Crimson memory

クラウドたちが去った後、ティルは壁に凭れるようにしてずるずると床に座り込んだ。

―――ティル。あなたに、その名前をあげるわ。

そう言って優しく微笑んでくれた彼女は、その時はまだ母ではなかった。
しかし、次にコウが囚われている部屋を訪れた時、彼女は母だった。










「セフィロスとコウの息子だ。少しくらい無茶な研究をした所で、問題はない」

何かの薬を打たれて意識が朦朧としている中、ティルは化学者の会話を聞いた。

「しかし、万が一と言う事もある」
「壊れればコウを研究対象にすればいいだけの事。何、代わりはいくらでも出来るだろう」
「いや、彼女は近々処分が決定している。社としても、これ以上危険因子を残しておくわけにはいかないのだろう」

処分―――その意味を知っていた。
解放されるのではなく、処分―――殺される。
それを理解したのとほぼ同時に、ティルの中の魔力が弾ける。
一瞬の内に爆発的な膨張を見せたそれは、拘束具を化学者諸共壁へと吹き飛ばした。
何かが作用したのか、意識が冴えてくる。
自分の身体だけれども、そうでないような感覚。
ティルは何度か拳を握ったり開いたりした。
それから、迷いない足取りで研究室を出て行く。
1階からやってくるエレベーターを待つ暇すら惜しく、階段を駆け上がる。
たった一度だけ通った道を間違うことなく走り、彼女の部屋が見えた。

「…開いてる…」

何故か開いたままのドア。
例えようもない不安感に包まれ、彼は足を速めた。







駆け込んだ室内に居たのは二人。
部屋の中に一歩踏み込むと同時に、ティルはその場に膝を着いた。
上から押しつぶされるような威圧感。
指一本すら動かない室内の空気に、呼吸を忘れた。
長すぎる刀を片手に提げ、二人のうちの一人―――自分と同じ銀髪を揺らした男が、動いた。
もう一人であるコウはその場から動かない。
驚いたように目を見開き、駆け込んできたティルの姿さえ見えていないようだった。

「セフィ、ロス…」

あの日、彼女が何度も涙と共に叫んだ名前。
震える唇が紡いだその名前に、ティルはその名前の主がこの男であると知った。

「セフィロス…ッ!」

縺れるようにしてベッドを降りた彼女は、真っ直ぐに彼の元へと駆け寄った。
半ば突進のような勢いで抱きつく彼女を物ともせず、男…いや、セフィロスがそれを受け止める。
彼は『受け止めた』と形容するのが難しいほどに無表情にコウを見下ろした。
不意に、その視線が部屋の四隅へと動き、最後にティルへと向けられる。
向けられた眼差しの鋭さに、ティルの肺が引きつった。
背中に腕を回すでもなく、縋り付く彼女をそのままにするセフィロス。
やがて、真横から二人を見ていたティルの視界の中、彼がゆっくりと動いた。
動いたのは、刀を持ったままの手。
まさか―――最悪の考えが浮かぶ。

「…嘘だろ…や、めろよ…」

蚊が鳴くように小さな声だった。
嫌な汗が頬を伝い、筋の出来たそこをひんやりと冷やす。
ティルの声など届く筈もなく、セフィロスの刀がコウの身体を貫いた。





白い部屋に嫌と言うほど鮮やかな赤が舞う。
目を見開いた拍子に、コウの目元から涙が零れた。
ゆっくりと、ゆっくりと。
その身体が傾き、床に崩れ落ちる直前にセフィロスの腕がそれを止めた。
カシャン、と。
彼女の胸元に提げられていたペンダントが床に落ちた。

「――――ぅああああああっ!!」

魔力が余波となりセフィロスを襲う。
思わぬそれに、彼は軽く目を見開いた。
動きを制する威圧を逃れ、ティルは闇雲にセフィロスへと向かい拳を握る。
刀を持つ相手に素手で立ち向かうなど、無謀以外の何物でもない。
しかし、それを教えられる者は、この場には居なかった。
間合いの長いセフィロスの刀がティルへと振り下ろされる。
その時、無感情にティルを見たセフィロスの動きが一瞬だけ止まった。
だが、すぐにその動きは再開され、刀の刃ではなく峰がティルへとぶち当たり、壁まで一直線に吹き飛ばす。
衝突の衝撃で床に這った状態から身体を起こす事のできないティル。
霞む視界の中、セフィロスが力の入っていないコウの身体を抱き上げるのが見えた。



彼女が母だと知った。
物心ついた時から研究サンプルとして扱われたティルにとっては、その存在は大きかった。
ナンバーで呼ばれていた自分に名前を与えてくれた彼女。
一人ぼっちではないのだと、幼心にその笑顔が優しく刻まれたのだ。



―――奪われる。
―――奪われた。

唯一の居場所すらも。
力のない自分が情けなかった。
ギリッと唇を噛み締め、いくら叱咤しても動かない肉体を憎む。

「―――殺してやる…っ!!」

吐き出す空気と共に、そう叫ぶ。
立ち止まる事のないセフィロスは、その言葉にすら振り向かなかった。
彼が去り、その痕跡を残すかのように点々と落ちている血。
主を失い、沈黙する青いペンダント。
意識を失う直前まで、ティルはその光景を目に焼き付けた。
















ギュッと青いペンダントを握り締める。

「セフィロスは俺が殺す…絶対に…許さない…っ」

自分は弱かった。
だから、強くなろうと思ったのだ。

―――ソルジャー用の訓練に参加させてやる。その代わりに、実験に協力しろ。

自分を人として扱わない宝条の誘いに乗ったのも、そのためだ。
戦闘のスペシャリストであるソルジャーを鍛える訓練。
強さを求めたティルにとって、これ以上ない条件だった。
その為に何をされようとも、彼は一言の声すら上げる事もなく耐えた。
全ては、あの日の誓いを、叫びを忘れないために。

―――綺麗な名前ね。

不意に、その言葉が脳裏に浮かんだ。
声と名前しか知らない自分にそう言った、エアリスの言葉。

「…優しかった…か…」

一瞬でもそう感じた自分に、ティルは苦笑する。
復讐のことだけを考えていたのに、まだこんな感情が残っていたとは。
心優しき彼女は、仲間が助けに来ていた。
本社の中枢であるここまで辿りついたほどの者達だ。
きっと、無事に逃げられるだろう。

「…俺も、そろそろここを出るか…」

強さは得た。
これ以上付き合う必要を感じなくなっていたのも、また事実。
この辺りが潮時なのだろう。
床に突き立ったままの刀を見る。
武器に刀を選んだのも、彼への憎しみを忘れないためだ。

「…セフィロス…」

噛み締めるように、その名を紡ぐ。

07.11.26