スイートピー
丸井 ブン太
紅がブン太と付き合い始めてもう随分になる。
無類の食べ物好きで知られるブン太の彼女だが、実は甘いものが好きではないと知るのはほんの一握りの友人だけ。
彼女はよくブン太にお菓子を作ってきているし、昼食時には時々一緒にお菓子を食べている姿を見る。
だからこそ、ブン太ほどではないにせよ、それなりのお菓子好きだと思われている。
一緒に食べている時は自分用に甘さをかなり抑えたお菓子を用意しているのだが。
ブン太に持ってくるお菓子を手作りにするのは、偏に自分のためなのだ。
そんな彼女だが、意外と後輩に人気がある。
男子ではなく、主に女子に。
理由は紅が料理部で、彼女に習うと包丁が初めてでも美味しく作れると言う定評があるからだ。
部活外でも相談によく乗っていて姉的な存在として慕われている。
友人はこれを『紅信者』と呼んでいる。
時折彼女の元を訪れる男子生徒もいるけれど、目当ては恋愛ごとの相談。
紅を目当てにする男子は、ブン太の存在の所為で彼女にアプローチすらかけられない。
そんな彼女には、どうしても苦手な日があった。
2月14日―――学生ならば、誰もが一度は意識した事のあるバレンタインだ。
最近では良いのか悪いのか義理チョコが普及し、友人やお世話になった人にチョコを贈る風習が根を伸ばしている。
日頃のお礼をここでと意気込む紅信者の面々。
作るのはもちろん甘いチョコレート系のお菓子。
その日が近づくごとに、紅は心中で溜め息を吐き出していた。
「…大量だな」
部活が終わるのを待っていた紅と合流したブン太は、ずるりとテニスバッグを肩から落とした。
彼女が両手に提げていた紙袋を見た反応だ。
「貸せよ。持ってやるから」
そう言われた紅は、素直に片手のそれを差し出した。
それを受け取ったブン太は、もう片方も、と手を伸ばす。
拒むように首を振った彼女の空いた手に、自分が持っていた軽いビニール袋を手渡す。
そして、代わりにもう一つの紙袋も奪ってしまった。
ちなみに、紅が渡されたビニール袋の中身が、本日のブン太の戦利品だ。
袋の大きさから見て、明らかに紅の方が多い。
にも関わらず、ブン太はそれを気にした様子もなく感心したように肩を竦めた。
この大半が自分のものになることを知っているからだ。
彼にとっては食べられるなら誰が貰ったチョコだろうと誰から貰ったチョコだろうと構わない。
彼の求めるチョコはひとつだけ。
「なー。今年は何?」
「オペラに挑戦してみたの。要望通り私が食べられるビターだからタルトも作ってあるわよ」
「おっし!」
よくやった、と手放しに褒められれば悪い気はしない。
基本的に彼の好みに合わせた甘さのお菓子を作る。
けれど、時々彼から要望を受けることがあり…そう言うときは、自分も食べられる程度に甘さを控えていた。
彼曰く、「美味いもんは一緒に食べたほうが美味い」そうだ。
彼と違って運動部に所属していない紅は体型を変えたくないので、一緒に食べるのはイベントの時だけだが。
「それにしても…すげー量だな。誕生日を見てたから何となく予想できてたけど」
ブン太がそう言うのも無理はない、と紅は苦笑を浮かべる。
紙袋が彼の手に渡って尚、漂ってくる甘い匂い。
「断れば?」
「断っていいの?丸井先輩と一緒にどうぞ、って奴も結構あるんだけど」
ブン太が貰う量が多くないのは、紅信者がしっかりと二人の仲の良さを触れ回っているからだ。
よほど自分に自信を持っているか、噂に疎い女子以外は素直にそれを受け入れている。
可能性のない恋に縋っているよりも、新しい恋を探そうと意気込んでいるのだ。
ブン太は紅の返事を聞いて慌てて首を振った。
「やっぱ駄目だ!!今まで通り貰い続けてくれよ!」
