向日葵
うんざりした様子で男をあしらっていた紅だが、我慢は限界に近かった。
この男の言い分を聞くならば、駅前に一人で立っている女は、全員ナンパを待っていることになる。
もしくは、彼氏にすっぽかされた可哀想な子。
そのどちらにも当たらない紅は、男の誘いに不快指数を高めている。
数値の限界に挑戦したいわけではない。
「いい加減にしてよ。彼を待ってるんだって、何度言えばわかるの?」
肩に手をかけられ、それを振り払って強い口調でそう言った。
しかし、男は意に介した様子もなく、紅との距離をつめようとする。
この程度の手腕でナンパを成功させようなど、呆れる他はない。
「そんなに強がらなくてもいいって。どうせすっぽかされたんだろ?」
強がっていないけれど、彼を待っているわけではないことも事実。
だからと言ってこの男に着いていく理由にはならない。
紅にはちゃんと別の目的があるのだ。
目的地である図書館には向かわず、この時間にこの駅の前にいる理由が。
「強がりじゃないわ」
「さっきから待ちぼうけだろ?俺が良いところに連れて行ってやるから」
学年男子が競うほどのまもりが相手ならばまだしも、何故自分が。
不愉快な表情を隠そうともしない彼女を誘い続ける男。
その的外れな根性だけは、認めざるを得ない所だ。
だが、そんな暢気なことを考えていられたのは、男が紅の手を引っぱるまでのこと。
無理やりに歩き出そうとする男に、堪忍袋の尾が切れる音が聞こえた。
「使い古しの口説き文句でナンパなんてするんじゃないわよ!
顔とボキャブラリーを磨いてから出直しなさい!」
そう、性格やナンパ方法も然る事ながら、この男―――顔は精々十人並みか、それ以下だった。
痛いところを衝かれたのか、男の表情が変わる。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
「痛っ…」
手首を掴む手に力が込められる。
痛みに表情をしかめた紅の視界に、一人の人物が映りこんだ。
その人物と視線が絡んだ瞬間、紅は迷いなく口を開く。
その日は寝坊することなく家を出た陸。
いつものように学校の最寄り駅で下車した彼は、慣れた改札口を抜けて出口へと向かう。
この時間ならば急ぐ必要もないだろう。
時計を一瞥した彼は、そう思ってのんびりした歩調で進んだ。
既に昇った太陽に軽く視界を刺激されながら、ふと駅前の広場に視線を彷徨わせる。
彼自身は、意識して何かを探したわけではない。
土曜日の駅前は、中途半端な時間と言うこともあり人の姿は疎らだ。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
そんな声が聞こえた。
こんな昼間から酔っ払いか?と思いつつそちらに視線を向ける。
20代と思しき男と、陸と同じくらいの女の子が居た。
背中を向けている男ではなく、その女の子と視線が絡む。
「遅いよ!」
あまりに迷いなく発せられた声に、え?と言う言葉が零れ落ちそうになった。
しかし陸が疑問符を増やす間もなく、彼女は無理に男の手を振りほどいて自分の方へと走ってくる。
見覚えがあるような気はするけれど、知人では…ない、はず。
逃げるように自身の背に回った彼女は、そのまま陸にだけ聞こえるような声で呟いた。
「彼女がいるならごめん。少しだけ、話を合わせて」
どうやら、赤の他人であると言う自覚はあるようだ。
誰かと勘違いしているのでは、とまで考えていた陸は、その言葉に納得した。
彼女を追うように駆けて来た男のしつこさに呆れつつも、一芝居に付き合う。
元々、見て見ぬ振りをできる性格ではない。
「待たせてごめん。―――で、まだ何かあんの?」
前半部分を彼女に、後半を男へと向けて紡ぐ。
