Azure memory

夢にまで見たセフィロスがいて、もう彼しか目に入らなかった。
だから、と言うべきだろうか。
彼が考えていること、思い―――全てとは言わないけれど、何となく感じることが出来た。
抱きついた彼の正宗を握る腕が動いたことも、もちろん気付いている。
けれど、あえて何かをすることはなかった。
ギリギリまで彼に触れていたかったのだ。
次に目を開いた時、彼がそこに居てくれる事はないと言うことに、気付いてしまったから。
ピリリとした裂傷による痛みと共に、彼の唇が魔法を唱える。
やはり、彼は―――
感情が溢れるのにあわせ、涙が一筋だけ零れ落ちた。
装備品を取り上げられた彼女はリボンを所持しておらず、彼の唱える魔法に対抗する術はない。

「セフィ…ロス…」

重くなる瞼の向こうへと消える彼を、その視界に焼き付けた。















眩しさに意識が覚醒する。
瞼を押し開こうとする身体とは裏腹に、心は覚醒を拒んだ。
コウにとって最も望まない未来を現実のものと受け入れたくないがために。
しかし、彼女の瞼は感情とは裏腹にゆっくりと開き始めてしまった。
初めに映りこんだ、見慣れない天井。
特に痛むわけではない身体を起こし、部屋の中を見回した。
どこかの診療所だろうか。
かすかに消毒の臭いがして、壁に沿って置かれた棚の中には複数の薬瓶が陳列してある。
部屋の中を一瞥したコウは、静かに息を吐き出した。
やはり、彼の姿はない。

―――カタン。

足音が聞こえた。
コウは、咄嗟に周囲を見回し、武器になるものを探した。
そうすることで、ベッドのすぐ近くに愛銃が置かれていることに気付く。
その事実に目を見開いている間に、近付いてきた足音が止まり、部屋のドアが開かれた。

「おや、気がついたかい、お嬢さん」

入ってきたのは人の良さそうな印象を受ける老人だ。
髪には白髪が交じり、顔には複数の皺が刻まれていて、その年齢を感じさせる。
彼がはおっていた白衣により、コウがぎくりと肩を振るわせた。
そんな彼女の緊張を悟ったのか、医者と思しき老人はそっと目を細める。

「安心しなさい。お嬢さんの事は聞いているよ」
「え?」
「神羅の中で酷い扱いを受けたと聞いた。君に会う時はこれを脱ぐことを心がけよう」

そう言った彼は、纏っていた白衣を脱いで部屋の隅の棚の上に置く。
そして、コウを緊張させぬようゆっくりとした足取で彼女へと近付いた。

「あの…私、どうしてここに?」
「大層綺麗なお兄さんが、君をここへ連れて来たんだ。傷は既に治してあったよ。
だが、痛むようであれば薬を用意して欲しいと頼まれているんだが…どうかね」

傷、と言う単語に、コウはあの時痛みの走った脇腹を意識する。
既にそこに傷らしき痛みはなく、動きも問題はなさそうだ。
この分だと薬は必要ないだろうと思う。
すると、老人も彼女の考えに気付いたのか、薬棚へと向かおうとしていた足を止めた。

「その人は、何か言っていましたか?」
「…いや。聞いたのは、神羅に捕らえられていた娘だと言う事だけだ」
「そうですか…」
「だが…最後の一瞬までお嬢さんの身を案じていたことだけは確かだ。
刃のような眼差しの中にも、優しい光があった」

その言葉を聞いたコウは、咄嗟に口元を覆った。
そうしなければ、感情が零れ落ちてしまいそうだったのだ。
俯いて無言を貫く彼女を見て、老人は悲しそうに眉を下げた。
そして、彼女の銃が置いてある近くに、大き目のマグカップを置く。

