Crimson memory

当然、重力はティルだけを無視したりはしない。
徐々に加速してきているのは、耳に痛い風の音でよくわかった。

「んー…考えなしに飛び出したわけだが…どうするかな」

ティルは落下しながら腕を組む。
60階を越えるビルの最上階から身を投げたのだ。
何もしなければ、地面に叩き付けられて御陀仏である。
そんな状況であるにも関わらず、彼は冷静だった。

「ファイガ…は前に衝撃があったか…?サンダガは意味ねぇしな…ブリザガも無理だな」

彼は前方への衝撃により、落下のそれを防ごうとしているようだ。
それが可能な魔法は限られている。

「………仕方ない。炎の推進力を買ってみるか」

手首のアームバンドに装備された黄色のマテリアを見下ろし、そう呟く。
大した衝撃ではないようにも思えるが…この際だ。
そう思ったところで、彼は腰のベルトに装備したそれの存在を思い出す。
手のひらサイズの錘のついたそれは、フックショット。
試作品を盗み出していたのを、今更に思い出した。

「…流石、俺」

自画自賛と言うことなかれ。
この状況にそれを持ち合わせていたということは、例え偶然とはいえ素晴らしい行動だ。
カチャン、と留め具をはずすと、そのまま壁に向けてひし形の金属で出来ている錘を投げた。
鈍い音を立ててそれが壁に突き刺さる。
手元のボタンを操作すれば、それが軽く分解して抜けにくくなる仕組みだ。
ギュルギュルと細いワイヤーが伸びていき、ティルは振り子のように揺られて壁へと一直線。
もちろん、叩き付けられるようだドジは踏まない。
しっかりと両足を壁に沿え、ティルの落下は終わった。

「さて、と。このままってわけにもいかねぇよな」

よし、そう意気込むと、ティルはゆっくりとワイヤー越しに壁を登っていく。
と言っても殆ど歩いているのと変わらない動作。
彼が地面と水平に移動している以外は、まったく違和感はない。
それが最大の違和ではあるけれど。
そうして、数メートルも移動すれば窓ガラスの部分にたどり着く。
ティルはそこに到達すると、まるでジャンプするように壁を離れた。
振り子の要領で再び壁へと向かっていく彼は、その足でガラスをぶち破る。
ガシャーン、と派手な音がフロアに響き渡った。
身体がフロア内に入り込むのと同時にフックを操作してめり込んだ壁から抜き取る。
ティルは軽やかに身体を回転させ、磨きぬかれた床へと着地した。
服についたガラス片を払い落としながら室内を見回す。

「…備品保管室か」

掃除が行き届いているのは、頻繁に使用される部屋だからだろう。
壁ひとつ分が更衣室になっているらしく、4つほどの個室内を隠すカーテンが見える。
その向かいには、これまた壁一枚分のだだっ広いロッカーだ。
ひとつの扉を開けば、コートのような防寒具が陳列している。

「…ふぅん…結構いい生地使ってんなぁ…」

そう言いつつ、コートの上からフードのついた皮製のマントを羽織る。
顔を隠す程度には役立つだろう。
ついでに、その辺にあったサングラスもかけておく。
フードは人に会いそうになってからでも問題はないだろう。
そう思ったティルは、そのまま部屋を出ようとした。
だが、彼が開閉スイッチに手を伸ばした時、タイミングを見計らったかのようにドアが開く。

「あ、ごめんなさい」

入ってきたのは、金髪のショートヘアの若い女性だった。
中に人が居るとは思わなかったのだろう。
彼女は少し驚いたように後退する。

「いや、俺も悪かった」

出来るだけ感情を表に出さないようにそう答え、入ってきた彼女に入れ替わるようにドアを潜る。

「あら?あなた、もう貸し出し記録を入力したの?」

会社の備品を使うには、記録を残す必要があるらしい。
背中に声をかけられたティルは、仕方なく足を止める。

「社員IDの調子が悪いらしくてな。昨日落としちまったから、その関係かもしれない。
ちょっと受付で聞いてこようと思ってたところなんだ」

疑わせる要素をひとつも持たない、自信に満ちた答え。
スラスラと詰まることもなくそう言った彼の言葉を、彼女は疑わなかった。

「あ、そうなの。
今アバランチが脱走したせいで、色々とごたついているから…すぐには申請できないかもしれないわよ」
「…マジか。しかたねぇなぁ…ま、何か対応してもらうよ。俺、今から仕事だしさ」
「ソルジャー?」
「そ。栄光なきソルジャー・クラス3rd」

お見知りおきを、と笑ってから、あんたは?と問う。
さっさとこの場を後にしたいのだが、疑われるのは面倒だ。
あと数分、あと数分…そう言い聞かせ、笑みを作った。

「今度、タークスに入ることになったの。騒ぎのお蔭だなんて、少し不本意だけど…」
「運も実力のうちさ。あんた、名前は―――いや、やめとこう」
「…どうして?」
「名前は、今度会えた時に聞くよ。そうしたら、また会える」

そう言って笑うティルは、目元がサングラスで隠れているにも関わらず、格好良かった。
女性はその頬を桜色に染め、もう、と形だけ口を尖らせる。

「じゃあな、新人タークスのお嬢さん」
「ええ。またね、ソルジャー・クラス3rdさん」

ひらひらと手を振られ、ティルは背中を見送られる。
シュン、とドアが閉まってもなお、彼は気を抜かなかった。
そして、一番初めの角を曲がってしまってから、漸く肩の力を抜く。

「危ねぇー…タークスかよ」

よくやった、俺。
心中で自身をそう褒める。

「次に会うことがあったら…敵、だな」

悪いことをしたなぁ、と思いつつも、それも仕方がないと割り切っている。
進む道が違えば、立場が対立したとしてもおかしくはないのだ。
偶々、彼女とは全く正反対の位置に居ただけのこと。
ティル的には、運が悪かった、という程度だ。

「さて、と…さっさと出て行くか」

もう間もなく、彼女が割れた窓ガラスに気づく。
そうなれば、彼女は間違いなく自分を追ってくるだろう。
あの目は、正義感にも似た強い感情を帯びていた。
それを思い出しながら、ティルはずっと握り締めていたらしい刀を見下ろす。
手入れが行き届いていると言うよりは、いっそ不気味なほどに美しいそれ。
手放すタイミングを失って、結局ここまで持ってきてしまった。
隠すことすらままならない大きさの刀を見て、ティルは短く溜め息を吐く。

「セフィロス…」

この刀が、コウを貫いた。
彼女の細い胸を通り、それでも半分以上姿を見せていたほどに、長い刀。
これが彼女の血に濡れていたのだと思うと、拭いきれない不快感を覚える。
ティルは刀の柄をしっかりと握り締め、上段から一気に振り下ろした。
一瞬の内に、彼の脇にあった洒落た電灯が物言わぬ塊と化す。

アバランチの騒ぎに紛れ、ティルは正面入り口から神羅本社を後にする。
彼の通り道では、脱ぎ捨てられた皮製のマントが風にはためいていた。

07.12.09