狐の嫁入り
今でも人と接するのは緊張するけれど、幼い頃の私は今以上に人見知りが激しくて。
家を出るだけでも不安で涙を浮かべるような子供だったらしい。
「紅ちゃんのペースがあるからねぇ、大丈夫よ」
怖くても大丈夫、泣いてしまっても大丈夫。
おばあちゃんがそう言って私を抱きあげ、慰めるように褒めるように背中をとんとんと叩く。
あの頃はまだ大きく感じたおばあちゃんの優しい腕は、今でも何となく覚えている。
仕事が忙しい父と母に代わり、散歩や買い物に連れ出してくれたのは母方の祖母だった。
私が4歳の頃、母方の祖父が亡くなったのをきっかけに、祖母との同居が決まったという。
そのときのことはあまり覚えていない。
私の記憶の幼い記憶は、引っ越しから三日後から始まっている。
「お隣さんには紅ちゃんよりも一つ小さい男の子がいるのよ。今日は挨拶に行こうね」
「おとこのこ…」
父や母は引っ越し当日に挨拶を済ませたらしい。
移動や慣れない環境に少し疲れてしまい眠ってしまっていた私一人が挨拶に乗り遅れた。
そうして引っ越しから三日後、おばあちゃんは私の手を引いてお隣のインターホンを鳴らす。
インターホン越しに女性の声が聞こえる。
「雨宮さん、こんにちは」
「こんにちは、末っ子の挨拶に来ました」
「あら!この間はお兄ちゃんだけでしたもんね。初めまして!」
ドキドキと心臓がうるさくて、おばあちゃんの手をギュッと握りしめた。
挨拶は大事―――両親からも、何度も言われている。
「は、じめまして…紅です」
「可愛らしいお孫さんですね。あ、うちの子も連れてきていいかしら?」
もしかすると人見知りだと聞いているのかもしれない。
わざわざ幼い子供の許可を得る女性に、こくこくと頷いた。
女性が家の中へと戻っていく。
どんな子なんだろう、と気持ちが落ち着かない。
おばあちゃんがふふ、と笑った。
「挨拶、ちゃんとできたね」
「…うん!できた」
いい子、いい子。
優しい声と共に頭を撫でられるのが好きだった。
バタバタと元気な足音が近付いてくる。
こら、翔陽!そんな声が家の中から聞こえてくる。
ガラッと玄関の引き戸が勢いよく開いた。
「おれ、ひなたしょうよう!」
勢いよく飛び出してきた彼は私の目の前で止まり、満面の笑顔でそう言った。
驚くよりも何よりもまず―――太陽のようだと思った。
太陽の存在をきっかけに、世界が色彩を得たかのように。
全ての記憶は、そこから始まっている。
「紅ちゃんも立派に雨宮の女よねぇ」
「もう…おばあちゃん、そればっかり」
「ふふ、だって、あの時の紅ちゃんったら…ねぇ?」
「もー忘れてほしい!でもあの日、翔陽に会わせてくれたことは本当に感謝してる。ありがとう」
「どういたしまして。娘と孫の一目惚れの瞬間を目の当たりにするなんて、幸せよねぇ」
「おばあちゃんもおじいちゃんに一目惚れなんでしょ?惚れっぽい家系なのかな」
「自分の運命を引き当てられる強運で一途な家系なのよ!」
「おばあちゃんが言うと本当にそんな気がする」
2024.05.21