アネモネ
「不思議な存在だねぇ…君は」
目元を隠した黒衣の男、葬儀屋は楽しげに口角を持ち上げる。
目の前の小さな背中は、挑発にも似たその声に、僅かに肩を揺らした。
振り向いた彼女の目に映るのは、いつの間にか吐息が触れる距離にいた、彼。
頬から顎へと伝う指先から感じる体温はぞっとするほどに低い。
「何故、ここにいるんだい?」
「………」
「ああ、質問を間違えたかな。何故、“生きているんだい”?―――コウ・スフィリア」
彼の唇が、その名を紡いだ。
コウ・スフィリア。
死神だった小生の“最後の客人”の名。
数多の最期を見送った彼がその名を覚えているのは、何も彼女が最後だからではない。
「記憶はあるのかい?それともまた、“ハジメマシテ”からなのかな?」
覗き込んだ彼女の目は、焦点を定めず虚ろな色を映していた。
しかし、今気付いたかのように、彼女の紫紺色の目が葬儀屋へと固定される。
見つめ合う事、数秒。
緩慢な動きで震えた唇が、その音を刻んだ。
「………嘘つき男」
「…なるほど、“ヒサシブリ”が適切みたいだねぇ」
誰にも看取られる事なく、最期の時を迎える筈だった。
その日、突然の来訪者は―――予定通りに過ぎる日々を、最後の最後で裏切ってくれたのだった。
「…誰?」
日に一度だけ、定時に訪れる医師以外に、この部屋を訪ねる者はいない。
それは、十年もの間、繰り返された日常だった。
小さなノックの後、答えを待たずに開かれた扉。
そこから滑り込んだ黒衣の来訪者に、彼女、コウは静かな目を向けた。
「さぁ、誰かな?」
好きに呼ぶといいよ。
まるで、旧知の間からであるかのような軽い口調。
スフィリア家の娘に近付いてくる者は皆、顔色を窺うように接してくる輩ばかりだ。
彼のような人間は初めてだと、軽く目を見張る。
「では、死神、とでも呼ばせていただくわ」
「…理由を聞いても?」
「私の魂を取りに来たのでしょう?」
事も無げにそう語る彼女に、彼は珍しくも言葉を失った。
彼の正体、そしてここに来た理由を、淀みなく言い当てられたからだ。
「…何者かな、君は」
「ふふ、何者かしら…ね」
教えてあげないわ。
クスリと笑った彼女は、まるで人形のように美しかった。
スフィリア家には一人の息子と二人の娘がいる。
その長女であるコウは、17の時に肺を患った。
以降、彼女は部屋を出る事を許されず、狭い箱庭の中で暮らしている。
コウに代わって、彼女の婚約者の元へと嫁いだ妹。
家を継ぐべく、当主から多くの事を学ぶ兄。
コウだけが、役目もなく、その時を待つばかり。
「私は死ねるのかしら」
不思議な事を言う娘だと思った。
死は誰しもにとって平等に訪れる物であり、決して逃れることは出来ない。
それなのに、“死ねる”と表現した彼女に、興味がわいた。
「死ねないと思うのかい?」
「…さぁ…どうかしら。わからないわ。体験したことはないから」
会話を重ねるごとに、彼女はその言葉の中にいくつもの謎を生み出す。
彼がそれに対して興味を持っていると知りながら、その解答を与えることもなく。
まるで言葉遊びのように、クスクスと笑う。
「ねぇ、答えて?私は…死ねるの?」
「…そうだね…君は死ぬ。その魂は、小生が間違いなく回収するよ」
「そう。丁寧に扱ってね」
そう笑った三日後、彼女は誰に看取られるわけでもなく、その人生に幕を下ろした。
「小生は確かに君の魂を回収したんだけどねぇ…」
「ええ、そのはずよ。コウ・スフィリアは、確かに短い寿命を終えたのだから」
「…何者かな、君は」
「―――あの日と同じことを問うのね。良いわ、答えてあげる」
葬儀の日、遠目に見た棺の中で眠っていた彼女が、あの日のように笑う。
「…始まりは、“彼”との出会いだった」
12.05.27