スイートピー
丸井 ブン太
お菓子を作るのは年に一度ではないけれど。
それでも、いつも以上に気合を入れてしまうのは、イベントの影響を受けているからに他ならない。
所詮はお菓子会社の陰謀―――と知りつつも、一週間前からチョコレート関連のレシピを考える日々。
まさか、その前日になってオーブンが故障するなんて―――誰が、予想しただろう。
「うーん…」
うんともすんとも言わないオーブンを前に、紅は腕を組んだ。
家を建てた時からキッチンにあった埋め込み型のそれは、かなり年季が入っていた。
無理はないわ、と思いつつも、何故このタイミングで…と恨まずにはいられない。
オーブンを使わないレシピももちろんあるけれど、ここは妥協したくない。
仕方なく、と言った様子で携帯を取り出す紅だが、悩んでいた時間はものの数分だった。
「あ、良かった。今どこにいる?」
部活が終わる頃合いだと確認してからブン太に電話をかける。
やや驚いた声が、まだ学校だと答えた。
「あのさ…相談なんだけど…キッチン、貸してもらえるかな?」
『キッチン?俺ん家の?』
「うん。オーブンが動かない。古くなってたからなぁ…」
『マジ!?とりあえず、お袋に聞いてみる』
「うん。よろしく」
通話を切って、きっちり3分後。
使った調理具を片付けている間に、ブン太からの電話がかかってきた。
『OKだぜぃ!』
「ありがと!助かったー!」
『ついでに飯も食ってけってさ。お前んとこ、昨日から出張だったよな?』
「何から何まで…お世話になります。まだ準備してなくてよかったわ」
『じゃあ、伝えとく。迎えに行くから準備しとけよ』
もう一度、ありがとう、と伝えて電話を切る。
既にボウルの中で型に分けられるのを待っている生地にラップをかけ、手早く準備を進めていく。
片付けまで終えたところで、インターホンが鳴った。
「迎えに来たぜぃ…って、結構な荷物だな」
「作り始めてから、予熱の時に気付いたから…」
「とんだハプニングだよな、まったく…。これだけか?」
「あ、自分で持つからいいよ!」
「いいから。外、寒いからしっかり着て来いよ」
玄関で最後の仕上げにマフラーを巻き、鍵を閉めて自宅を後にする。
街灯の下を二人で歩きながら、他愛もない話を楽しんだ。
「まさか、焼き立てを食べてもらえるとは思わなかったなー」
夕食を終え、ブン太の部屋でまったりと寛ぐ二人。
階下が賑やかなのは、ブン太の弟たち出来上がったケーキの半分を取り合っているのだろう。
家に何度もお邪魔しているので、彼らとも既に顔馴染だ。
ちなみに、それぞれに好みが違っていて、誕生日の度にお菓子を強請ってくる。
「俺も。こういうハプニングは大歓迎だな」
「うーん…まぁ、それはそうなんだけど…オーブン、どうしようかな…」
「ああ、ないと困るよな」
「買い替えてくれるのかな…ちょっと不安」
実の所、紅の母はあまりオーブンを使わない。
使うのはレンジの機能ばかりだ。
そもそも、電源自体が入らないので、レンジも使えないのだが。
「暫くは部活の方で我慢するしかないかな」
「………」
「そこ、不満げな顔しない。部活の分もやめとく?」
「ちょ…それはなし!」
慌てて首を振る彼に、思わず笑いが零れてくる。
そんな事を、紅がするはずがない。
わかっているのに、慌ててくれる素直さが、彼の良い所だ。
「あ、半になったら帰るね。あんまり遅くなるのも駄目だし」
「ん。送ってく」
当然のようにそう言う彼に、ありがとう、と答えたところで、階下からブン太を呼ぶ声が聞こえる。
部屋を出て数分後、足音が帰ってきて、部屋のドアからブン太が顔を覗かせた。
「紅、お袋が泊ってくかって」
「ええ?や、流石にそれは…」
「でも、紅ちゃん一人でしょう?女の子だけじゃ危ないわ」
彼の後ろからひょいと顔を覗かせたブン太の母に、紅は慌てて首を振る。
流石に、そこまで厄介になるわけにはいかない。
「それに、準備もしてませんし…」
「食後の運動に取りに行けばいいじゃない。ね?」
「ん?ああ…俺は別にいいぜ?」
やっぱ不安だろ?と問われると、紅は即座に否定できなかった。
いくらしっかりしていても、彼女も中学生だ。
不安がないと言えば嘘になる。
「じゃあ、決まり!二人が帰るまでに客間を用意しておくから、気を付けて行ってくるのよ」
笑顔を一つ残し、母がご機嫌な様子で去って行った。
残された二人は少し沈黙し、顔を見合わせる。
「行くか」
「…お世話になります」
「今更だろ」
「あーあ、明日が休みだったら良かったのにな」
「?」
「同じ家から出かけるとか、面白そうだろぃ?」
ニッと口角を持ち上げる彼に、それを想像してみる。
何となく照れるけれど…確かに、嬉しいかもしれない。
「でも、休みだったら部活だね」
「…げ」
「まぁ、その場合はお弁当とか…作れるけど」
「あ、それもいい!今度やってみねぇ?」
「…機会があれば、ね」
花言葉:恋の愉しみ
12.02.14