スイートピー
丸井 ブン太

8月31日―――夏休み最後の休日。
夏休みであるにもかかわらず、休日と説明するには理由がある。
ここ2週間ほどは、地域合同の学園祭のため、夏休み返上で準備に取り組んでいるからだ。
全国大会に出場するテニス部による模擬店は、着々と準備が進んでいる。
マネージャーと言う位置にある雪耶紅もまた、その準備に借り出されていた。
幸い、宿題は7月中に殆ど終わらせていたので、これと言った問題はなかった。
夏休みは色々連れてってやるぜ!と意気込んでいた彼の機嫌取りに一週間を費やした程度は可愛いものだ。
慌しい一週間を乗り切った夏休み最後の日。
委員長の計らいにより休みとなっていたこの日こそは、のんびり過ごそうと思っていた。
そう、思っていたのだ。

「―――ブン太…お願いだから、そんなにわかりやすく拗ねないで」

隣を歩く彼を横目に、はぁ、と肩を落とす。
真田も迷惑なことを提案してくれたものだ。
予定がなかった独り身のメンバーはいいとして…何も、自分たちまで強制的に誘わなくても良さそうなものを。
夏休みに入った頃に頑張って持ち上げたブン太の機嫌は、すでに最低ラインまで到達しようとしている。
このまま海に行かずに逃げると言う選択肢もなくはないけれど、明日顔を合わせた時が恐い。
彼の方も同じ考えなのか、あえて口には出さなかった。

「…どこの小学生だよ。男だらけで海とか…何が楽しいんだっつーの」
「私もいるんだけど」
「紅を潤いにすること自体が反対なの、俺は!」

即座に反論してくれる彼に、そう、と頷く。

「ちなみに、運営委員の悠希ちゃんも誘ってるみたいよ」
「ふーん。…悠希って誰だっけ」
「あんたね…何度か甘味処の打ち合わせで顔を合わせてるでしょうが」
「………あぁ、あいつか」

暫くの間をおいて、思い出したように頷くブン太。
他の女子に興味がないことを喜ぶべきか、覚える気のない記憶力を咎めるべきか。
悩んだ紅は、結局何も言わないと言う選択を選んだ。
教えられた場所はもうすぐだ。
潮の香りが鼻腔をくすぐり始めた頃、紅はふと思っていたことを口にする。

「真田も、誘うならあの子一人にすれば良かったのにね。我慢して全員を巻き込まなくても…」

ドサッと何かが落ちる音。
音の原因であるブン太の方を見ると、彼は驚いたように紅を見ていた。
口元で膨らませたガムが、パン、と弾ける。

「…え?」
「…もしかして、気付いてなかった?」

ブン太の反応に、今度は彼女の方が驚かされる。

「真田がって…え、マジ?」
「…あんなにわかりやすかったのに気付かなかったの?」

少し驚きつつ、落とした彼の荷物を拾う。
何とか受け取る彼だが、事の衝撃に平常心を取り戻せないようだった。

「悠希ちゃんも結構真田の所に通いつめてたわよ。一途よね」
「へ、へぇー………意外」
「…まぁ、私も始めは目を疑ったけど…本人が納得してるなら、それでいいんじゃない?」

あの真田に恋する女子がいるとは思わなかったけれど…世の中とは案外広いものだ。
すでに頭の切り替えが出来ている紅に対し、ブン太は未だに整理できていないようだ。
普段から部活や学校生活と、真田を見ている彼からすれば致し方ないのかもしれない。
真田が女子と―――想像も難しい。

「…ってことは、今日のは…」
「…まぁ、あの子を誘ったはいいけど、一人じゃ無理だから…巻き添え?」
「……………」

どんな奥手だよ!?と言うべきか、我らが副部長の恋の成長を生暖かく見守るべきか。
海へと向かう二人の足取りは少しばかり重かった。

「それにしても…真田かー…。付き合うなら、同じ墓に入る覚悟がいりそーだな」
「結婚を前提にしたお付き合い?」
「っつーか、別れるとか無理だろぃ」
「心変わりしたら相手の男の子が可哀想ね」
「酷い言い様じゃの、お二人さん」
「「!」」

のんびり、と言うには少しばかり遅い足取りで進んでいた二人。
その背後から会話に割り込んだ声に、二人は同時に振り向いた。
そこにいたのは想像通りの人物だ。

「仁王…早いわね」
「おう。お二人さんも十分早いの」
「そりゃ…8時に集合をかけられれば仕方ねーだろ…」
「当の本人は9時に駅前らしいがの」
「何で?」
「お姫様のお迎えナリ」

仁王の言葉に、あぁ、と頷く。
真田のことだ。

「もしかして、始めは6時集合とかだったのかしら」
「真田なら言いかねん」
「6時から海に行って何すんだよ?」
「…まぁ、その分長い時間楽しめることは確かだけど…流石に早すぎるわよねぇ」

そんな時間に集合をかけられていたなら、本気で逃げていたかもしれない。
明日が恐いなどと言うよりも、睡眠時間の方が重要だ。

「それより丸井。随分時化た顔しとるの。彼女とのデートを邪魔されてご不満か?」
「ほっとけ」
「仁王。煽らないで」

後が大変なの、と声を潜めて彼に伝える。
より一層楽しげに持ち上げられた口元が気になるけれど…そこは、彼の良心に頼るとしよう。
少し先に行ってしまった彼を追って、足早にアスファルトを移動する。

「ブン太~」
「何だよ?」
「帰り、うち寄って行きなよ」

そういった紅に、彼は理由を問うように首を傾げる。
彼女はにこりと微笑んで、彼の口元に唇を寄せた。

「ケーキ作ったから」
「マジ!?」
「マジマジ」

ぱっと表情を輝かせる彼に、ご機嫌取りの成功を予感する。
無理もないだろう。
このところ忙しくて、夏休み前に話していた半分の種類もお菓子を作っていない。
それが不満だったと言うわけではないだろうけれど、理由のひとつであることは確かだった。

「久しぶりだな、紅のケーキ。今日のは?」
「苺のムースケーキ。冷やして食べると美味しいと思うの。レシピに改良を加えたから、感想よろしくね」
「おう!任せろぃ!」

重かった足取りは一転。
軽やかに歩き出す彼の背中は上機嫌だ。
お手軽じゃの、と言う仁王の呟きが聞こえなかったのは幸いだろう。

09.06.05