狐の嫁入り

「 紅、話したいことがある」

パソコンに向かう 紅の傍らで膝の上のバレーボールを転がしていた日向がそう声をかけた。
いつの間にか、胡坐ではなく正座に姿勢が変わっている彼に、声をかけられた 紅は静かに眼鏡を外す。
画面の保存ボタンを押し、くるりと椅子をまわして立ち上がる。
そして、日向の正面に腰を下ろした。

「どうしたの?」

紅の問いかけに日向は少しの間を置いた。

「俺、ビーチバレーをやりたい。もし海外だって言われても、行きたい」

静かで、それでいて熱を帯びた眼差し。

「…うん。その道を決めたのね」
「うん。明日、コーチに話をしようと思ってる」
「わかった。私に、何かしてほしいことはある?言語的なことなら手伝えると思う」
「それは助かる!―――じゃなくて…お前はどうしたい?」

今までずっと、一緒に生きてきた。
もちろん、学年の違いから生活スタイルがかみ合わない期間はあった。
それでも、家が隣と言うこともあり、全く会うことができない環境ではない。
しかし、今回は違う。

「…私の仕事はネット環境さえあればどこでもできるから、ついていけるよ」
「………」
「翔陽が一人で行きたいなら、日本で待ってる。修行のために独りで地球の裏側に行く―――その経験は、あなたの糧になると思う。寂しいから、たまには会いに行きたいけど」
「… 紅に、甘えちゃいけない気がする」

日向の言葉に 紅は小さく笑みを浮かべる。
彼を支えることは 紅にとっては呼吸にも等しい。
けれど、それが彼の成長の妨げであってはならない。
人は時に、過酷な環境によって飛躍的な成長を遂げる。
彼にもまた、その可能性があるのだから。







それはどこまでも日向本位の言葉だった。
どれほどの期間になるのかもわからない。
その後のことだって全くの未知数だ。
それなのに、彼女はいとも簡単に“待っている”と口にした。
日向自身、彼女のためになるならばと、一度は彼女の手を放すことを考えたというのに。

「―――わがまま、言っていい?」

ぽつり、と囁くような、祈るよう声だった。

「!!なんでも聞く!!」

少しだけ日に焼けた日向の手を、日焼けのない白い指先が捉えた。

「…小さい頃の約束、覚えてる?私たちの、未来の約束」






「わー!あめふってきた!」
「“てんきあめ”、きれいだよねぇ」
「ぬれるからはしるぞ!」

「あのさ、さっきの“てんきあめ”ってなに?」
「はれてるひにふるあめのことだよ。“きつねのよめいり”ともいうんだって」
「へぇー…じゃあさ、どっかできつねがよめいりしてんのかな」
「そうかも!」
「おまえがおれとけっこんしたら、“きつねのよめいり”だな!」
「…?しょうようがひなたで…あ、おばあちゃんが“あまみや”だから?」
「そう!あめばーちゃん、よく“あまみやのおんなは”っていってる」
「そういえば、おばあちゃんもおかあさんも、けっこんしきはてんきあめだったんだって」
「すげー!りあるきつねのよめいり!おれたちのけっこんしきもてんきあめになるかなー」
「…………」
「どした?」
「けっこん、してくれるの?」
「あたりまえだろ!だいすきでずーっといっしょにいるならけっこんだってきいた!」
「そ、か…」
「……いや?」
「いやじゃない!」
「じゃあ、おとなになったらおれとけっこんしてください!」
「うん―――やくそく、ね?」
「おう!」







ずっとずっと、記憶の奥底で大切にあたためて愛しんできた、いつかの大切な思い出。
幼子の口約束かもしれないけれど、それでも。
忘れられない、大切な思い出だ。

「―――覚えてる」

静かな声とは裏腹に、その瞳は熱を帯びている。
彼の脳裏に浮かぶ光景が、 紅の思い描く記憶であると理解した。

「翔陽の邪魔はしたくない。でも、海外はすごく遠いから…日本ほどに平和な国じゃないってことも知ってる。何が起きてもおかしくない。それでも―――あなたを送り出したことを、後悔したくない」
「―――うん」
「だから、翔陽。あの頃の思い出と同じ気持ちでいてくれるなら…一緒にいたいと思ってくれるのなら。―――結婚してください」

絡めた指先に力を籠める。
きっと、彼が少しでも力を入れればすぐに解ける程度の触れ合い。
瞳に、声に、手の平に。
ありったけの愛情をこめて、その言葉を紡いだ。

「…俺、バレーのためにお前を置いていこうとしてる」
「私が残るだけだよ。ちゃんと会いに行く」
「…向こうでバイトはするし、将来はバレーで頑張るけど…お前の収入なんて全然超えられる気しない」
「趣味を仕事にしてみた副産物だから気にしなくていいよ」
「…大事なこと、お前に言わせた」
「私が我慢できなかったから仕方ないよね!それに…いまどき、男が女がって拘らなくていいじゃん」

ぽろり、と涙がこぼれた。

「俺も、お前と結婚したい」

その言葉を聞いて、堪らず彼に抱き着いた。
結構な勢いだったけれど、それでもしっかりと抱きしめてくれる。
背中に回った両腕の力は強いけれど心地よい。

「バレーが大好きな日向翔陽の全てを愛してる」
「俺だって!そう言って俺の全部を応援してくれる 雪耶紅の全部を愛してる!」

肩に滲んだ涙のぬくもりさえも愛おしい。

2024.05.21