「はいはい、わかってるわよ。既に作ってきてくれてるものを断るなんて、元からするつもりないし」
手作りに込められた思いを理解しているからこそ、ブン太が貰うものに対しても嫉妬はない。
以前、断るか?と紅に対する配慮を見せた彼に、彼女は必要ないと答えた。
紅にはその気遣いだけで十分だった。
家に帰ってから二人でオペラを食べた。
その後、ブン太は紅が用意していたタルトに手を伸ばし、紅は貰った品の分類に励む。
ひとつずつ包装を解き、袋入りのものは口をあけて中を確認する。
中にはお菓子だけでなく、普段使えるような小さなハンカチなどが入っている場合もある。
彼女たちからの、自分たちの相談に乗ってくれる感謝の気持ちだ。
お菓子はブン太の届く位置に、それ以外を自分のほうへと分けていく紅。
作業の手は、誕生日のお蔭で随分と慣れているようだ。
「あ、シャーペン。ありがたいなぁ」
細長い箱を開けた紅がそう呟くのを聞いて、ブン太が手を止めて彼女を見た。
頬張ったタルトはイチゴが存分に使われていて、口いっぱいに甘酸っぱさが広がる。
もごもごと咀嚼しながら彼女の手元を見れば、その細長い指にクリアタイプの赤いシャーペンが握られていた。
指に馴染むというよりは少し細めでシャープな形状のそれを、くるりと指の上で回す彼女。
「この前、使ってたシャーペンのペン先が潰れて駄目になったのよね。よく気付いたなぁ」
感心感心、と他人事のような呟きを零した彼女は、カードに書かれている名前を確認する。
明らかにお礼とわかるもの以外は一ヵ月後にちゃんとお返しを用意しているから、その為だ。
「紅って赤が好きだったか?」
口の中のものを飲み込んでから、ブン太がそう尋ねた。
確かこのタイプのシャーペンは色の種類が豊富だったはずだ。
「特にどれが好きって宣言した覚えはないわね。まぁ、私=赤なんでしょ」
本人はその色の選択に納得できているようだが、ブン太にはわからない。
首を傾げた彼を見て、彼女は苦笑しながらペンをテーブルに置いた。
そして、その手をゆっくりと伸ばして、指先にブン太の髪を絡める。
白い指先に赤い髪がするりと絡みついた。
「ブン太が赤だから自然にそうなるんでしょ?」
クスリと笑った彼女の指先が離れていく。
自分のトレードマークを忘れていたわけではない。
けれど、それが彼女にまで固定されているとは知らなかったのだ。
紅自身はこれが初めてではないので驚いていないけれど、彼はそうではないようだ。
フォークを持ったままの手が不自然に中空で止まっている。
「さーて…大体仕分けも終わったわね。今年はお返しが多くなりそうだわ」
さも大変そうな言葉だが、その表情はまったく逆だ。
楽しげに微笑んでいる彼女は、積み上げたお菓子のひとつを手にとって、小ぶりな物を選び、口に含む。
そして、ちゃんと味わってから飲み込んだ。
「うーん…ちょっとブランデーが多すぎかな」
そんな風に評価してしまうのも、自分が料理に慣れている故の事だ。
本人にそれを告げるわけではないのだから問題はない、一種の癖のようなもの。
「はい、残りはお願いね。次はどれを行こうかなー」
あけたままの箱をブン太の方へと押して、次を探す。
『苦手なのに食うのか?』
『だって、一口も食べてもらえずに他の人に渡されてたらと思うと、寂しいから。こう言うのって気持ちでしょ?』
作る側だからこそ、そう思うのだと彼女が言っていた。
彼女が次のチョコに手を伸ばしたときには、ブン太の金縛りも解けていた。
「ブン太、今日はいくついけそう?」
「5つ」
とりあえず目の前のタルトを片付けて、次は彼女の残りだ。
彼はそう意気込んでフォークにぎりぎりのサイズに切ったそれを口に含み、その甘さを堪能した。
花言葉:恋の愉しみ
10.02.20