「私の所で作っている薬湯だ。体力回復の効果がある」
「薬湯?」

今の世の中には魔法や道具が溢れている。
ポーションの性能は言うまでもないものとなっていて、医療関係でもそれを使う事はある種の常識だった。

「ポーションは苦手だと聞いているからね。それを飲んで、今はゆっくりと休みなさい」

誰から、とは言わなかった。
彼は何も言わない彼女をもう一度振り向いてから、静かに部屋を後にする。
再び一人になったコウは、そっとマグカップを手に取った。
揺れる水面に映った自分が、とても情けない表情で見つめ返してくる。

「…馬鹿ね…。そんな事に気を配ってくれるなら―――」

例えばポーションを一気飲みすれば彼が傍に居てくれるというならば、喜んでそれを飲み干しただろう。
そんな天秤にかけることすら間違っているけれど。
優しさだけを残していくのならば、いっそ何も言わず何も残さず、無言で立ち去ってくれればよかった。
彼がそうしていたとしても、きっと結果は同じだろうけれど―――そう、思わずにはいられない。









薬湯を飲み干したコウは、着せられていたシャツをそっと捲る。
傷を受けた脇腹は、きっと見る影もなく綺麗に治されているのだろう。
そう予想しながら自身の肌を見下ろした彼女は、そこにある光景に動きを止めた。
傷痕を残すことなく治療することなど、彼の魔力を以ってすれば朝飯前だ。
それなのに―――そこには、刀傷とわかるそれが、しっかりと残っているではないか。
最早どのような治療をしても消えることはないであろう傷痕は、意図して残された以外にはありえない。
どうして、と振るわせた唇が涙に濡れる。

「置いていくのなら…あなたの痕なんて、残していかないで…」

口ではそう言いながらも、心が歓喜に震えている。
たった一つだとしても、彼の痕が自分に残されているということが、嬉しくてならないのだ。
忘れる必要はないのだと知らしめるように存在するそれが愛おしい。

「忘れられるはずがないけれど…ね」

そう呟き、自身の銃を手に取るコウ。
すると、銃の下から落ちた紙切れが、彼女の座るベッドの上にふわりと移動してきた。
銃を動かさなければ気付かなかったそれを拾い上げ、開く。
中に書かれていたのはセフィロスからの手紙だ。
手紙と言っても、たった1行だけの短すぎるもの。

「“マテリアは全て東の森の中にある祠に隠してある。俺を追わず、静かに暮らせ。”」

武器を彼女の手元に残し、マテリアの在り処を教える。
追ってくるなと言っておきながら、彼女がそう出来るようにと全てが整えられている。
その矛盾の中に、彼の心境が隠れているように思えた。

「…追わないなんて…思っていないんでしょう?」

長い付き合いの彼が、そんなこともわからないはずはない。
コウが追ってくるとわかった上で、彼は全てを残した。

―――俺を追って来い。

コウの脳裏に文面には書かれていない言葉が、彼の声で聞こえたような気がした。
銃を持ち上げた彼女は、そのグリップを見下ろす。
マテリアの装備穴には何も残っていないかと思われたが――― 一つだけ、青いマテリアが嵌められていた。
それがマスターレベルの全体化のマテリアであることに気付いたコウは、その使い道を理解する。
テーブルの上のメモ用紙に、老人への感謝の気持ちとこのマテリアを売った金を治療費にして欲しいと書き記す。
マントやホルダーなどを装備し、全身を一通り確認する。
そして、彼女は庭を映していた窓から外へと身を滑らせた。






「…おやおや。二人揃って、同じ出て行き方をする」

部屋を訪れた老人は、揺れるカーテンとテーブルの上のメモとマテリアを見つめ、そう呟いた。
どんな事情があったのかはわからないけれど、あの二人が太い絆で結ばれている事はわかっている。
いずれ再会する彼らを待っているのは、幸か不幸か―――それは、誰にもわからない。
しかし、彼らは追い、そして追われるのだろう。

「…幸せになりなさい」

互いを思う切ない眼差しを知っているからこそ、彼らの行く末が幸福であればと―――そう思えてならなかった。

09.03.28