Topaz  04

「おはよう」と言う朝の挨拶の飛び交う靴箱。
そこで、紅は一人“あるモノ”を手に佇んでいた。
手の中のモノに集中するあまり、周りが見えていない。

「何やってんの?」
「!?」

文字通り飛び上がった紅はモノをポケットに押し込み、そのまま睨みつけるように声の主の方を向く。
彼女は気にした様子もなくヒラヒラと手を振っていた。

「おはよ、紅」
「もっと普通に声をかけてくれない?」
「普通でしょ?静かに足音を消して近づいた以外は」

悪びれた様子を微塵も感じさせない親友に、紅は静かに溜め息を漏らした。
悠希が教室に向かって歩き出すのに続き、紅も歩き出す。
その際にポケットから滑り落ちたそれに、紅が気づいたのは教室に入ってからだった。






「手塚、こんなのを拾ったんだけど?」

不二が可愛らしいとはとても形容できないシンプルな封筒を持ち上げて手塚に声をかける。
部活中であるはずなのに何を言い出すのだ、とばかりに優しくない視線が彼の元に返って来た。
それを柳の如く軽く受け流し、不二は微笑む。

「何だ、それは?」
「手紙」
「……見ればわかる。内容を「何してんのー?」」

手塚の言葉を遮って間延びした声が響く。

「英二、ダブルスの練習は?」
「休憩中。で、何の話?」

不二の質問に短く返すと、菊丸は彼の手の中にあった手紙を取り上げた。
封筒の中から二・三枚の手紙を抜き出し、そこに書かれていた文字を大まかに拾い上げる。
菊丸の顔つきが変わるのを手塚は不思議そうに、しかし顔には出さずに見ていた。

「手塚に不二に英二…?面白い組み合わせだね。どうかした?」
「大石、パス。タカさんも読んで」

菊丸の手から手紙が大石へと渡り、そして河村まで至る。
レギュラーが徐々に集まる中で、初めに声をかけられた筈の手塚は未だにその内容を知る事が出来ずにいた。

「呼び出しの確率96%…」

乾までもが集まり、レギュラーのほぼ全員がその場に揃う。
彼の声に、その手紙の内容を知った者は「さすがだ」と言う風な表情を見せる。
手紙は乾を巡って、そして漸く手塚の元へと回ってきた。

「…雪耶か」
「ちなみに佐倉にも届いてるよ。悪いとは思ったんだけど…昼休みに靴箱を覗かせてもらった」

不二がもう一通の手紙を持ち出す。
そこには殆ど内容の変わらぬ文章が並べられていた。
一同を居心地の悪い沈黙が包む。

「……あのさ…」

沈黙に耐えかねた、と言うよりは気になっていた事を告げるように菊丸が声を上げた。
皆の視線が一気に彼へと集まる中、躊躇いながらも続ける。

「その呼び出しの時間って…丁度今じゃない?」










「奇遇ね、悠希。こんな所で会うなんて」
「本当。私一人で済めば良かったんだけど…」
「同感だわ」
「ちょっと!!人を無視するんじゃないわよ!!」

目の前の女子生徒が声を上げた。
壁にもたれたまま、紅と悠希は面倒そうに溜め息を漏らす。

「マネージャーがしたいなら、私達に文句言う前に顧問の竜崎先生に直談判に行ったら?」
「行ったわよ!“今のマネージャーが優秀すぎるから他にはいらない”って言われたのよ!」
「あー…そう。ご愁傷様」

