白猫シリーズ
「セバスチャンの推薦なんだから、あんたもかなりの腕前なんだろ?」
夕食の準備を手伝っていたコウは、何の事だろうかと顔を上げた。
咥え煙草のまま粉を篩っている料理長の彼を見る。
「…あまり期待しないで下さいね。セバスチャンほどレパートリーがあるわけでもありませんし」
少し意味ありげな間をおいて、彼女はにこりと微笑んだ。
「何の話かわかってんのに誤魔化すのか。ま、気にしちゃいねーがな」
「あら、はっきり言ってもらえないと私には何の事だかさっぱり」
ニヤリと口角を持ち上げる彼に対し、コウは笑顔を絶やさず対応する。
食えねーな、と肩を竦めてから、篩った粉に分量の調味料を合わせて行く。
「次はどうすんだ?」
「バターを常温に戻しておいてください―――って、何を使って常温に戻そうとしているんですか?」
そちらを見ずに答えた彼女は、ジャキ、と言う音に勢いよく首を振り向かせた。
何で常温に戻すのに銃器を構える必要があるんだ。
即座にそれを取り上げ、代わりに包丁を押しつける。
「みじん切りでお願いしますね」
にこりと微笑んで、まな板が置かれた調理台の前へと彼を押しこんだ。
銃器を取り上げられた事に対する文句を右から左へと聞き流しながら、作業を続ける。
「自分で全部やった方が早いわ…」
その言葉は、彼に聞こえてしまわないように小さく呟かれる。
協力と言う言葉は、ある程度スキルが同等でなければ難しいのだと、初めて知った。
今までは誰かに協力することなどまずあり得ない生活だったから。
そもそも、悪魔の辞書に協力と言う言葉はない。
「コウ、ここですか?」
ひょいとキッチンに顔を出したセバスチャン。
どうしたの、と声を返しながら、生地を捏ねる。
「少し手を貸してほしいんですが…忙しいですか?」
「少しだけ待ってくれる?」
「ええ、構いませんよ」
続けてください、と言ったセバスチャンから視線を外し、生地を均等な大きさに分けて行く。
プレートの上にそれを並べ、順に作業をこなしていく彼女の手に迷いはない。
みじん切りを終えたらしい彼が、ヒュゥ、と口笛を鳴らした。
「まるでセバスチャンが二人いるみたいだな」
「ありがとうございます。では、オーブンに入れておきますから、後はよろしくお願いします」
「おう!任せとけ!!」
「………。セバスチャン、行きましょう」
エプロンを外して定位置に置き、手を洗って彼を連れだってキッチンを後にする。
並んで廊下を歩きながら、コウは深いため息を吐き出した。
「任せとけ、と言う言葉があんなにも不安に感じるのは初めてだわ」
「奇遇ですね、私もですよ。一刻も早くコウをキッチンに帰さないと、夕食のパンが駄目になりそうな気がします」
「何で悪魔がこんな事をしなきゃいけないのかしら…」
「私と一緒にいるためでしょう?」
気にした様子もなくあっさりと答えるセバスチャン。
「忙しい時は猫の手も借りたいと言いますから」
「猫の手を貸しましょうか?」
「冗談を。是非その美しい姿のままで、マイレディ」
「あなたの口説き文句は台詞がかっていて寒気がするわ」
一瞬で眉を顰めて嫌そうな顔を見せるコウに、彼はおやおやと苦笑を浮かべた。
普通の女性であれば、ここで頬を桜色に染める所だ。
言葉も仕草も眼差しも、彼の動きはどれをとっても完璧だったのだから。
しかし、コウには通用しなかったようだ。
「白い毛並みの手もとても可愛らしいですけれど…今は、その陶磁器のような手を貸してください」
「で、そんな手に何をさせようと言うの?」
「…庭がまた全滅したので、その手伝いを」
「………あなた、本当に私の事を綺麗だと思ってるの?」
