稼げるようになってから、買いたい」
「…うん、待ってる」
「ありがとうございます。指輪は―――」
「また、その時が来たらお願いします!」
紅の言葉を翔陽の元気な声が引き継いだ。
そうしてほんの少し頬を染めて笑い合う二人に、店員は「失礼いたしました」と微笑んだ。
「“その時”はぜひ、お二人に似合うペアリングをご紹介させてください」
2024.08.29