スイートピー
海と山 のLove Passion
選手たちが乗り込むよりも早く、紅はその船の中にいた。
正確に言うならば、船の厨房に立っている。
無論、ただ意味もなく立っているだけではない。
数いるプロの中で、置いて行かれないよう、けれど確実に、自らの役割を果たそうとしていた。
「雪耶さん、そっちが出来たら、メインに移ろうか。手が足りないから、盛り付けを手伝って」
「はい!この鍋はあと3分です。タイマー合わせておきますから、お願いします!」
指先でキッチンタイマーをセットして、言われた通りにメイン料理の作業場へと移動する。
厨房のドアが開き、跡部が姿を見せた。
それに気付いたマネージャーが彼に近付いていく。
「アイツの様子はどうだ?」
「たかが中学生の部活だと思って侮っていましたね。思っていたより、よくやってくれています。
基礎がしっかり身についている分、下手な新人より役に立ちますよ」
「…そうか。任せられそうか?」
「少なくとも、合宿期間中の食事を任せるくらいは、まったく問題ありませんね」
マネージャーの説明を聞く間も、跡部の視線は忙しなく動く紅へと向けられている。
この合宿に女子を参加させる事に、抵抗がなかったと言えば嘘になる。
いくら榊の姪である彼女の推薦であろうと、大した人間ではないだろうと高をくくっていた。
紅とは多少の面識はあったけれど、人間性を熟知するには足りない。
役に立たないと判断すれば、選手が来る前に船から降ろす予定だった。
「…予定通りで問題なさそうだな」
「本人は知識不足を心配していましたけれど…そこは、補える子がいると聞きましたからね」
大丈夫でしょう、と太鼓判を押すマネージャー。
跡部の脳内に、他校のデータに強い面々が浮かぶ。
要は、彼らのデータを有効活用できる腕があれば問題ない。
「目途が付いたらホールに来るように伝えておいてくれ」
「わかりました」
服を着替え、教えられた道を進んでホールへと向かう。
ホールの扉の前に、跡部と手塚がいた。
「来たか」
「…彼女は?」
「前に話しておいただろう。食事に煩い奴のフォローのために、一人参加させるってな」
一方的に見知っているけれど、相手は自分を知らないだろう。
紅は彼らの元へと辿り着くと、手塚に向かって頭を下げた。
「立海三年、料理部部長の雪耶です。色々あって、合宿に同行する事になりました」
「青学三年、手塚だ。よろしく頼む」
お互いの挨拶が済んだところで、紅は思い出したように跡部を見る。
「ところで、跡部くん。私、今回の合宿にどういう秘密が隠されているのか、聞かされてないんだけど」
「あーん?お前に話したら、立海の連中に知れるかもしれねーだろうが」
「秘密はちゃんと守るわ。隠している内容によっては、フォローしかねるかもしれないんだし…」
「大丈夫だ。お前は自分の役目を果たすだけでいい」
そう、あの日、紅は跡部から合宿の詳細を聞いた。
それはあくまで表向きのスケジュールや内容だけで、彼らの本当の計画は聞かされていないのだ。
計画がある事だけは隠そうともしないのに、その内容は明かさない。
跡部の楽しげな表情に、紅は不満げな表情を浮かべた。
「跡部、彼女には話していないのか?」
「ああ。こいつは知らない方が良い。前もって準備されても困るしな」
「準備も何も、もう出港した船の中でどうしろって言うのよ…」
「色々だ。ま、命の危険はないから安心してろ。―――行くぞ」
「ちょっと、まだ話は…」
終わっていないと言うのに、跡部は閉ざされていた扉を開けてホールの中を歩いていく。
静かにとは言え、開かれたそれに、注目した選手も少なくはない。
ホールの視線を受け、紅は諦めたように肩を竦めた。
「…苦労するな」
「…手塚くんも苦労する気がするわ。氷帝の人…って言うか跡部くんがのスケールが大きすぎるから」
「………否定はしない」
「まったく…。考えていても仕方ないから、行くわ」
不満の表情を消し、じゃあね、と言い残した紅は、見慣れたメンバーの元へと歩いていく。
「ったく…前もって言えよな」
「口止めされてたのよ。それにしても…ブン太、驚いてないわね」
立海のメンバーが集まるテーブルまでやって来た紅を迎えたのは、もちろんブン太だった。
他のメンバーとは違って驚いた様子のない彼に、紅が首を傾げる。
すると、皿の上のケーキを指した。
「これ、お前の味がしたからな。何となく気付いたぜ!」
「ブン太…」
「正解、だろぃ?」
ブン太は得意げに口角を持ち上げ、一口で残りのケーキを食べた。
確かに、彼の皿に乗っていたそのケーキは、最初から最後まで紅一人で作ったものだ。
何か特別に手を加えたわけではなく、いつもと同じように作っただけ。
作った本人の癖が出るとは言え、それは本当に些細なもののはず。
「…うん、正解。………ありがとう」
「あと、そっちのと、これと…たぶん、これもお前。全部じゃねぇけど、味には関わってるよな」
「…どう言う舌をしてるの?」
「天才的だろぃ?」
紅が関わっている料理を次々と言い当てるブン太に、紅は驚き、そして破顔する。
「…わかるもんスか?普通に美味いって事しかわかんねー…」
「ブンちゃんだけじゃ。わかるわけなか」
「流石に、味だけではわかりませんね」
「ふふ…あの二人は、本当に…面白いよね。ブン太の驚く顔が見られると思ったんだけど」
「それにしても、雪耶が参加するとは…意外だった」
「うむ。だが、雪耶が来ているなら、食事の心配はないな」
12.02.19