悠希の提案に半ば怒鳴るように答えを返す女子生徒。
先ほどから似たようなやり取りを数分間繰り返している。
いい加減に真面目に返すのも面倒になってきた二人だった。

「あのさ…。私達部活を抜け出してきてるんだから早くしてくれない?」
「何よ。部活とか偉そうな事を言うけど、ただドリンクを作って応援するだけでしょ?」

フンッと勝ち誇ったように笑みを浮かべる一人に、悠希が眉を寄せる。
だが、反論したのは彼女ではなかった。

「へぇ…そんな風に思ってたんだ?」

声を上げたのは先ほどから沈黙していた紅。
その表情は感情を表さぬような“無”だった。

「いいわ。今日一日だけマネージャー業を退いてあげる」

鬱陶しそうに髪を掻き揚げ、紅はそう告げた。
それだけ言うと、さっさとその場を後にしようと踵を返す。
そんな彼女を止めるように背中に声がかかった。

「待ちなさいよ!話はまだ…っ」
「丁度休憩時間よ。マネージャーは遅れないようにね」

肩越しに振り返ってにっこりと微笑むと、紅はそれ以上何も言わせずに歩いていった。
悠希はやれやれと溜め息を落す。

「知らないわよ?一番怒らせちゃいけない人間を怒らせたんだから。ま、精々一日頑張って」

自分を囲んでいた数名の女子生徒らを取り残し、二人は去っていった。








「って事だから。今日一日は彼女達がマネージャーをしてくれるわ」

先ほどの場所は校舎裏。
そこから数メートル離れた校舎の一角に向かって紅が声をかけた。
彼女らの姿はそこからは見えないものの、十分に声は届く程度の距離。

「気づいてたんだ?」
「男子生徒が何人も揃ってるのに気づかないわけがいないでしょ」
「…珍しいな。雪耶が怒るなんて」

どこか冷たさを帯びた眼に、彼女らを心配してきたレギュラー(一部)が不思議そうに紅を見やる。
彼女は肩を竦めて答えた。

「ああいう女が一番嫌いなの。殴らなかっただけでも良しとして」
「紅に殴られたら痛いわよー?本気なら大の男を病院送りに出来るくらいだから」

紅が彼らと言葉を交わしていた間に、遅れて悠希が姿を見せた。
彼女達を案じてこの場にやってきた一同は安堵の息を漏らす。

「大変かどうかが身をもってわかるでしょ。よろしくね?」
「私達と同じように扱ってくれればいいから。ま、知識がない分を大目に見ても…手加減はしないでね」

二人の微笑みに彼らは頷くしかなかった。












ドリンクからスコア表の記入、洗濯に掃除…。
目まぐるしく仕事が増える中で、彼女達は走り回っていた。
マネージャーの代わりとして名乗り上げたのは4名。
紅達の倍の人数で仕事をやりくりしているにも関わらず、一向に休む暇を作ることが出来なかった。

「あの子達全然駄目よ。話にならないわ」
「当然でしょ?私達でも大変なんだから。付け焼刃で出来るような仕事じゃないもの」

紅と悠希はテニスコートの見える視聴覚室を借りて勉強に勤しんでいた。
今日だけマネージャーを退くと言っても、それをいい事に帰宅するような二人ではない。

「そろそろ行く?」
「そうね。彼女達を見てれば怒りもどこかへ行っちゃったし。大変そうだし」

二人が腰を上げた、その時。

「きゃあ!!」

女子の悲鳴が上がった。
紅と悠希は顔を見合わせた後、すぐに視聴覚室を後にする。














「雪耶さん!マネージャー代理の一人が怪我をしたらしいんだ!」
「了解。救急箱は?」
「いや、まだ…」
「私が行くから紅は先に行きなよ!」
「ありがとう」

テニスコートまで走ってきた紅と悠希。
彼女達が来る事を見越してかフェンスを出てきていた大石が二人に声をかける。
悠希は部室へと向かい、紅はそのままフェンスを潜った。

「大丈夫?」

ベンチに座るその子に声をかけた。
弾かれるように顔を上げる女子生徒。
そんな彼女に、紅は微笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

「あぁ、転んで傷んだラケットで怪我したのね」

彼女の膝の怪我を見て、紅はそう言った。
頷く女子生徒。

「雪耶、このラケットはどうするの?」
「廃棄で。部員が怪我すると危ないわ」
「ラケットの予備は?」
「今度の予算で大丈夫でしょ」
「紅ちゃん、廃棄って先生に報告するんだっけ?」
「必要ないわ。私が後で部誌に書いておくから」

テキパキと指示を出しながらも、紅は彼女の膝の止血をしていた。
手際のよさ怪我をした女子とマネージャー代理の三人が口を閉ざす。

「紅、お待たせ。救急箱が見つからなくて…」

そう言って悠希が救急箱を紅に手渡す。
そんな彼女の言葉に、マネ代理の一人が焦ったように声を上げた。

「すいません…。私が部室の掃除をした時に…殆ど使わないから奥になおして…」
「使用頻度が少ないにしても一番必要な物よ。整理するならよく考えて」

躊躇いながらもそう口にする彼女にそう言うと、紅は怪我の治療に移る。
そのまま顔を上げずに口を開いた。

「皆は練習に戻っていいよ。そんな大した怪我じゃないから」

その言葉を境に部員達がそれぞれ練習に戻って行った。

「で?やってみてどうだった?」
「あんなに忙しいの出来るわけないじゃない!」

一人が声を上げる。
それに同意するように頷く三人。
悠希は肩を竦めた。
治療のために沈黙していた紅が口を開く。

「出来るわけない、じゃなくてやるのよ」
「な…!」
「彼らに頑張って欲しいならその分頑張らないと。他の事を何も考えずに練習に打ち込めるように」

ピッとガーゼを止めるテープを貼り終えると、紅は漸く顔を上げた。
その表情は柔らかい。

「応援だって、力になるわ。あなた達に出来る事をすれば、それで十分じゃない?」
「そうそう。こんな疲れる仕事は私達に回して、皆に声援でも送ってあげてよ。ま、邪魔にならない程度にね」

呼び出した張本人である自分たちに対して笑顔を見せる二人に、彼女達は頷く以外に言葉はなかった。







「紅様~!!こっち向いてください!!」
「素敵なサーブで負かしちゃってください!!」

「…乾、彼女たちは何?」
「雪耶のファンだな」
「何でまた急に…」
「雪耶さんのテニス中の写真が出回ってるらしいよ。ほら、テニス中はいつもに増して凛々しいし」
「あぁ、なるほど。敵を退けるだけでなく味方にしちゃったんだ?」
「そう言う事」
「さすが紅ちゃん…。その分俺たちの所は静かになってるけど…」
「雪耶さん動きにくそうだね」

「だー!!フラッシュが眩しい!!って言うか、様って何!?景吾じゃあるまいし!」
「自分で蒔いた種でしょうが。責任持って頑張りなさいよ」




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05.06.13