美しいやら陶磁器やらと褒める言葉ばかりを連ねているにもかかわらず、庭仕事を手伝わせようとする彼。
セバスチャンは呆れた風に目を細める彼女の手を取った。
「もちろん。コウはどんな姿でも綺麗ですよ。それに…あなたに限って、手を汚したりはしないでしょう?」
「庭師のあの子がいるでしょう?」
「あの子には裏庭を片付けさせています」
「裏も表も駄目にしたの、あの子…」
最早呆れて言葉もない。
だが、彼の目がないならば、“手を汚さず”に作業することは出来る。
「コウがいてくれて助かります」
「あなたはどうするの?」
「水浸しになった食堂の後片付けです」
「…苦労するわね」
「…わかってくれるのはコウだけですよ」
お互いに励ましているのかいないのかと言う微妙な空気の中、玄関へとたどり着く。
扉を押し開いた先に広がる光景に、コウはデジャヴを感じた。
美しい芝生や木々の面影など微塵もない。
むき出しの地面、枯れた葉を落とした枝。
「…今回は急いでいないのよね?」
「ええ。特に来客の予定もありませんから」
「じゃあ…元通りにはしなくていいわね」
文句も感想も飲み込んで、正面から玄関の状況と向き合う。
コウは爪で指先を小さく切り、ぐっと傷口を圧迫して血を溢れさせる。
それを地面の上に点々と落としながら歩いた。
10ほどの血の跡を残してから、彼女はくるりと振り向く。
そして、ピィィ、と指笛を鳴らした。
すると、彼女の血の跡から小さな手が覗き―――ポン、と何かが飛び出してくる。
ポン、ポン、と次々に生まれたそれは、コウの眷属の小悪魔たちだ。
「コウ様!」
「コウ様!」
彼女の足元に集まり寄って来る小悪魔。
彼女はそれらを穏やかな表情で見下ろし、一匹ずつ頭を撫でていく。
「こんな所に呼び出して悪いね。一つ、頼まれてくれる?」
問いかけるような語尾だが、その言葉に迷いはない。
腰を屈めるでもなく話す彼女は、上に立つに相応しい資質を持っている。
小悪魔達はコウから仕事を与えられた事に喜び、その仕事の内容を待つ。
「枯れた草木の総植え替え。新しいものは―――」
「こちらにありますよ」
ちらりと視線を動かした彼女に気付き、セバスチャンが続けた。
声の方を見た彼らが途端に嫌そうな顔をする。
そんな彼らに、相変わらずだな、と苦笑を浮かべるセバスチャン。
コウを敬愛して止まない小悪魔達は彼が嫌いだ。
「彼は居ないものと思っていいから」
始めましょうか、と告げてパチンと指を鳴らせば、一斉に行動を始める彼ら。
まずは枯れた木々を片付けるらしく、誰に言われるでもなくペアを組んで作業に当たる。
「では、ここは頼みます」
「ええ」
「お礼はまた後ほど。今はこれで我慢してくださいね」
そう言ったセバスチャンがスイとコウの手を取り、その手に軽く口付ける。
同時に彼は勢いよく仰け反った。
先程まで彼の頭があった位置を通り過ぎていく色取り取りの炎。
牙を見せて唸る彼らと、不敵な笑みを浮かべるセバスチャン。
そんな彼らを見て、コウは溜め息を吐いた。
「続けて。あなたも私を使ってあの子達で遊ぶのはやめてくれる?」
「反応が面白くて。では、今度こそ戻ります」
クスクスと笑った彼が屋敷の中へと引き返していく。
きっちりと扉を閉ざし、コウはそこに背中を凭れさせた。
既に10を超える木が片付いている。
相変わらず仕事が速いな、と思いながら、懐の懐中時計を見る。
この分ならば夕食までには終わる。
「(あの子達の褒美は…ケーキでいいかしら。最近お気に入りみたいだし)」
ホールで三つも用意すれば十分だろう。
そんな事を考えながら、見る見るうちに進む作業を眺めていた。
09.12.14