ガーベラ

「ごめん、花梨。さっきのノートを貸してくれる?真ん中辺りで書きそびれちゃって」

クラスの中でも仲の良い花梨にそう声をかける。
彼女が顔を上げると、緩く結われた三つ編みがふわりと揺れた。

「ええよ。でも、結構落書きしてあるけど…」
「中身が読めたらそれでいいよ。今度はどんな落書き?」

少し楽しげに花梨のノートを開く紅。
全く絵がかけない彼女からすると、描こうと思うだけでも凄いと思えるのだ。
ぺらぺら、とノートを開いていくうちに、その端っこに邪魔にならない程度の大きさで描いてある絵。
彼女よりもっと上手い人は沢山居る。
けれど、紅は花梨の絵が好きだった。
目的のページを開いて中身を写し取った紅は、いよいよ本格的に彼女の落書き探しに乗り出した。
花梨も照れつつそれを止めることなく、時折これは何?と言う問いかけに真面目な回答を返す。

「これって、ヘルメット?」
「うん。アメフトの奴」
「…アメフトって…何で?」

呟いた言葉は、花梨を驚かせるには十分だったらしい。
目をまん丸にして言葉を失う彼女を見れば、失敗したと気付くのに時間はかからない。

「6軍まであって、全国から有力選手を引き抜いてるって有名やん!」
「あぁ、それは知ってる。何とかって言う大会で常勝してるのよね。でも、花梨関係あったっけ…」
「私が所属しとる…んやけど…まさかそれ忘れたとか…」
「あー…そう言えば、運動部に入ったって言ってたね。アメフトだったんだ」
「えぇぇー…。紅…私、ちゃんと言うたよ」

肩を落とす彼女を見て、そう言えば前に聞いていたような…と思う。
そんな紅に、花梨は溜め息を吐き出した。

「この間マスコットキャラクターの意見もろたやん」
「…あれ、花梨の漫画のキャラだと思ってたわ」

ごめんね、と落ち込む花梨の肩を叩く。
そして、それにしても、と口を開いた。

「6軍まである中で男子を蹴落として1軍かー…。道理で茨田先輩が花梨に冷たく当たるわけだわ」
「そこはわかるのにアメフト部って事だけは忘れてるんやね…」
「あはは…ごめん。普通の部活にしては生傷絶えないから変だとは思ってたのにね。
意外と運動神経が悪いのかと思ってたわ」
「紅~…」

恨めしい声で名前を呼ばれ、紅は乾いた笑い声を上げた。
確か、花梨にその話を聞いた時は…発売されたばかりの推理小説を読んでいたんだった。
そちらに意識の殆どを持っていかれていたのだろう。
一つの事に集中すると周りが見えなくなるのは紅の長所でもあり短所でもある。

「でも、大和くんが紅の話してたし、知り合いなら知ってると思ってたけど…」
「“大和”くん?」

最近知った名前とよく似ている。
いや、似ているどころか同じなのだが、それを認めたくないのは消すに消せないアドレスの所為だろう。
普段の紅はしっかりしていて、あんな風に押し切られる事はまずありえない。
にも拘らず反論すら出来ずにアドレスを登録されてしまった。
相手から登録されたものを、三日も経たない内に自分で消すのは憚られ、ズルズルと現在に至る。

「アメフト部のエース。学園で一番有名やと思うけど…」
「あ!その人と同じ名前だから知ってるような気がしたんだ!」

なるほど、と納得する紅。
心の中で意味もなく燻っていたものが、すっきりと解決した。

「同じ名前?」
「うん。この人なんだけどさ、この間―――」











「それ、アメフト部の大和くんやと思うわ」

話を聞いた花梨は、きっぱりとそう言った。
その言葉に、紅は、え、と固まる。

「身長が高くて爽やかな笑顔で、人の話聞いてるようで聞いてなくて、何か全然話が伝わらへん人」
「前半は褒めてるんだけど、後半はどうなの、それ?」

何か思うところがあるのだろうか、と感じさせるような説明だ。
しかしながら、その人じゃない、とは言えないほどに、紅の知る人と似通う点が多い。
帝国学園で一番有名なアメフト部エースとお知り合いになってしまったらしい。
と言う事は、つまり―――

