Azure memory

その出会いは突然だった。
後になって思えば、全てが仕組まれたことだったのだろう。
けれど…その時は、その事実には気づけなかった。
独りと言う空間が心を弱くしていたからか、あの子があまりにも『彼』に似ていたからか。
理由は、恐らく一つではないのだろう。





ピピッと電子音がコウの耳に届いた。
ベッドに横たわり、電気の光を遮るように目の上に乗せていた腕をずらす。
おそらく研究員の誰かだろう。
その程度に思っていた彼女は、その場から起き上がる事すらせずに扉を一瞥する。
シュン、と開かれたそこから現れた人物は、彼女の予想を裏切った。

「子供…?」

まだ5歳くらいの、小さな子供だ。
大きな目は、ソルジャーと同じ青。
いや、それよりは少し緑がかっているように見える。
とにかく、魔晄を浴びた者の目である事は確かだった。
それよりも彼女の目を捕らえて離さないのは、美しい銀色の髪。
すっきりと整えられているその髪は、癖のないストレートだ。
小首を傾げた少年に合わせ、さらりとそれが揺れる。
どうしようもなく、彼を思い出した。

「――――っ」

思わず口元を押さえる。
今まではずっと大丈夫だった。
それなのに、この少年を見て、そこに彼の面影を見て―――
感情が溢れた。

「どうしたの?」

舌足らずな声が聞こえ、コウは閉ざした目を開く。
いつの間にかすぐ傍まで来ていたらしい少年は、ベッドに手をついて首を傾げた。
何でもないよ、と答える代わりに、その頭に手を伸ばす。
そっと撫でた時に掌に伝わったその髪触りが、最後の壁を崩してしまった。
ぽたりとシーツにシミが残る。
ひとつ、またひとつ。
次から次へと溢れてくるそれを止める術を持たず、コウは顔を片手で覆った。

「どこかいたい?」

少年の手が、空いている彼女の指を握る。
子供独特の高い体温がそこからじわりと伝わった。
コウは違うのだと伝えるように、頭を振る。

「……セフィ…ス……ッ。セフィロス…ッ…」

平気のはずがなかった。

他の何も望まない―――けれど、彼だけは。
そう望んだ人が、あまりにも突然に消えてしまった。

平気であるはずがなかったのだ。
コウの感情は、ただ解放のきっかけを待っていただけ。

「セフィロスッ」

その名前を呼ぶことしか出来ない。
次々と涙がシーツにしみこんでいく。

「だいじょうぶだよ」

ぽんぽん、と少年がコウの手を撫でる。
落ち着かせようとしているのだろう。
彼はあたたかかった。
















「ごめんね」とコウが苦笑を浮かべる。
大の大人である自分が、こんな少年の前で泣きだしてしまうなんて。
何て情けない事をしてしまったんだろうかと思う。
けれど、心は酷くすっきりと冴えていた。

「私はコウ。あなたはどうしてここに来たの?」
「たんけん!」
「探検…この部屋はロックがかかっていたと思うけれど…」

こんな子供がどうやって本社を探検していると言うのか。
この階は専用のカードキーが必要だ。
ましてや、コウの閉じ込められている部屋と言えば、厳重なロックがされている。
彼女の疑問を悟ったのか、はたまたお宝の自慢をしたかったのか。
少年は笑顔でそれを差し出した。

「はくいのおじさんが、これをおとしたの」
「カードキー…」

落とした男の顔が見たいものだ。
こんなにも重要なものを落とすとは…コウは深く溜め息を吐き出した。

「この部屋を出たら、すぐにそれを誰かに渡しなさい」
「どうして?これ、いっぱいあけられるよ?」
「だからよ。それを落とした人が、あなたを怒るかもしれないわ。
だから、あなたが優しいと思う人に「拾いました」って言って渡しなさい」

そうすれば、怒られずにすむから。
コウは諭すようにそう言った。
彼は納得できないようで、唇を尖らせている。

「や!」
「嫌じゃないの。それに…この部屋は、監視されているの。すぐに見つかってしまうわ」
「かんし?」
「いつでも誰かが見ているって事よ。あなたがここに来た事も、すでに知っている人がいるの」

よくわからないらしい。
この子にわかるようにと説明するのは難しいな…彼女は頭を悩ませる。
しかし、この子が咎めを受ける事だけは避けたい。

「ね、どうしてこんなところにいるの?」
「……どうしてかしらね」
「むぅ。おしえてよ!」
「…私にも、よくわからないのよ」
「おとななのに?」
「ええ。大人でも、わからない事、知らない事は沢山あるのよ」

まるで諭すような口調へと変わっている自分に、コウは心中で苦笑した。
彼に警戒心がないのは、年齢的なものを考えれば仕方がない事だろう。
しかし、自分までこうも完全に警戒を解かれてしまうとは。
それに気付いていながらも、この少年を警戒する事ができない。

「でも、おとなはものしりなんだよ。だからいうことをきかなくちゃいけないんだ。いつもくるおじさんが、そういってた」
「…大人でも間違っている事は多いわ。けれど…そうね。今は、そうしておくのが一番よ」

逆らえば、きっと不必要な仕打ちを受ける事になるだろう。
こんな場所に子供が一人で迷い込むとは考えにくい。
恐らく、何かの実験に使われているのだ。

「…君、名前は?」
「なまえってなに?」
「…周りの人とは違う人間ですよって教えるものよ。いつも来るおじさんは、君を何て呼ぶの?」
「えっと…なんばー、ななはち」

少年の答えにコウは沈黙した。
これで、彼女の考えが正しかった事は分かった。
そして、彼の言う「いつも来るおじさん」が誰なのかも。

「…ティル。あなたに、その名前をあげるわ」
「ティル…?なんで、ティルなの?」
「………秘密よ」

そう言うと、コウは少年…ティルをドアの方へと促す。
背中を押されながらもやや不満そうな彼だが、自分の名前を何度も連呼した。
まるで、忘れないようにと噛み締めるように。

「ね、おなまえは?」
「コウよ」
「コウ!ぼく、またきてもいい?」

首を傾げる彼の頭を撫でる。
コウは、何も答えなかった。

「さぁ、いきなさい」

トン、と軽く背中を押し、彼をドアの外へと送り出す。
今この境界線を越えれば、自分も外の世界へと飛び出すことが出来る。
それなのに、コウの足は、何故か外へと出ようとはしなかった。
名残惜しげにティルが振り向くのとほぼ同時に、シュン、とそれが閉まる。

「息子がいたならば…そう思っていた名前をあげるなんてね」

そう苦笑しながら、自身の掌を見下ろす。
決して強いとは言えない力で握られたそれ。
まだ少年の温もりがそこにあるような気がした。

07.11.11