『女』ではない強い『男』の視線に睨まれ、男の勢いが削がれた。
「用がないなら、連れて行っても問題ないよな」
「…ま、待てよ!テメ、横からしゃしゃり出て来やがって…!」
言葉を詰まらせた男に、彼女を連れて立ち去ろうとする。
だが、そこで言葉を取り戻した男が二人を止めようとその進路に滑り込んだ。
怯む割には引く様子を見せない男に、陸は溜め息を吐き出した。
「…こっちは穏便に済ませてやろうと思ってんのに…馬鹿だな、あんた」
「何ィ!?」
逆上した男が拳を握り、勢いよく振りかぶった。
その様子は彼女にも見えたのか、驚いたように息を呑むのが聞こえる。
他人に怪我を負わせるわけには行かないと思ったのか、彼女は無謀にも二人の間に入ろうとした。
それを片腕で制し、自身に迫る拳を難なく受け止める。
練習で先輩に鍛えられている陸にとっては、この程度は小学生を相手にしているようなものだ。
「未練たらしく縋るなんて、なっさけないな。―――人の女に手出すなよ」
掴んだ手首を握り締めると、男の顔が痛みに歪む。
並大抵ではない握力にかかれば、手首程度は折れてしまいそうだ。
「痛ェ!……くそっ!」
必死の思いで陸の腕を振りほどいた男が、未練がましく彼女を一瞥してからその場を走り去っていく。
駅から離れるように逃げていった男を見送った陸。
これで一件落着か、と振り向く彼に、紅は慌てた様子でその腕を取る。
「大丈夫!?怪我はない!?」
男を掴んだ方の手を真剣に見つめる彼女に、陸は呆気に取られた。
怪我などまったくない彼にとっては、自分の手を掴んで放さない彼女の手首の方が気になる。
「いや、このくらいは全然問題ないって。それより…そっちが大丈夫か?うわ…痣になってるな…」
そう言って、くるりと手を回し、逆に彼女の手を掴む。
痛がる様子がないところを見ると、痣だけで済んでいるようだ。
「大丈夫よ。ありがとう。…甲斐谷くん」
「別に礼を言われることじゃ―――え?」
言葉半ばで気付く。
何故?と問う彼の視線に、紅はクスリと笑った。
「西部ガンマンズの一年生エース。そうでしょう?」
「や、エースかどうかは…」
「謙遜しなくていいのに」
僅かに頬を染めてクスクスと微笑む彼女の表情は、人目を惹く程に綺麗だ。
これならば、しつこいナンパも無理はないのかもしれない。
「しつこくて困っていたのよ。いつも見ていたって言うけれど…覚えはないし」
「―――それって、実はナンパじゃなくて告白だったんじゃ…」
「…やっぱり、そうなのかな。そうならそうと、真剣に言ってくれればいいのに」
そう思わない?と首を傾げられても、否定も肯定も難しい。
とりあえず、方法が乱暴だっただけで、その想いは純粋だった…と言うことなのだろう。
それならば邪魔をしたのでは、と考えた所で、彼女が「どの道お断りだけど」と呟く。
野暮ではなかったようだ。
「―――所で…時間、大丈夫?」
「…………………うわ!遅刻!」
時計を探して彷徨った目が、目当てのものを見つける。
長針と短針が刻む時は、既に予定時刻まで5分と迫っていた。
慌てて走り出した彼だが、ふと数メートル走った所で、思い出したように彼女を振り向く。
「出来ればこのまま帰った方がいい!」
「そうするわ、ありがとう!練習頑張って!」
お互いに聞こえるようにと声を張り上げる。
応援の言葉に、陸は元気に片手を挙げてから、本格的に走り出した。
すぐに見えなくなった彼の背中を捜すようにそちらを見つめていた紅は、ふと気付く。
「…名乗るの、忘れてたわ」
学校へと走っている陸もまた、同じ事を考えていた。
「名前…聞かなかったな」
まぁ、いいか。
縁があればまた…いや、寧ろ、また逢う気がする。
そんな予感を覚えながら、更に速度を上げた。
花言葉:私の目はあなただけを見つめる。
09.03.03