「私、そんな人に二回もぶつかったって事…?」

そう呟いて青褪める紅。

「何でそんな青褪めんの?」
「エースに怪我でもさせてたらと思うと…!」

思わぬところで必死になる彼女に、花梨は、ないない、と手を振る。
全然鍛えていない紅にぶつかられたくらいで怪我をするような柔な人間ではない。

「紅よりずっと大きい人とぶつかり合って全然平気やねんから、怪我なんてせんよ」
「ならいいんだけど…」
「それより、怪我があるとしたら紅の方なんやろ?昨日、大和くんが言うてたよ」

何を言ったのかは知らないが、友人に要らぬ心配を掛けさせないでほしいと思う。
まったく…と思いつつ、大丈夫だと答えた。

「でも、大和くん、様子見に来るって言うてたよ?」
「いや、そんな必要ないから―――って、え?」

今、聞き流せないことを言われた気がする。
思わず聞きなおそうとした、その時。
教室の入り口がザワリと賑わった。
つられるように視線を向けた二人は、それぞれに別の反応をする。
大和くん、と笑顔で控えめに手を振る花梨とは対照的に、今にも逃げ出しそうな表情の紅。
学園生活を平穏に送りたいと願っていたのに、何故こうなるのだろうか。

「やあ、花梨、紅」
「こんにちは、大和くん」
「こんにちは―――って、ちょっと待った!」

ここでも聞き流せない内容が含まれていた。
爽やかに挨拶の言葉を発した彼だが、今、なんと呼んだ?

「大和くん…?私、あなたに名前で呼ばれるような間柄じゃなかったと思うんだけど!」

平和な学園生活を捨て切れない紅にとって、そこは譲れない部分だ。
しかし。

「あぁ、大丈夫だよ。俺は気にしないから」
「(気にするのは私!)」

誰があなたの事を言いましたか!と心の中で叫ぶ。
花梨の何とも言えない同情に近い視線を受けて、紅は肩を落とした。
どうやら、彼はこう言う人らしい。

「…あのね。腕のことなんだけど」
「あぁ、そうだった。大丈夫かい?実はあの時、無理をさせたんじゃないかと思って、心配してたんだ」
「全然無理とかじゃなかったんだけどね。教室のど真ん中でそう言う意味深な発言はやめてくれない?」

クラスメイトの耳が恐ろしく大きくなっているのを感じる。
あからさまな視線は少ないのだが、聴覚だけは全神経をこちらに集中させている―――間違いなく。
頼むから、これ以上クラスメイトを煽ってくれるな、と切実な溜め息を吐き出した。

「本当に無理をしていないのか?もし、痛むなら遠慮なく言って欲しい」
「全く遠慮せず、痛まないって言ってるんだけど。人の話を正しく聞いて!」

お願いだから、と言っても、本人にその自覚がないのではどうしようもない。
軽く頭痛を覚えつつ、紅は周囲から向けられる意識に耐えられなくなった。
ガタン、と音を立てて椅子から立ち上がり、そのまま彼の腕を引く。

―――が、引っ張ろうと何をしようと、彼の身体はピクリとも動かない。

紅が何をしているのかわからない様子で、大和は首を傾げた。

「ちょっと来て!」
「あ、あぁ。そう言うことか」

漸く動いてくれた彼を連れて、教室を後にする。
残った花梨は、二人の背中を見送り、呟いた。

「紅…そんな風に連れてったら、逆に噂の元になるわ…」

既に思い思いに想像を膨らませ始めているクラスメイトたちを見て、紅に同情した。

花言葉:究極美、崇高美

09.05.12