Crimson memory
カタンと小さな音がした。
エアリスは膝に埋めていた顔を上げる。
個室の向こうに見えるドアのところに人の影はない。
今の音は気のせいだったのだろうか。
そう思ったところで、もう一度カタンという音がした。
「誰か居るの?」
控えめにそう声をかける。
きっと、大声を出せば見張りの人が駆けつけてきてしまう。
エアリスの声に数秒を置いて、別の声が上がった。
「…女?」
YesでもNoでもなく、性別の確認一言。
その声は男性のものらしく、エアリスは僅かに肩を揺らす。
「そう、女。あなたは男の人…だよね」
この声で女だと言われたら、少し自分の認識を改めなければならない。
そう思って確認のように声をかければ、また少しの沈黙の後、今度は肯定の返事が聞こえた。
「ねぇ、あなたはどこに居るの?」
「…どこだって構わないだろ」
「いいじゃない。何にもない部屋に放り込まれて、暇なの。少しだけ付き合って?」
同じ境遇かはわからないけれど、とにかく人が居ることがわかったのだ。
無機質な部屋の沈黙に飽きてきていた彼女には、その存在は闇の中に浮かんだ明かり。
裏表の見えない純粋なお願いに、相手の男は沈黙する。
駄目だったか。
諦めようとした、その時。
「俺からはあんまり喋らないからな」
そんな声が聞こえた。
少なくとも、嫌だと会話を否定する言葉ではない。
肩を落とそうとしたエアリスは逆にパッと表情を明るくした。
「ありがとう。私はエアリス。ねぇ、あなたの名前を聞いてもいいかな」
「……………ティル」
単語での返事も、そろそろ慣れてきた。
ティル、と言うのが彼の名前なのだろう。
ティル、ティル、彼の名前を覚えこむように、何度か小さく呟く。
「綺麗な名前ね」
これに対する返事はない。
けれど、どこか彼の空気は怒ったりはしていない―――そんな気がした。
「私は奥から3番目の部屋なの。ティルは?」
「1番奥」
その答えに、エアリスは奥の方へと視線を向ける。
視界に入るのは薄汚れた壁だけで、彼の居る部屋も、姿も見ることはできない。
でも、そこに人が居るのだと思うと、心強く、そして何より嬉しかった。
「ティルの姿、見えないね」
「…直に見える」
一瞬だけど、と付け足した彼に、彼女は不思議そうに首を傾げた。
しかし、すぐに彼の言葉の意味を悟る。
足音が近づいてきて、エアリスはティルに話しかけるのをやめた。
やがて、ドアにあいている小窓を見張り兵が通り過ぎていく。
小さな窓ではその姿はすぐに見えなくなった。
「実験の時間だ。出ろ」
ティルではない男の声は、恐らく先ほどの兵のものだろう。
鍵をガチャガチャと動かす音、ドアを開く音、閉じる音。
その後に聞こえたのは、二人分の足音だ。
コツ、コツ。
音が近づいてきて、見張り兵が小窓を右から左へと通り過ぎた。
そして、その次に見事な銀髪の青年が姿を見せる。
彼は通り過ぎる瞬間にちらりとエアリスの方を向いた。
青い目は、魔晄を浴びたソルジャーのそれとよく似ている。
冷たい印象を与える切れ長のそれはすぐに逸らされ、姿も見えなくなった。
「あれが、ティル…?」
全体に整った顔立ちで、年齢はクラウドと同じくらい。
彼と同じように、淡白な印象を与える表情。
ただ、金髪である彼よりも、色素の薄い銀髪のティルの方がいくらか冷たい印象が深かった。
「ティルは何でここにいるのかな」
自分のように、古代種と言うわけでもないだろう。
古代種は、自分が最後の一人のはずだ。
そこまで考え、エアリスは己の思考を中断させた。
いくら考えても、彼を知って数分の自分が答えに行き着くことはない。
考えることが無駄だとは言わないけれど、意味のある時間ではないことは確かだ。
「実験の時間…」
こんな所に閉じ込められているのだから、研究員の一人ではないのだろう。
と言うことは、彼自身が何かの実験を行われていると言うことだろうか。
しかも、時間を記憶してしまうほどに、何度も。
実験と呼ぶからには、安全なことばかりではないはずだ。
きっと、痛みを伴うものもあるのだろう。
それを想像すると、まるで自分のことのようにエアリスの表情が歪んだ。
最低限の明かりしかない暗い廊下を歩く。
前を行く見張りの兵をどうにかすることなど、ティルにとっては朝飯前だ。
しかし、彼はそれをしない。
彼には―――ここに囚われなければならない理由があった。
「―――遅かったな」
一つのドアを開いた兵士が、ティルの背を押して部屋の中へと放り込む。
踏鞴を踏む事もなく歩き出した彼の耳に、室内でカルテを眺めていた男の声が届いた。
「サンプルは所詮サンプルか…。ふむ、もっと機敏に動ける種の細胞でも注入してみるか」
こちらを向くでも無しに、ぶつぶつと何かを呟く男。
本当ならば、こんな男の顔など見たくもない。
けれど…耐える。
グッと拳を握り、唯一持つことを許されている青いペンダントを見下ろした。
自然と心落ち着かされるそれ。
ふぅ、と息を吐き出したティルは、その男…宝条を見た。
「今日は何をするつもりだ?」
「今日は私のサンプル20匹と戦ってもらう。どれも選りすぐりの精鋭だ。精々いい結果を残してくれ」
そう言って、彼はティルを部屋の中央を仕切るガラスの向こうへと入るよう指示する。
途中、壁に立てかけてあった刀を手に取り、ティルは無言でドアの方へと向かった。
「刀を持つとあいつによく似て―――」
ヒュン、と白銀のそれが宝条の鼻先に突きつけられる。
さすがの彼も、目の前にある刃の切っ先に口を噤んだ。
「何度も言わせんなよ。俺の前で『そいつ』の話題を出すな。出す時は、居場所を見つけた時だけだ」
そう言ってから、彼はすぐに刀を引いた。
そして乱暴にドアの所にあった開閉スイッチに手を伸ばし、さっさとガラス張りのそこへと入る。
肩を慣らす様に何度か刀を大きく振るい、モンスターが出てくるであろう位置を視界に納める。
丁度、独特の機械音と共に下の階から送り込まれたモンスターが姿を見せた。
「…悪いが、手加減抜きだ」
ティルの低い声はモンスターの声に掻き消された。
何匹目のモンスターかわからないそれを相手にしながら、ティルはふと先程の女性のことを思い出した。
エアリス、そう名乗った彼女。
姿を見たのは一瞬だけだったけれど、声の通りにまだ若い女性だった。
「…何でこんな所に居るんだ…?」
あそこに閉じ込められていると言う事は、貴重な種族の生き残りだったりするのだろうか。
そう言えば、前に宝条が「古代種の娘」がどうのと呟いていたなと思い出す。
ならば―――彼女が古代種?
「…俺には関係ないか」
彼女には申し訳ないが、自分には目的がある。
その為にも、彼女を逃がしてやる事は出来ない。
ほんの少しの良心が痛んだが、それも目の前のモンスターを切り伏せるのと同時にどこかへ消えた。
ティルの脳内にあるのは、殺られる前に殺れと言う本能のみ。
07.10.31