鎮魂歌 -Requiem-
何かが崩れる音がして、数人の叫び声が聞こえてきた。
箱を抱えて廊下を歩いていたコウは、やれやれと溜め息を吐き出す。
あの部屋には危険物が沢山保管されていると知っていたけれど―――これほどとは。
元々女性の平均的身長より高い身長が、更に高くなっているこの状況。
いつもとは少し違う目線を楽しみつつ、彼女は肩を竦めた。
彼女、と形容することは正しいのだろうか。
コウは今、身体だけ男性のそれに変わっていた。
ことの発端は一時間前。
科学班の引越しの手伝いをしていたコウは、本棚の前で蔵書を箱に詰めていた。
中には古い本もあり、慎重に作業をしていた彼女。
「…本当に古い本…落としただけで壊れそうね」
背表紙が取れかかっていて、紙は黄色く変色している本を手に持って、感心したように呟く。
その時、後ろで棚の中身を運んでいた科学班の一人が、足元に転がっていた瓶に足をとられた。
「うわぁ!!」
「!?」
自身へと迫ってくる瓶(中身入り)。
自身の安全と、手に持った年代物の本と。
コウの脳内にて二つが天秤にかけられた。
「コウ!!」
咄嗟の判断で本を庇ったコウに、割れた瓶の中身が降り注いだ。
「今度の被害者は誰?」
箱を置いて身軽になったコウが部屋へと入る。
聞き覚えのない男性の声だったからだろう。
振り向く顔ぶれは、どれも不思議そうだった。
「あれ?………コウ…?」
リナリーの声が、不安げだ。
確信が持てないらしい彼女に、コウはニコリと微笑む。
「そう。私…とは言わないべきだろうね。とにかく、妙な薬の所為でこれだ。で、次の被害者は…お前たちか」
見上げてくる二人を見下ろして、納得する。
ただでさえコウの身長は伸びていて、その二人は縮んでいる。
お蔭で、その身長差は結構なものになっていた。
「…ラビと神田か…可愛いな、二人とも」
男性の身体で女性的な言葉を使うのは、彼女のプライドが許さない。
出来る限り男っぽい口調で話そうとする彼女は、意外にも様になっていた。
後ろでリーバーが肩を落とし、リナリーが必死に宥めているのが見えるが、自業自得だと言っておこう。
彼の作品ではなく別のメンバーの薬だったのだが、この際連帯責任だ。
「可愛い言うな!!」
「コウ、ずりー!!男になっただけじゃん!!」
「ずるい…?」
ラビの言葉にコウが笑顔を浮かべる。
元々顔立ちは悪くない彼女だから、それが男性的になったとしても男前が出来上がるだけ。
だが、そんな男前の笑顔はどこか凄みすら感じられた。
「言っておくけど…二人がこの薬を被ったら、女になるんだからな」
それでもこっちの方がいいわけ?
薄ら寒くなるような笑顔と共に告げられた言葉に、ハッと気付く二人。
言葉には出していないけれど、神田もラビと同じことを考えていたようだ。
自分のまま小さくなるならまだしも…流石に、女性になるのは嫌だと思ったのだろう。
軽く青褪める二人に、コウはフン、と鼻を鳴らした。
それから、未だに落ち込んでいるらしく、とぼとぼと歩いているリーバーを見る。
とぼとぼした足取りながらもちゃんと作業を続けている辺りは彼らしいと褒めるべきか。
「ところで…今の所、被害者は三人か?」
「いや、向こうでじじいが」
指差した方向を見たコウは、すぐに視線を逸らした。
眉間を押さえるように揉み解してから、もう一度そちらを見る。
「…うさ耳か」
その手の人間が見たら発狂ものだな、と呟く。
尤も、枯れた老人の頭から生えていて、その効力を発揮するかどうかは別だが。
例えば…リナリーの頭についていたならば、間違いなく危険だ。
少なくとも約一名…彼女の兄などは、正常な思考回路を失いかねない。
それにしても―――
「…髪は―――」
どこに?
呟こうとした言葉は、飛び上がってきたラビにより阻まれた。
コウにしがみつく形で、小さな手を使って続きを紡がせまいとする彼は、さながらコアラの子供だ。
女だったら思いっきり胸が影響していただろうが、今の身体は男性のものなので問題はない。
…気分的には微妙だが。
「それ禁句!じじい、地面に穴掘りそうなくら落ち込んでるんさ」
「あぁ、なるほど」
どうやら、あの貴重な髪が立派なうさ耳へと変貌してしまったようだ。
髪が、となれば落ち込むのも無理はない。
「…なんか…この引越し、無事で終わらない気がする」
「縁起でもないこと言うな」
げんなりした様子でそう言う神田に、確かに縁起でもない、と頷く。
しかし、一時間ほどで被害者四人だ。
引越しが終わる頃には大変なことになっているような気がしてならない。
一番厄介なものを作っている張本人がここに居ないこと―――その事実に、少なからず不安を抱くコウ。
「とりあえず…早く戻ればなぁ…」
「全くだ」
落ち込んだ声が聞こえ、コウはそちらを向いた。
箱を抱えたリーバーが隣に居て、驚いたように目を見開く。
「どうした?」
「………」
「リーバー?」
「…駄目だ。無理」
沈黙していた彼は、持っていた箱を机の上に置いてその上にしな垂れかかる。
思わぬ行動ばかりの彼に、コウはただ疑問符を積み上げた。
「…リーバー?」
「その声」
ビシッと指差され、思わず仰け反る彼女に、彼は続けた。
「コウだけどコウじゃない。何が哀しくて男の声で呼ばれなきゃなんねぇんだよ…!
くそ…っ。折角の声も、男の低さじゃ台無しじゃねぇか…」
元はと言えば彼を含めた科学班の所為なのだが、落ち込んだ様子を見ているとそれも言えなくなってしまう。
沈黙する彼女を横目に、リーバーは長い溜め息を吐き出した。
「あー…こんなことなら妙な薬は全部廃棄させとくんだった…いや、寧ろお前を手伝わせなきゃ良かった」
本人よりもショックを受けている様子の彼は、再び箱を抱えてふらふらと歩き出した。
残されたコウは、その背中を見送って頬を掻く。
「………なんか、結構凄いことを言われたような気がするんだけど…」
軽く頬を染め、目線を彷徨わせる彼女。
幸い、その様子を見ていた者は誰一人としていなかった。
09.01.25